第二章 新たな配属地、アソール
ニーヌがヴァサームへ出発して数日後。
フェンはファンデルに呼び出された。
ファンデル・ニクス
この国の誇る最重要戦力であり、大陸最強と評される人物だ。
そのファンデルはフェンを保護した人物であり、育ての親というべき存在である。
周囲は家族のようなものだと見なしていた。そして、フェンは最近ファンデルと養子縁組を結び、ファンデルの義理の息子となった。
法的にも家族となっている。
「ファンデル様、じゃなかった、父様、失礼します」
「おお、フェンか。とりあえず座ってくれ」
フェンは自宅(ファンデルの家でもある)に戻るとファンデルの部屋へと向かった。
「ニーヌの様子はどうだった?」
「え、ああいつも通りでしたよ。相変わらず俺に暴言吐いてくるし」
「そうか、それはよかった」
「いや、よくないですよ」
不満げな様子を隠さないフェンにファンデルは笑いながら言う。
「良いことなんだよ、フェン。かつてのニーヌの様子を思い浮かべてみろ」
「昔の様子ですか……?」
フェンはニーヌに始めて会った時を思い出した。
あれはイド家に食事に招待されたときのことだ。
――初めまして、えと、フェノア、っていいます。
――ニーヌ。
――えと、同い年なんだってね。ファンデルさんにそう聞いたんだ。
――そうね。
――えと、なんか、怒ってる……?
――いいえ。
――……。
――それじゃ。修行があるから。
棘をむき出しにし、隠そうともしない。
不用意に触れるものを傷つける薔薇のよう。
「会話らしいものは出来たか?」
「いや……」
「話しかければ返答は返ってくる。だが、それだけだ。会話は決して弾まない。私が話しかけても、ティアが話しかけてもそうだった」
「……」
「それでも、そうだな。お前がニーヌに剣術を習い始めた頃からか。徐々にニーヌは色々な人間に心を開いてくるようになった。会話も弾むようになったしな」
「そう、だったのですか?」
「そうだったのだよ、フェン。最初の頃の話の内容は主にお前の愚痴だったがな。だが、それでも大きな進歩だ」
「あの女め……」
「そして、今ではフェンに向かってバカだのアホだの短小だの不能だのと暴言を吐いてくる」
「……シリアスな雰囲気で唐突な下ネタを挟むのは止めてください」
「昔は必要最低限の言葉しか喋らなかったのに、だ」
「――無視ですか、そうですか……」
フェンは嘆息する。最もこのようなファンデルの態度はいつものことなので慣れているのだが。
「ニーヌは変わった。心を開くようになったし昔のように何かに取憑かれたように剣術に打ち込んでいるわけでもない」
「取憑かれたように?」
「ああ。最も本質的な改善はなされていないようだがな。それがなされるには少々時間がなさ過ぎたらしい」
「?」
「まぁ、ニーヌの話はここまでにしよう。本題に入ろう」
「え、あ……はい。それで、何でしょうか」
「フェン、お前の配属先が変更になった。アソールだ」
「アソール?」
「ああ。ここ、アイツヴェンとヴァサームをちょうどつなぐ街だ。更に言えば他の街の主要な補給地点だ。ストリボーグの攻撃を受ければアソールから援軍の兵が出る。兵糧に困ればこの街から補給される。重要な交通の拠点だな」
「いや、そんなことは知っていますが……」
「お前もニーヌと同様に国境線付近の街に配属されるかと思ったが、アイシャ女王のお考えは異なったようだな。その点は幸運だったのかもな。ニーヌが不運だったという意味ではないが」
「いや、幸運とかそう言う意味じゃなく」
「ん、なにか不満か?」
「不満というか……あそこはちょっと……」
「そうか」
にこやかに笑顔で告げるファンデル。予想外の展開に虚を突かれたフェンもすぐに状況を立て直す
「いや、そこは聞き返すところではないのでしょうか」
「とりあえず、本題は以上だ」
「――また無視ですか、そうですか……」
その後もひとしきり長嘆しきったフェンだったがファンデルから伝えられた命令が覆るわけもなくフェンは渋々了承した。
「何でよりによってアソール、かねぇ……」
アソールへの配属。
悪くはない。街は大きく発展した町であるし、治安も良い。
昇進したての中隊長としては文句の無いような条件の街に配属されたフェンだが一つ非常に愁えている事があった。
それは、そこにいる1人の美女の存在。
ニーヌの姉、フレイヤ・イドの存在だった。
「フレイヤ様の居る街か……。何事もなければ良いんだけど、そうはいかねえよなぁ……。俺の純潔もここまでか」
フレイヤ・イドはこの国有数の魔術師として知られている。
天才――天から才能を賦与された人。フレイヤはそう形容されるほどの天才的魔術師であった。
見た目も絶世の美女と評される美貌。イド家の最高傑作と評されている。
フェンはニーヌほどは親しくないがフレイヤともプライベートでの付き合いも数度ある。
だが、フェンはフレイヤを苦手にしていた。
何がと聞かれても曖昧にしか答えられないその理由。
フェンはもどかしい思いだった。
後日。
フェンは自らの部隊を引き連れてアソールへと向かった。
その足取りは重い。
半面、部下たちは美女として有名なフレイヤと同じ街に配属されたことに胸を躍らせていた。
「どうしたんで、フェン様?」
「い、いや、なんでもない」
「そうですかい?なんか滅茶苦茶顔色悪いですよ?」
「いや、だから気にするな。それよりもフレイヤ様について何だが――」
「あ、そうだフレイヤ様!!いや〜楽しみですね〜フレイヤ様に会えるなんて!!俺は遠くで見たことしかないんでフレイヤ様に会うのは凄い楽しみなんですよ!!」
「そうそう!!おかずにするのも恐れ多いようなフレイヤ様と同じ街に配属になるなんてよ〜。ほんっとフェン様の部隊で良かったぜ!!」
「お前ら……。いや、なんでもない」
フェンは街に着いた直後、フレイヤに挨拶に向かった。
付いて来たがった部下もいたが、大勢で付いてこられると邪魔なので荷物の整理などをさせておいた。
フレイヤのもとへと向かう道すがらに町中の様子を観察する。
活気のある町並み。アイツヴェンほどではないが、市民の表情は生き生きとしている。
「へぇ……。意外に元気な町だな。さすがに交通の拠点だけあるか」
フェンは細かく様子を観察し直す。
目を凝らしてみれば、確かに旅人や商人など他の街からやってきたと思われる人間が多い。
辺りを見回していると、ある女性を見つけた
女性にしては高い身長。長い金色の髪の毛と澄んだ瑠璃色の瞳。女性らしい華麗さと包容力を極限まで突き詰めた肉体と天女の再来とまで謳われた圧倒的な美貌。
圧倒的存在感を放つ彼女の周りは周囲の喧噪とは断絶し、時の流れすら周囲とはかけ離れているような感覚を覚える。
フレイヤ・イドだった。
フェンがフレイヤに気付くのと同時、フレイヤもフェンに気付く。
フェンに気付いたフレイヤは真剣な表情から、花開いたような笑顔に表情が一変する。
周囲の人間がそれだけでとろけてしまいそうな笑顔。
フレイヤはフェンに慌てて駆け寄りそのまま抱擁でも交わさんばかりの勢いだった。
訂正。
フレイヤはそのままフェンに思いっきり抱きついてきた。
フェンは動揺を隠しながらフレイヤの細い身体を離す。
「何で離すのよ!!」
「い、いえ。このような周囲の目のあるところでそのように積極的に抱きつかれるのは何かと噂の的となってしまうのでは……」
「あら、フェノアは私と噂になるのが嫌なの?」
「い、いや、そう言うわけではありませんが……」
「そう?じゃあ仕切り直し!もう一度感動の再開を演出するわよ!?今度はフェノアから私に抱きついてくるのよ?」
「いえ、だから、それは勘弁を願いたいのですが……」
しばしのすったもんだ。
周りの見物人も何事かと見ていたが、騒動の中心がフレイヤとフェンだとわかると、みな一様に暖かい表情を浮かべ各々の仕事に移った。
「全く……まぁいいわ。それで、いつこっちに着いたの?」
拗ねたように口をとがらせて言うフレイヤ。
一方フェンは、フレイヤがひとまず落ち着いた事に心の中で大きく息をついていた。
「ええと、先ほどです」
「そう、お疲れ様、フェノア。この町は今のところ落ち着いてる。ストリボーグやガッスルフニンも最近は大人しいみたいだから、しばらくはゆったり出来ると思うわよ」
「そうですか。それは何よりです。それでフレイヤ様おたずねしたいことが――」
フェンは事務的なことを数点尋ねると、フレイヤと別れた。
最も、去り際に今夜の約束を取り付けられたことに嘆息したが。
「フレイヤ様はなぁ……スゴイ美人だし、ああやって積極的なのはうれしいんだけどよぉ……。どうにも俺は苦手なんだよなぁ」
¶
その晩
フェンがフレイヤとの約束の店に向かっている最中、一つの小さな影が目に止まった。
その影の大きさからは子供だろう。女の子のようにも見える。
そうすると、いくら何でもこんな時間に女の子が1人でいるのは些か危険だ。
フェンはとりあえず声をかけることにした。
「なぁ、お前、1人か?」
その影はびくっと震えるとフェンの方を寂しげに見上げた。
黒髪の少女。10歳前後だろうか。
その女の子は小さくうなずく。
「そか、お母さんとでもはぐれたのか?家はどこだ?」
フェンの言葉に少女はやや俯いて、躊躇いがちに右手を挙げて指を指す。
その指さす方向は町外れの山の方向。孤児院のある場所だ。
この町には戦争で親を亡くした孤児達を色んな街から引き取る大きな孤児院がある。
フレイヤがこの町に配属になったときに、フレイヤ様が主導になって創設したのだ。
――お母さんとはぐれた、なんて悪いこと言っちゃったかな。
「ん。あっちか、じゃあ近くまで連れてってやるよ。お前、名前、何ていうんだ?」
「……」
フェンがかける言葉に返事をしない少女。
それでもフェンは気にせずに歩き始めた、のだが。
少女が後ろに付いてくる気配はなかった。
フェンが振り返ってみてもその少女は顔を伏せてボーッとたたずんでいる。
「……なぁ、せっかく人がお前の帰るところまで連れていってやるって言ってるんだから付いて来いっての。怖いおにーさんにいじめられちゃうぞ」
フェンの言葉にフェンの方を指さす少女。
「俺はアナーヒタのちゃんとした兵士だっての。ほら、このまま暗くなっちゃったら危険だろ?帰ろうぜ。連れてってやるから」
女の子は黙ってうなずく。
「だろ?じゃあ帰るぞ。俺がそこまで連れて行ってやるからよ」
そう言って再び歩き始めると女の子はようやくフェンの後ろを付いてきた。
相変わらず顔を伏せ、何もしゃべらないまま。
結局フレイヤとの待ち合わせの店に着いたのは約束の時刻より30分ほど遅れた頃だった。
その女の子を送っていったのだが小さな子供の歩くスピードに合わせたために相当時間がかかってしまったのだ。
当然、フレイヤにもブツブツと小言を言われる。
「せっかくデートの約束を取り付けたのに遅刻してくるなんて」
「いえ、だからすみません……」
「全く、今夜はとことん付き合ってもらうからね」
「……とことん……?」
「そう、もちろん私の家までね。据え膳食わぬは男の恥よ?」
「女性の方からそのような言葉を使うのはどうかと……」
「なに、せっかく勇気を持って誘ってるのに私なんかじゃダメって言うの!?ヒドイわヒドイわ!!」
「いえ、決してそう言う意味では……」
誘惑の言葉に時折挟まれるボディタッチ。
フェンとしては非常に居心地が悪かった。
ちなみに店は普通の普通の大衆居酒屋。
周囲の一般客は思わぬ2人の組み合わせでの登場に聞き耳を立てているものも居たため、フェンとしては更に落ち着かない気分だった。
だが、そんなすったもんだも1時間する頃には落ち着く。
フレイヤもすっかりいつもの様子に戻り、話題はお互いの近況にうつった。
「ニーヌには会ったの?」
「え、あ、はい。いつも通りと言ったように見えましたが」
「そう。それなら良かったわ。ヴァサームに配属になるから気負ってるかと思ったけどそれなら安心したわ」
「はあ、そうですかね」
「ん?何か不満?」
フレイヤは片眉を上げて尋ねる。そしてやや上目遣い気味。
計算してやっているのかと思うが、これがフレイヤの天然と言うことをフェンは知っている。
「いえ、ファンデル様と同じ事を仰るので……」
「ファンデル様も私と同じ考えなのね。そりゃあニーヌは強いわよ。まだ18歳なのにこの国有数の剣士といわれているだけあるし。それでも変に気負っていったらニーヌだってさすがに負けちゃうわよ?」
「はぁ……」
「そうよ。まぁ、フェノアにはあまりわからないかもね」
「どういう意味ですか?」
「ニーヌはあなたのことを気に入ってるみたいだもの」
飲みかけのビールを噴出しかけた。
口から黄金の色を噴出すマーライオン。
「ゴホッ……ゴホッ……。何を変なことを言うんですか!!」
「そのままの意味よ。あ、もちろん恋愛的な意味じゃないわよ?」
「そんなことわかってます!!」
「う〜んと、なんて言えばいいかしら。あの子も色々と苦労してるのよ」
「?」
「そのうちわかるわよ」
「はぁ……?さっぱりわからないのですが……?」
「いいから!!この話はオシマイ!!それよりも、なによ、フェノア、ニーヌのことでも好きなの?」
再びビールを噴出すフェン。
マーライオン、再び。
「だから、何でいきなり変なことを言うんですか!?」
「当たり前じゃない!!せっかく2人きりだって言うのにニーヌの話なんかして」
この話題はフレイヤ様からしてきたのでは?、とはいえないフェン。
地雷原に飛び込む勇気はなかった。
「いえ、ですからそんなことはありませんが……」
「嘘言いなさい!!」
「……いや、ニーヌに対して恋愛感情なんて持っていませんが」
「ホント??」
浮気がばれた夫のように責め立てられるフェン。
フレイヤに責められる言われもないというのに。
「ホントです!!」
「ホントでしょうね。嘘だったら私と今度こそ結婚してもらうからね?」
「はぁ……」
どっと疲れるフェン。
フレイヤはため息をつくフェンの様子を満足げに眺めると、話を変えた。
「そういえば、フェノア。明日孤児院に顔を出してくれない?」
「……また急に話題を変えますね」
「だってさっきのは過ぎた話でしょ?いつまでもフェノアの浮気疑惑を追及してもつまらないもの」
「浮気も何もそもそも俺はフレイヤ様は付き合ってなんかいませ――」
「それで、孤児院に来てもらえる?」
容赦なくフェンのぼやきをぶった切るフレイヤ。
この世界の不条理さを嘆きたかったが、そうも言ってられないので諦めてフェンはフレイヤの流れに乗った。
「……それは構いませんが……どうして俺が?」
「うん。ちょっと頼みたいことがあるのよ」
「頼みたいこと?」
「うん。ちょっとある女の子のことなんだけどね」
フェンの脳裏に先ほどの黒髪の少女が浮かぶ。
最もその子であるという可能性はかなり低いだろうが。
「はぁ……まぁ、出来ることなら何でもしますよ」
「ありがと。ちょっと私だけじゃどうにもいかなくなって、それで誰か相談に乗ってくれそうな信頼できる人が居ないかなぁ、って思ってたの」
思わずフレイヤの顔をまじまじと見てしまった。
そのフレイヤは微かに頬を染めて手元のカクテルを飲んでいる。ちょっと照れているようにも見えた。
こうして普通にしていれば文句なしに可愛いんだけどなぁ、と思うフェン。
さっきまでの様子とのギャップに少々どぎまぎとしてしまった。
「なんというか、そのような言葉をナチュラルに言えるフレイヤ様が少しうらやましいです」
「そう?それなら私の家に来て愛でも交わそうか?」
「いえ、それはご遠慮します」
それでも甘い誘惑にはのらないフェンだった。
その時、酒屋のドアが勢いよく開かれ兵士が息も絶え絶えに入ってきた。
酒屋中の視線がその兵に集まる。
「フレイヤ様!!」
駆け寄るフレイヤとフェン。
フェンは慌ててその兵の背中をさすり落ち着かせた。
その兵にフレイヤが優しく問いかける。
「良いから、落ち着いて。何があったの?」
「……孤児院っ、孤児院に何者かが火を!!」