第五章 ヴァサーム防衛戦
「ゴホッゴホッ」
ニーヌは咳き込むと、口から血液混じりの赤い液体を吐き出した。
だが、それで気分が晴れるわけではない。
次の敵兵の波がいつ訪れるかはわからないのだ。
今は、周囲に敵兵の気配はない。
ニーヌは自分の身体を改めて見直すと、思いの外多かった傷の数に眉間に皺を寄せた。
深い傷こそ無いものの、傷の数は多い。
出血も多いだろう。
ニーヌは近くにいた部下に声をかける。
その兵は息を切らしながら答える。
「南側で交戦中の部隊の状況は?」
「は、さき、先ほど、と、変わらない、と」
「援軍は?」
「アソールから、フレイヤ様と、フェノア様が」
部下の言葉にニーヌは形の整った眉をぴくりと動かす。
予想通りの名前だった。
援軍に来るのはフェンとフレイヤ。そんなことわかっていた。
だからこそ、負けられない。
「――!!」
突如、ニーヌの背後から奇妙なうめき声が聞こえた
同時に背中に重みも感じる。
慌てて振り返ると先ほど援軍の到着状況を教えてくれた兵がこちらに倒れてきている。
彼は頭に矢を生やし、絶命していた。
ニーヌは慌ててその場を離れると、矢の飛んできた方向に目を凝らすが、砂埃で視界が悪い以上、敵の存在は確認できなかった。
「はぁ……」
ニーヌは深くため息をつくと、木の陰に隠れる。
目を閉じ、深く深呼吸。
緑色の全身に、魚の下半身。
赤くとがった鼻と、小さな目。大きく裂けるような口元からはうっすらと牙がのぞいている。
醜い顔に逞しい身体の上半身。
どことなく感じられる力強さ。
メローと呼ばれる男の人魚だ。
メローはニーヌの身体に入り込むように溶けて消えていく。
魔術は特性上大きく二分される。
一つ目のタイプは物体に干渉し、物体自体を攻撃手段とするタイプ。このタイプは従える精霊のタイプによって得意とする魔術が異なる。
もう一つのタイプは精霊と意識を分かち合い――融合とよばれる――身体能力を向上させるタイプ。このタイプの術者は扱う精霊特有の能力を幾分か共有することが出来る。
ニーヌは先ほど矢の飛んできた方向にもう一度目を凝らしてみた。
メローは人魚だが、気配を察する能力や視力に優れている。
そのメローと融合したニーヌは今度は容易に状況を確認できた。
見えてきたのは交戦中の自軍の部隊と敵軍。
先ほど飛んできた矢は流れ弾――もとい、流れ矢――だったらしい。
ニーヌはまた一つ息をつくと、融合状態を解き、交戦中の自軍の援護に向かった。
そして、力一杯走り、草むらから姿を現すと目の前の敵兵に思いのままに斬りかかり一刀両断した。
斬られた兵は自らの身に起こった現象を理解する間もなく絶命する。
ニーヌは辺りの兵たちに大声を張り上げて鼓舞させた。
「みんな、ここが正念場よ!!ストリボーグの狗たちなんてズタズタに切り裂いてやりなさい!!」
ニーヌの鼓舞に兵たちは雄叫びを上げるように応え、兵たちの士気は上昇した。
ニーヌは難なく敵兵を斬ると、相手軍の中心に飛び込み、ガムシャラに剣を振った。
¶
ニーヌが戦場で奮闘している一方。
援軍に向かったはずのフェンとフレイヤたちは思わぬ足止めを食らっていた。
「ったく何だってこんな好戦的なんだよ!!」
フェン達は道すがらに思わぬ種族からの攻撃を受けていたのだ。
狼人間
人と狼とで姿を変えられる種族で普段は森の中で暮らしている。
「クケケ、何ダお前、変ダな。オ前、頭にトカゲ乗セてる」
「うるっせえな。お前らのしゃべり方の方が変だろうが」
傍目には頭にトカゲを乗せ続けるフェンも十分に変な事実は棚上げするフェン。
周囲にはワーウルフの群れ。
容易には突破出来なさそうだ。
鋭い牙や爪で襲いかかるワーウルフに剣や魔術で応戦するフェンたち。
時間をかければ何とかなりそうだが、時間をかけるわけにはいかなかった。
ジレンマ。
その思いはフレイヤも同様だったらしく、数で押してくるワーウルフの群れに苛立たしげだった。
フェンは剣を振りながらフレイヤのもとへと駆け寄った。
「フレイヤ様!!らちがあきません!!先に行ってください」
「フェノア!?」
フレイヤはフェンの顔を一瞥するとまた目の前のワーウルフの群れに視線をやる。
フレイヤの近くから氷の弾丸が放たれ数匹のワーウルフが犠牲になる。
フェンはフレイヤと背中合わせになると端的に言葉を述べた
「俺の部隊がこいつらを食い止めてます。フレイヤ様達は先にヴァサームへ向かってください!!」
「フェノア!?でも危険じゃ――!?」
フェンの背中から焦ったような声が聞こえる。
フェンは目の前に居るワーウルフを思い切り蹴り飛ばすと言葉を続けた。
「大丈夫です!!それにこのままじゃ援軍が着くのが後れてしまう!!良いから先に行ってください!!カメリアにも約束したんだ、俺はまだ死にません!!」
「……わかったわ。フェノア、気をつけてね!!」
その言葉でフェンとフレイヤは散り散りに別れる。
フレイヤは部下たちに、フェンは自分の部隊に、今のいきさつを伝えた。
フレイヤがフェンの目を見る。
フェンがフレイヤの目を見る。
フェンがしっかりと頷き顔に笑顔を浮かべる。
フレイヤは安心したように馬にまたがり最小限の敵だけ追い払うと駆けだしていった。
後を追おうとする物達はフェン達がその後を追わせない。
数分後、その場に残されたのはフェンの部隊総勢10名と周囲を囲む大量のワーウルフだった。
「クケ、お前ラ、見捨テられタ。クケケ、俺タチ、お前ラ食ベル。オ前、頭にトカゲ乗セてるから、クケケ、ソれデ火ヲつけて燃ヤシて食べル」
「だ〜クケクケうっせーな!!にわとりの出来損ないみたいな泣き声でわらってんじゃねえよ!!」
フェンはそう強がるが、事態は意外と深刻だった。
フェンはまだしも他の部下たちは負傷している者が多い。
「フェノア様、打開策があるんですか!?」
「んにゃ」
「おお、じゃあ――」
「どうしようかねえ」
耳を疑う部下の男の兵。
そんなっ、といったような絶望の表情でフェンを見詰める。
その部下にフェンが話しかける
「なぁ、お前。実は隠された力がある、とか言わない」
「はい!?」
「いや、実はお前が身分を隠してこの国で暮らすストリボーグの国王の息子、とか、実は異世界からやってきててこの世界では並外れた筋力なんです、とか」
「何言ってるんですっっ!?」
「そんなわけないよねー」
茶々を入れる他の女性兵。
「フェノア様、私実は――」
「お!?なんだなんだ!?どこの国のおてんばお姫様だ、お前は!?」
「実はオンナノコの日の2日目なのでかなりおなかが痛くて」
「そうか、でも妊娠してなくて良かったじゃないか」
「ええ。あの時、フェノア様があんなことするから妊娠してたらどうしてもらおうかと」
「そうだな、あのときの俺はどうしてたんだ。でもあれはお前がいきなりろうそくを使ったプレイ――」
「ちょっと!!何言ってるんですか!!」
耐えきれずに突っ込む兵。
ジト目でフェンと女性兵に睨まれたために悪いことをしたような気がするが、何も悪いことはしていない。
「はぁ〜せっかく現実逃避してたのによぉ」
「全くです。早い男は嫌われるわよ?」
「何の話ですか!!」
ちなみにここは戦場。
3人がすったもんだをしている間は他の兵たちが死にものぐるいでカバーしている。
それでも尚も続くすったもんだ。
「ん〜、それにしても、どうしようかねぇ」
「フェノア様も頭にタルケを乗せてるんだから何とかしてくださいよ!!」
「はぁ!?タルケを頭に乗っけてることに何が関係あるんだよ!?」
「そうよ!!それにフェノア様が頭にタルケを乗せてるのは単なるオシャレなんかじゃなくて複雑な事情があるのよ!?」
「その通りだ!!」
「だから、あなたみたいに何の秘密も持ってないはな垂れ小僧とは違うのよ!?」
「ちょっと待ってください!!何で僕がせめられなきゃいけな――ってあれ?」
3人が夢中になってる間に周りのワーウルフ達はいなくなっていた。
気付いてみると、辺りには様々なところで炎が燃えている。
「やべっ……やり過ぎたか。おい、急いで消火しろ!!燃え広がったら厄介だ!!」
「了解!!」
あちらこちらから聞こえてくる部下たちの返事。
さきほどまでフェンと会話していた女性兵も急いで消火活動に移るが、一方の男性兵はまだ現状をつかめていなかった。
「フェノア様……いつの間に魔術を……!?」
「ん?ああお前達と喋ってる間にな。ワーウルフは炎が苦手なんだ」
「!?それを知っているならフレイヤ様たちを先に行かせなくてもすぐにこいつらを追い払えたのでは!?」
「ん〜そうしても良かったんだが、そうすると味方兵の犠牲が増えるからよ。いくらおれでも10人ぐらいしか動きは把握できない。いいから、お前も火を消せ」
フェンはそれだけ言うと他の兵のもとへ行く。
男性兵は自分の部隊の隊長の力を改めて感じた。
¶
ニーヌは既に疲労困憊だった。
剣を持つことすらかなりの重労働。
激戦地・ヴァサーム。
今まで多くの人間がこの街で戦死したと言う事実がニーヌの頭によぎる。
「はぁ……。負けたく、無い……」
それでもニーヌは剣をおかない。身体を休めない。
新たな敵の姿を見つけると躊躇いもなくその命を刈り取る。
死にそうな仲間がいれば救護隊に救命を命じる。
水色の髪をなびかせながら長い剣で戦うその姿は死神のように見えた。
「ニーヌ!!」
その声で振り向く。
視界に入ってきたのは金髪の女性。
姉のフレイヤだった。
「姉様……」
「ニーヌ、ひどい怪我じゃない!!大丈夫なの!?」
「ええ……私は大丈夫……」
「何言ってるのよ、あなた顔真っ青――」
「良いから。大丈夫だから。姉様は南側の方をお願い。私はこっちのほうの防衛にあたるから」
「ニーヌ?」
「じゃあ、お願い」
ニーヌはフレイヤの制止も振り切ると、駆けだした。
左手にはしっかりと剣を握り、敵兵に斬りかかる。
フレイヤはその背中を呆然と見送っていたが、気を切り替えて部下たちに指示を飛ばした。
ニーヌがああ言う以上、フレイヤとしてもその指示に従うしかない。
話はこの戦が終わってからでも何とかなる。
ニーヌを、妹を死なせはしない。
「みんな、南側へ向かうわよ!!ストリボーグ軍なんて木っ端微塵にしてやりなさい!!」
フレイヤのその言葉を聞いてストリボーグへ向かうフレイヤの部隊。
フレイヤは弓を持つ自分の手に力を込めた。
フレイヤ・イドは剣士ではない。
弓とそれと組み合わせた魔術を中心に戦う中遠距離型の兵である。
並外れた弓矢の制度と圧倒的魔力で多くの軍功を残してきた。
特に、その魔術の才に関しては天才と謳われる。
フレイヤは走りながら精霊を呼び出す。
セイレーン。
フレイヤと同じ色の長い金髪。
女性の象徴の胸のふくらみは貝殻にて隠されていて、下半身は魚の鱗。
美しい女性の人魚だ。
セイレーンは一瞬フレイヤの背後に現れたかと思えばすぐに姿を消してしまった。
フレイヤは尚も走りながら弓に矢をつがえ、引き絞る。
そして、その矢を放つと同時に魔術を発動した。
放たれた矢はどんどん大きくなり、氷の刃を身に纏っていく。
そして、それが敵兵に届く頃には2mはあろうかという大きさの凶器になっていた。
フレイヤは次々に同様の矢を放っていく。
フレイヤに近づき直接攻撃せんとする兵はフレイヤの部下たちがそれを未然に防ぐ。
フレイヤの部隊のおきまりの陣形だった。
フレイヤが到着してから30分ほど遅れてフェンはヴァサームへ到着した。
状況を聞くや否やニーヌの防衛する北の方面へ援護に向かう。
そこにニーヌの姿はあった。
水色の髪は大量の血を浴びたのか赤く斑点状になっている。
「ニーヌ!!」
「遅い。もう戦は終わるわ。それに何なの?頭の上にタルケなんて乗せて。流行んないわよ、そんなファッション」
ニーヌは一息に言い放つ。
周りには敵国ストリボーグの兵たちの骸の山。
周囲からは敵兵の気配もあまり感じなかった。
「……このタルケは色々と事情があるんだって。それに俺だって遅れたくて遅れたんじゃねえっての」
「どうかしら」
ニーヌはため息をつきながら剣を鞘に収めた。
腰に手をつき大きく息を吐く。
フェンはそんなニーヌの様子を見てポケットから何かを取り出した。
「ほれ、ニーヌ。これでも飲め」
「……?なに、これ?」
「気付け薬だ。アイツヴェンの薬師の特別製。少しは楽になるぞ」
「……いらないわよ、こんなの」
「良いから飲めって。顔色悪いぞ?」
「……わかったわよ」
渋々渡された薬を飲むニーヌ。
常ならばもう少し抵抗するのだが、身体の調子が悪いのも事実。
素直にフェンの好意に甘えた。
「それにしても、良く守りきったな。ストリボーグの人数はこっちの倍近かったんじゃねえのか」
「……かもね」
「いや、ホントすげえって」
「あんたとは出来が違うの」
「んなこたぁ知ってるよ。俺じゃ正直無理だったんじゃねえか」
素直に漏らすフェンの言葉にニーヌは目をやや白黒させる。
ニーヌのそんな様子にフェンも気づき、怪訝そうに眉を寄せた。
「……なんだよ?」
「あ、いや、随分あっさりと認めるのね」
「事実なんだからしょうがねえだろ。訓練でも俺はニーヌに一回も勝ったことないしな」
「男のプライドとか、ないの?」
「ん?プライド?そんなもん持ってたら女のニーヌに剣術をおそわらねえだろ?」
尚も淡々と言葉を続けるフェン。
フェンは周囲の様子を確認しに手近の木に登って行ってしまった。
――全く……この男は変なことばっかり……
ニーヌが嘆息していると周囲の状況が一変した。
心の芯を震わすような、金切り声。
周囲から鳥たちが一斉に飛び立つ音がする。
「今の音、何!!」
「わからん、行くしかねえだろ!!」
木から飛び降りてきたフェンは慌てたように言う。
そして、一目散に駆けだし、ニーヌも急いでその方向、とは逆の方向に駆けだした。
「バカ!!どんな耳してたらそっちから聞こえてくるのよ!!そっちは街の方向!!」
「なに!?さっさと言えよ!!俺は方向音痴なんだ!!」
「知らないわよそんなこと!!」
慌ててUターンするフェン。
ニーヌの背中は少し遠くなっていた。
¶
フェンとニーヌが到着した頃(正確にはフェンは道を間違えた分少し遅れた)、2人の目に入ったのは文字通りの化け物だった。
一見すると人。
だが、成人の男数人分はあろうかというずんぐりした巨体と体中に纏わり付かせた水草。
巨大な金切り声を発しながら、巨体に似合わない素早い動作で傍若無人に暴れ回っていた。
フェンは近くにいた兵に尋ねる。
「おい、お前……どうなって――ってお前どっかで見たことあるような……?」
「あなたの直属の部下です、フェノア様!」
そう言われて思い出す。
ワーウルフに襲撃されたときに、からかっていた兵だ。
「あぁ、確かえーと、シータだっけ」
「タイシです!!」
いまにも崩壊の呪文を唱えそうな少女の名前を呼ぶフェン。
「それで、タイシ。何があった?」
「わかりません。この辺りにいたストリボーグ兵がさーっと退却したと思ったらあの怪物がこっちに――」
「危ない!!」
フェンとタイシは突き飛ばされた。
先ほどまで2人が居た辺りに大きな丸太が飛んでくる。
「すまない。えーと、お前は――」
「エミリーです、フェノア様」
2人を助けたのはこれまたフェンの部下の先ほどの女性兵。
2人を突き飛ばし、自分も間一髪のところで化け物の攻撃を避けた。
フェンは改めて周囲の状況を確認する。
タイシとエミリー以外に生きている人間は居ない。
下を見れば見覚えのある部下たちの無残な姿。
「おい、他の奴等はもう死んじまったのか?」
「ええ。あの化け物が現れてから瞬く間に」
「……クソッ。少し下がって助かりそうな人間をここから離して、それから援護を呼んでくれ」
フェンはそう言い残し、既に怪物と交戦を始めているニーヌの援護に向かった。
いくら何でも2人じゃ無謀すぎる!!
そう言いかけた、タイシの言葉はエミリーに遮られ、仕方なく2人はフェンの指示に従った。
フェンはニーヌの援護に向かうと魔術を中心に攻撃を始めた。
ニーヌの華麗な剣術をカバーする。
だが、すぐにわかった。
このままでは危険だ。自分たちはこの怪物には勝てない。
今は五分五分かもしれない。
でも、数分後には状況は悪化するだろう。
消耗戦になったら敗勢となるのは明らかだった。
「危ない!!」
フェンが頭の中で現状を分析していると、ニーヌの声で意識を引き戻された。
我に返ると目の前にドラウグの蹴りが迫っている。
避けようとするが、間に合わない。
フェンは勢いよく吹き飛ばされた。
「っぁぁ!!」
背中をしたたかに地面に打ち付け、口から血を吐き出すフェン。
ニーヌが慌てて近くに寄ってきた。
「バッカ、油断しないでよ。大丈夫?」
「……バカヤロ、俺はおまえみたいに剣術に長けてないんだから仕方ないだろ」
「ふん、口答えする余裕があるなら大丈夫ね」
ニーヌはフェンが返事をするとすぐに、また怪物のもとへと向かう。
フェンも痛む身体を無視して慌てて立ち上がると、再び剣を構えた。
いくらニーヌでもあんな怪物を1人で相手するのはしんどい。
走り出そうとしたフェンの背中に声が駆けられた。
「フェノア様!!僕も手伝います!!」
タイシだった。
聞けば、エミリーに止められたにもかかわらず指示を無視してこちらに戻ってきたのだという。
援護を呼ぶという役目はエミリーに任せて。
「おまっバカヤロウ!!何で戻ってきた!!」
「仲間たちが死んでしまったのにじっとなんかしてられません!!」
「おま……クソッ……!!」
フェンはタイシを再び罵倒しようかと思ったが声をかけられなかった。
援護を呼ぶという役目はエミリーがやっているのだ。責める筋合いは薄い。それならタイシがここに居る以上タイシにも手伝わせた方がマシだろう。
「お前、魔術の型は!?」
「水の融合型です!!」
「よし、上等だ。それならニーヌと一度交代してきてくれ!!10秒時間を稼げば十分だ!!」
「了解しました!!」
そう言って精霊を呼び出しながら融合するタイシ。
タイシの精霊はトラロックと呼ばれる雨の精霊。
そのトラロックと融合したタイシは全体的な身体能力の底上げがなされる。
「ニーヌ!!一度俺の所に来てくれ、作戦がある!!」
ニーヌはフェンの声を合図に一度怪物から離れる。
その間の怪物の応対はタイシがつとめる。
押されてはいるが数十秒なら持つだろう。
「はぁっ……はぁっ……、さ、作戦?」
息も絶え絶えなニーヌ。
フェンは端的に言葉を述べた。
「前にファンデル様からあの怪物のことを教わったことがあるのを思い出した。あの怪物の名前はドラウグ」
「どら、うぐ……?」
「ああ。ドラウグを倒すには首を切り落としてその傷口を焼くしかないそうだ」
「……そんな、大事なこと、さきに、言ってよね」
「るっせえな。吹っ飛ばされた衝撃で思い出したんだよ」
「……ふん、これだからバカは、嫌なのよ」
毒を吐くニーヌだが顔色は悪い。
短期決戦の必要性があるだろう。
「火なら俺の出番だ、行くぞ――ってまた俺のこと無視かよ!!」
ニーヌは既にドラウグの方へ駆け出していた。
フェンも慌ててその後を追う。
ウェスタ
フェンの従える精霊だ。
身体に深紅の布を貼り付けただけというきわどい格好をした美しい女性の姿。炉の女神とも呼ばれている。
フェンはウェスタを呼び出すと自らの持つ剣に炎を纏わせた。
「熱っっっ!!こんなんそんな長く持ってられねえぞ……」
ブツブツと言いながらドラウグに斬りかかるフェン。
タイシも奮闘しており、ニーヌとタイシ、それから3人でドラウグに攻撃を始めた。
ドラウグが力任せに両腕を振り払う。
ニーヌとタイシがそれを避ける。
その隙にフェンが思い切り一閃する。
「ギィィィィィィィィァァァ!!!」
再び耳をつんざくドラウグの金切り声。
攻撃の効果があったようだ。
ドラウグは炎の剣で斬りつけられた痛みからだろうか力任せに突進してきた。
ニーヌの方向だった。
いつものニーヌなら避けることが出来たはずだった。
だが、その時のニーヌは大量の血を流し、ずっと戦場の最前線で剣を振るい続けてきていた。
体力の限界だった。
ニーヌは慌てて避けるが間に合わない。
目を覆いたくなる瞬間
「うがぁぁぁぁっ」
吹き飛ばされたのはタイシだった。
タイシがニーヌをかばったのだ。
代償にタイシは大きく吹き飛ばされる。
ニーヌも直撃は免れたものの、衝撃で倒れている。
「おい!!ニーヌ!!タイシ!!」
声をかけるも返事はない。
ドラウグと相対しながら盗み見ても2人とも、ピクリとも動かなかった。
ニーヌはうつぶせに横になったまま、タイシは木にもたれかかり頭から血を流している。
タイシの方は致命傷かもしれない。
3人が1人になってしまいフェンは防戦一方となる。
蹴り飛ばされる。
体当たりを受ける。
突き飛ばされる。
流れた出血で片目が見えない。
それでも唯一の希望となった炎の剣を手から離すわけにはいかない。
炎を纏った剣で攻撃するしかこいつに勝つすべはないのだ。
フェンが気力を振り絞り、剣を振るうも、ドラウグはジャンプし距離をとる。
機敏なドラウグに攻撃を当てるのは困難に思えた。
「はぁ……はぁ……、くそっ、どうしろってんだよ……」
弱音が漏れる。
それでも負けられなかった。
フェンは再び炎の剣で斬りかかった。
ガムシャラに。
だが、攻撃は空を斬る。
魔力も限界が近く、これ以上自分の持つ剣に炎を纏わせるのは辛かった。
そんな、一瞬の隙を突かれフェンはドラウグに首を捕まれた。
そして、そのまま首を絞められる。
「グッ……うがぁぁぁぁぁ」
手から剣が滑り落ちる。
目の前にはドラウグの凶暴な牙。
視界がブラックアウトする。
最期を覚悟した。
その時耳に奇妙な鳴き声が聞こえた。
キュイー、と言う鳴き声。
あぁ、そうか。これはタルケの鳴き声だ。
俺の頭の上にのってるんだった。
こんだけ派手に暴れ回って良く落ちなかったな。
カメリアのタルケだ。
フェンの脳裏にカメリアの顔が浮かぶ。
能面のように無表情な顔。
寂しく泣きじゃくる顔。
不器用に笑った顔。
俺が死んだら、カメリアはまた塞ぎ込むだろう。
カメリアは、また泣きじゃくるだろう。
そんなのは――――嫌だ!!
フェンは再び最後の気力を振り絞りもがく。
自らの首を絞めるドラウグの手をつかむと、今にも途絶えそうな意識で魔術を紡いだ。
フェンがドラウグの腕に炎を当てると、絞められていた首は解放され、地面に振り落とされる。
そして、その直後ドラウグの巨大な金切り声が辺りを支配する。
「ゴホッ、ウォッホッッ……ハァ、ハァ……」
フェンがドラウグを見ると、ドラウグの顔面に矢が刺さっていた。
氷の矢。
慌てて後ろを見ると、遠くの方で矢を引き絞りながらこちらに走っているフレイヤの姿が見えた。
その傍らにはエミリーの姿も見える。
フレイヤが再び矢を放った。直後、再びドラウグが巨大な金切り声を放つ。
フェンは先ほど落とした剣を慌てて持ち直し、ドラウグに向き直った。
ドラウグは顔面、そして身体に刺さった矢と氷のつぶてをとろうともがいていた。
――チャンスだ
「どりゃああああああああああああ!!」
どさり。
そう音を立ててドラウグの首は落ちた。
フェンはその首の切り口を魔術で焼くと、意識を手放した。