第四章 トカゲを乗せた少年
フェンは孤児院で騒動が起こったその晩にフレイヤと2人で食事をしていた。
今回の食事を誘ったのはフェン。
フェンとしては今回の放火事件について話したいだけだったのだが、フレイヤは食事に誘われたことに心の高揚感を隠さない。
フェンは悪手を打ったことに後悔した。
「フレイヤ様、あの男の子はどうでしたか?」
「早速その話題なの?もう少し2人で甘〜いひとときでも楽しまない?」
「……それはまたの機会に」
「もう。せっかく誘ってくれたってのにつれないのね」
拗ねたように頬をふくらませるフレイヤ。
子供っぽい振る舞いだが、フレイヤがそれをするとどこか小悪魔的な美しさがあった。
「……すみません」
「どーしてそこで謝るかなぁ。もうちょっとオンナゴコロの勉強してよね!?」
「……すみません」
「しょうがないわね。あの子なら大丈夫よ。頭の何カ所を切っちゃったけど顔に傷跡は残らないそうよ」
「そうですか。それはよかった」
安堵のため息。
フェンは尚も続ける。
「あの、それでカメリアについては……?」
あのあと、すっかり落ち着き自分を取り戻したカメリアは今は一時的にとある職員が自宅に預かっている。
テントに戻すわけにも行かない為の臨時の措置だ。
「ええ。カメリアなら大丈夫でしょ。あの子の目には光が戻っていたもの。それから、カメリアにも処分はしないわ。あの男の子も言い過ぎたことを反省していたし、事実、カメリアもひどく反省して居るみたいだしね」
「そうですか……それはよかったです」
安心して手元のビールを飲むフェン。
フレイヤはその様子を横目で見ながら微笑んで言う。
「今回はありがとうね、フェノア」
「え、ああ。何もしていませんよ」
「そう?『ああ、俺は死なない。お前をひとりぼっちになんかさせないさ』って熱く語ってたじゃない」
「ちょ、何で!?盗み聞きしてたんですか!?」
「盗み聞きとは失敬ね。私もあの後あなたたちの後を追ったら2人が良い感じに話していたから隠れて聞いていただけよ」
「それを盗み聞きと言うんです!!」
「そうなの?」
「はぁ……。恥ずかしいんで忘れてください」
「嫌よ。あなたの言ってたあの言葉で私は今晩のイケナイ妄想をするんですから」
またビールを噴出した。
恒例化しつつあるマーライオン。
「ゴホッッッッ、何を言うんですか?」
「何って、ナニも言って無いじゃない」
「いや、ですから!!」
「あら、それともフェンがとうとう私の相手をしてくれるの!?そうと決まったら早速私の家に――」
「行きません!!」
この数日で何度繰り返したかわからないおきまりのやりとり。
すっかりそれてしまった話を本題に戻した。
「はぁ……それでフレイヤ様。犯人の目星は付いたのですか?」
「う〜ん……ついたと言えば、ついたのかもね」
「そうですか……ってえ!?」
良い返事を期待していなかった分驚いてしまった。
「まだ、ぼんやりとだけどね」
「どういう事です?」
「……」
フレイヤは手元のカクテルを口に運び言いにくそうにしている。
フェンはフレイヤが再び口を開くのをじっくりと待った。
フレイヤは声を潜めて言う。
「……ストリボーグの間諜が紛れ込んでいるみたいなの」
「間諜がこの町に……?」
「ええ。ニーヌの居るヴァサームでもストリボーグ軍の不審な動きが確認されてる。もしかしたら今回の放火もそれと関係があるのかもしれない、と言うのが私の考えよ」
「ですが、今回の放火は内部犯なのでは?」
「だから、そういうことよ」
少し目を伏せるフレイヤのその仕草でフェンは理解した。
孤児院の職員の中にストリボーグの息がかかった人間が混じっているのだろう。
だから、フレイヤはこのように気が滅入っているのだ。
「どうやって、見つけるのです?」
「……それを悩んでいるのよね」
息を吐き出すフレイヤ。グラスが空いていたので次のカクテルを頼んでいる。
「……ねぇ、フェノアはどうしてカメリアが犯人じゃないって思ったの?」
「え?」
「私は、カメリアの性格を知っていたわ。あの子は虫も殺すことの出来ない、穏やかな性格をしている。そのせいか思い詰めることもあったけど、それでもカメリアが犯人じゃないことは私にはわかる。人を見る目には自信があるしね」
「……」
「でも、あなたはカメリアのことを知らないじゃない?それなのにどうしてカメリアが犯人じゃないってそう信じていたのかなって疑問だったのよね?」
フレイヤは真剣な様子で尋ねてくる。
その表情からフェンはまじめに答えなければならないことを理解し、慎重に言葉を選んで紡いだ。
「……フレイヤ様との食事に遅刻した日に、カメリアと会ったんです。街中で1人で寂しそうに佇んでいました」
「そうだったの?」
「あのときのあいつ、何してたと思います?」
そこでしばし、間をとる。
フレイヤが続きを促した。
「何って……?」
「何も。何もしてなかったんです。ただ、行き交う人を眺める。ただ、街の喧噪に耳を傾ける。ただ、この世界に存在する」
「どういうこと?」
「……俺は、小さいときの記憶がありません。両親を知りません。家族を知りません。俺はファンデル様に拾われてから不安で一杯でした。不安で押しつぶされそうになったとき、俺も街中で1人、存在してたんです。誰か、助けてくれって」
真剣な告白に聞き入るフレイヤ。フェンの言葉は尚も続いた。
「ガキだったんですよね、どうしようもないくらいのガキだった。自分で道を作らず、誰かに連れて行ってもらうことを祈る」
「……」
「そう言うときの俺たちは誰かを失うことをひどく恐れる。帰る場所をなくしたくない。知っている人を失いたくない。これ以上ひとりぼっちになるともうどうすればいいのかわからなくなる。……矛盾してますよね。ひとりぼっちになるのは嫌なのに、街にひとりぼっちになりに行く。でもそうすることしかできなかった」
「……そう」
「あのとき、カメリアを見たときに自分を見たような気がしたんです。ひとりぼっちになりたがってる。ひとりぼっちをいやがってる。そんな屈折した感情が俺にはわかったんです」
「……それで、カメリアが犯人じゃないって思ったのね」
「ええ。帰る場所はなくしたくないはずのあいつが放火なんて出来ない。あいつはペットとして飼っていたタルケすら失いたくなかったんですから」
フェンはひとしきりに言い終えると大きく息を吐き出した。
すると、フレイヤが突如笑い声を上げた。
「ふふっ」
怪訝そうに尋ねるフェン。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないわ、ふふっ」
「……?」
「良いの。それよりももう少し飲みましょう?せっかくなんだから」
¶
翌日。
難航していた放火事件の犯人捜しは思わぬ進展を見せた。
ニーヌの居る街、ヴァサームで間諜が取り押さえられたのだ。
そして、そこから伝えられた情報で今回の犯人も見つかった。
犯人は孤児院で働いていた女性職員。
詳しく素性を洗ってみれば、元々はストリボーグの名家の家系らしく、過去の大戦でアナーヒタに訪れてからは代々アナーヒタの情報をストリボーグに流していたらしい。
今回の事件もストリボーグから渡されたとある新兵器を試してくれとの事でそれが暴発した末の火事だったようだ。
「まさか、犯人がもう死んでしまってるとは思いませんでしたね」
「ええ、そうね。まぁ、この件に関してはしょうがないわ。解決したと言うことでよしとしましょう」
そう、犯人は火事で死んでしまった職員の中の1人だったのだ。
犯人としても思わぬ結果による火事だったのだろう。
結局被疑者死亡という形で事件は幕引きを迎えた。
はずだったのだが。
「まだ、終わってませんよ。事件は終わりましたが、カメリアが立ち直らなければ終わってないんじゃないんですか?」
「それは、そうだけど……」
「ということで、乗りかかった船です。カメリアの所へ行ってきますよ」
「え?」
「カメリアは昔の俺みたいな状態なんです。今度は俺がカメリアを救ってやりますよ」
フレイヤは唖然とした表情でフェンを見送った。
フェンの唐突な行動に少し呆気をとられていた。
「よう、カメリア」
カメリアは街中のとある施設で保護されている。
放火犯も判明したので、近いうちに公園でのテント場での生活に戻ることになっている。
ちなみに、カメリアが傷つけてしまった男の子とはお互いに謝り、仲直りしたそうだ。
「フェン兄ちゃん!?」
「元気そうだな。よかったぜ」
「うん」
カメリアは穏やかな表情でフェンに笑顔を見せた。
少女らしい笑顔。
「ほら、お前の家族を連れてきてやったぞ」
「あ、トカゲさんだ!!」
「俺が世話してやってたんだから感謝しろよな……って聞いてないな」
カメリアはフェンの話もそっちのけにかごに入ったタルケに夢中である。
まぁいいか、と言った気持ちでカメリアを温かく見守るフェン。
頃合いを見計らってカメリアに話しかけた。
「なぁ、カメリアは将来なりたいものってあるのか」
「え?」
頭と両肩にタルケを載せながら振り返るカメリア。
吹き出しかけたが何とかこらえた。
「将来の夢は何だ?」
「私……?んと、笑わない?」
「ああ、笑わないさ」
カメリアは少し表情に影を落として言いにくそうにしている。
フェンがもう一度目だけで問いかけると渋々と答えた。
「んと、私は薬師になりたい。傷ついた人たちを助けるお薬を作る薬師になりたい」
「薬師か……薬師になるのは大変だぞ?」
「うん……でも、がんばりたい……」
「そうか。がんばれよ。俺は応援してるからな」
発破をかけるフェン。
それでもまだカメリアの表情は晴れなかった。
その影が気になるフェンはもう一度目線でカメリアに問いかける。
カメリアは固い表情でフェンに尋ねかけた。
「ねえ、フェン兄ちゃんは死んじゃわないよね」
「なんだ、まだ気にしてたのか?大丈夫だ、俺は死なないって」
フレイヤに茶化されたこのフレーズを再び繰り返すフェン。
カメリアは意を決したように言う。
「フェン兄ちゃん!!じゃあこのトカゲさんを一匹預かって!!」
「へ?」
「だから、トカゲさんを一緒にいてあげてほしいの……。フェン兄ちゃんの言うことが本当なら椿は生命の象徴なんでしょ?」
「ああ、そう言ったけど……」
「でももしかしたら椿はやっぱり縁起の悪いお花かもしれない。だから、フェン兄ちゃんが椿が縁起の良いお花だって証明してよ!!」
「いや、だからといって何もおれがタルケを預かる理由になんか……?」
「トカゲさんは私の家族だもん。だから、だから!!」
カメリアは駄々をこね始める。
フェンにはカメリアの言う言葉の意味がわかった。
カメリアはまだ不安に思っている。
やっぱり自分は死を呼ぶ女なのかもしれない。
フェンがカメリアのペットであるタルケをつれて死んだら、やっぱり自分は死を呼ぶ女だ。
だけど、フェンがタルケと一緒にいても死ななかったら、自分は死を呼ぶ女なんかじゃないのかもしれない。
だから、タルケと一緒にいてそして死なない約束を守ってくれと。
カメリアにとってこれは賭けなのだ。
「……よし、わかった!!じゃあ俺がその3匹のタルケの中で1匹だけ引き取ってやるよ」
「ホント!?一瞬だって離れちゃダメだよ!!お仕事の時も離れちゃダメだからね!!」
「それは……いや、うん、もちろんだ!!」
カメリアはようやく笑顔を見せた。
雲一つない澄み切った笑顔を。
もう、カメリアは大丈夫だろう。
¶
カメリアのもとからの帰ると、フェンはフレイヤに全てを伝えにフレイヤのもとへと向かった。
すると、フレイヤ達は慌ただしく部下たちに指示を飛ばしていた。
フェンが声をかけると慌ててフェンのもとへと駆け寄る。
表情は厳しかった。
「フェノア!!ちょうど良かった――」
「どうかしたのですか!?」
「……」
フレイヤの動きが止まった。
その視線はフェンの頭の上。
真っ赤な髪の毛の上にはこれまた真っ赤なトカゲ――タルケがのっていた。
フェンはタルケを胸ポケットに入れようとしたのだが何度やってもタルケがポケットに入るのをいやがり頭の上によじ登ってくるのだ。
しょうがなく頭の上にのることを許可したフェン。
そんな顛末を知らないフレイヤは頭の上にトカゲを載せたフェンに言葉を失った。
目をこすってみてもやっぱりトカゲがのっている。
ゆっくりと言葉を発した。
「ええと、さっきヴァサームから――」
見なかったことにしたらしい。
ちなみにフェンは頭の上に載せたタルケが想像以上にフィットしていたため、頭の上にタルケがのっていることなど忘れていた。
そんな呑気なフェンはフレイヤが何に言葉を失っていたのか見当がつかず、顔に鼻くそでもついていただろうか、それとも鳥の糞でもついていたか、と見当外れな方向へと思考が行っていた。
「ゴホン、ヴァサームが攻め込まれたそうなの。この町に救援要請が来ているわ」
「ヴァサームが?」
「そう。相手はストリボーグ軍が500人ほど。一刻を争う事態よ」
「500!?何だって急にそんな大人数で!?」
「すぐに出発するわ。あなたも部下たちにすぐに出陣できるように指示を出してきて。それじゃね」