高城さんは感じが悪い
相沢美月が高城修司を初めて見た時の印象は、最悪だった。
「笑顔、作りすぎ」
それが、最初に言われた言葉だった。
デビューして半年。
まだグループ内でも前列と後列を行ったり来たりしていた頃だ。
雑誌の撮影を終えた美月は、控室でスタッフから渡された水を飲んでいた。
そこへ、新しく担当になったという男が現れた。
三十代半ば。
黒いシャツ。
無造作な髪。
挨拶くらいするのかと思ったら、写真を何枚か確認して、最初に出てきた言葉がそれだった。
「……笑顔ですか?」
「うん」
「笑うなってことですか?」
「そうは言ってない」
高城はタブレットを美月へ向けた。
「これ」
写真には、いつもの美月が写っている。
口角を上げて、少し首を傾ける。
雑誌でもSNSでも何度も褒められてきた笑顔だった。
「何か変ですか?」
「変じゃない」
「じゃあ」
「上手すぎる」
美月は眉を寄せた。
「褒めてます?」
「褒めてない」
「ですよね」
高城はもう一枚写真をめくった。
「こっちはいい」
それは撮影の合間。
カメラマンに何か言われて、美月が思わず笑った瞬間だった。
「こっちの方が相沢っぽい」
「……初対面なのに?」
「今日から担当だから」
「だからって分かるんですか」
「分からないから見るんだろ」
美月は黙った。
感じが悪い。
本当に感じが悪い。
しかも、本人には悪気がなさそうなのが余計に腹立たしい。
高城はタブレットを閉じる。
「明日の収録、朝八時集合」
「知ってます」
「遅れないで」
「遅れたことありません」
「ならいい」
そのまま出ていった。
扉が閉まる。
美月はしばらくそれを見ていた。
「……何、あの人」
横にいたマネージャーが笑う。
「高城さん、結構厳しいよ」
「知ってます。有名ですよね」
「嫌?」
「別に」
美月はペットボトルの蓋を閉めた。
「仕事できるならいいです」
*
翌日の収録前も、高城は感じが悪かった。
「美月」
「はい」
「コメント考えすぎ」
「……はい?」
台本を読み込んでいた美月は、顔を上げた。
「そこ」
高城が台本を指差す。
「自分で書いたの?」
「そうですけど」
余白には、聞かれそうな質問への答えをびっしり書いている。
「消した方がいい」
「どうしてですか」
「つまらなくなるから」
「準備してるんです」
「準備しすぎ」
「失敗するよりいいじゃないですか」
「失敗していいよ」
美月は思わず高城を見た。
「は?」
「その方が多分面白い」
「簡単に言わないでください」
「相沢は失敗しないようにしすぎるんだよ」
「アイドルなんだから当たり前じゃないですか」
「だから面白くない時がある」
言い方。
本当に言い方。
「高城さん、感じ悪いって言われません?」
「よく言われる」
「直さないんですか」
「仕事に支障ないから」
「あります。今」
高城が笑った。
「じゃあ今日は、台本閉じてやってみて」
「嫌です」
「やれ」
「嫌です」
「担当命令」
「横暴」
美月はむっとしながらも、結局台本を閉じた。
高城はそれ以上何も言わず、収録の準備へ戻っていった。
美月はその背中を睨みながら、閉じた台本を膝の上で握りしめた。
腹が立つ。
なのに。
言われたことが、妙に頭に残った。
*
収録が始まる。
台本を閉じたせいで、予定されていた質問への答えも、頭の中から少しずつ抜けていった。
それでも、もう開くわけにはいかない。
高城に負けた気がするからだ。
『相沢さん、最近ハマっていることはありますか?』
「えっと……」
いつもなら、事前に用意していた答えをそのまま言う。
だが今日は、台本を見ていない。
「最近は、寝る前に反省会をすることです」
『反省会?』
「今日の自分、あれでよかったのかなって」
『真面目ですね』
「でも、反省しすぎて寝るのが遅くなります」
スタジオに笑いが起きた。
美月自身も、少し驚いた。
こんなことを言うつもりはなかった。
けれど、口から出た言葉は思ったより自然だった。
『じゃあ、朝は弱い?』
「弱いです」
『意外!』
「今日も五回目のアラームで起きました」
『清楚系なのに?』
「清楚と寝起きは別です」
今度は大きく笑いが起きた。
『ちなみに寝起きはどんな感じ?』
「見せられません」
『アイドル的に?』
「人間的にです」
さらに笑いが起きる。
収録が終わる。
美月は真っ先に高城のところへ行った。
「……どうでした」
「良かった」
「それだけ?」
「何が」
「もっとないんですか」
「面白かったよ」
美月は少しだけ口元を緩めた。
「そうですか」
「でも後半、また作ってた」
笑顔が消えた。
「一言余計です」
「そこ直せばもっと良くなる」
「ほんと感じ悪い」
「でも、台本読まない方が良かっただろ」
美月は言葉に詰まった。
「……たまたまです」
「そういうことにしとく」
「何ですか、その言い方」
「次も読まずに行けよ」
「嫌です」
「何で」
「今日うまくいったからって、毎回うまくいくとは限らないので」
「じゃあ、次に失敗したら台本読めばいい」
「最初からそう言ってください」
「最初から言ってる」
「言い方が悪いんです」
高城が笑った。
美月はまた腹が立った。
なのに。
その日から、収録前に台本を閉じるかどうかで、高城と小さな言い合いをするようになった。
*
三か月も経つと、二人の会話はだいぶ雑になっていた。
「修司さん」
「職場で下の名前で呼ぶな」
「じゃあ高城さん」
「何」
「コーヒー」
「自分で取れ」
「喉乾きました」
「水あるだろ」
「コーヒーがいいです」
控室。やっぱ
他のメンバーは衣装合わせに出ている。
美月はソファに座ったまま、手を伸ばした。
「お願い」
「俺プロデューサーなんだけど」
「担当アイドルを労うのも仕事でしょ」
「いつからそんな偉くなった」
「売れてきたので」
「言うようになったな」
そう言いながらも、高城はコーヒーを取った。
「はい」
「ありがとうございます」
「最初からそれ言え」
美月は受け取る。
一口飲んで、眉を寄せる。
「ブラック」
「いつもブラックだろ」
「今日は甘いのがよかった」
「知らん」
「気が利かない」
「じゃあ返せ」
「嫌です」
美月はカップを抱え込む。
高城が呆れたように見る。
「お前、テレビと全然違うな」
「誰のせいですか」
「俺?」
「修司さんの前だと、ちゃんとしても意味ないから」
「ちゃんとしてたんだ」
「してますよ」
「ふうん」
「何ですか、その顔」
美月が睨む。
高城が笑う。
最初は、その笑い方も嫌いだった。
人のことを見透かしているようで。
でも最近は。
少しだけ。
本当に少しだけ。
嫌いじゃない。
「次、十五分後」
「分かってます」
「台本見た?」
「見ました」
「考えすぎるなよ」
「もう分かってます」
「ならいい」
高城が出ていこうとする。
美月はなんとなく呼び止めた。
「修司さん」
「だから職場では」
「今日の衣装どうですか」
高城が振り返った。
白を基調とした衣装。
肩が少し出ている。
いつもより大人っぽい。
「いいんじゃない」
「それだけ?」
「似合ってる」
「……そうですか」
「何」
「別に」
美月はコーヒーへ視線を落とした。
高城が数秒見ている。
「可愛いよ」
美月が顔を上げる。
「え」
「衣装」
「……ああ」
「何だよ」
「何でもないです」
美月はカップに口をつけた。
少し熱かった。
*
その頃には、美月の仕事は明らかに増えていた。
グループでの立ち位置も前になった。
単独のバラエティ。
雑誌。
CM。
そして小さなドラマの出演まで決まった。
「修司さん」
「何」
「これ」
仕事終わり。
美月がスマホを差し出した。
SNSには、美月の演技を褒めるコメントが並んでいる。
「見た」
「どうでした?」
「何が」
「演技」
「良かったよ」
「具体的に」
「面倒くさいな」
「言ってください」
「最初より自然だった」
「他には」
「泣くところ良かった」
美月が満足そうに笑った。
「でしょ?」
「自分で言うな」
「だって頑張ったから」
「知ってる」
その一言で、美月は黙った。
「何」
「……何でもない」
「変なの」
高城は先を歩く。
美月はその背中を見ながら、少しだけ笑った。
高城は褒めない。
ほとんど。
でも見ている。
いつも。
誰よりも。
だからなのかもしれない。
他のスタッフに褒められるより。
ファンから何百件コメントをもらうより。
高城の一言が一番嬉しくなっていることに、その頃の美月はまだ気づかないふりをしていた。
*
最初に気づいたのは、たぶん嫉妬だった。
事務所の廊下。
美月は仕事を終え、控室へ戻る途中だった。
曲がり角の向こうから、高城の声が聞こえる。
「じゃあ、それでお願いします」
「本当に助かりました」
女性の声。
見ると、若い女性スタッフが高城と話していた。
美月も何度か会ったことがある。
ドラマ制作会社の人。
「高城さんって、思ったより優しいんですね」
「思ったよりって何ですか」
「怖い人だと思ってました」
「よく言われます」
「今度飲みに行きません?」
美月の足が止まった。
「時間あれば」
「絶対ですよ」
「はいはい」
女性が笑う。
高城も笑った。
それだけ。
本当にそれだけだった。
なのに。
美月は妙に腹が立った。
「美月?」
後ろからマネージャーに呼ばれ、我に返る。
「何してるの?」
「……別に」
その日の美月は機嫌が悪かった。
「コメント硬い」
「分かってます」
「分かってるなら直せ」
「今やってます」
「何怒ってんの」
「怒ってません」
「怒ってるだろ」
「怒ってないです」
高城がじっと見る。
「何」
「……何ですか」
「いや」
「何」
「面倒くさい日だなと思って」
美月は思い切り睨んだ。
「誰のせいですか」
「俺?」
「知りません」
「理不尽」
その日の仕事が全部終わった頃には、夜十時を過ぎていた。
美月は控室で着替えを済ませる。
高城は廊下で電話していた。
その横を通り過ぎようとして。
止まる。
「修司さん」
「ん?」
「今日、ご飯行きません?」
高城が電話を切る。
「急だな」
「嫌ならいいです」
「行くよ」
即答だった。
美月は少しだけ驚く。
「……行くんだ」
「誘ったのそっちだろ」
「そうですけど」
「何食べる?」
「何でも」
「一番困るやつ」
「じゃあ焼肉」
「アイドルが夜十時から?」
「明日午後からだからいいんです」
「はいはい」
*
二人で食事に行くこと自体は、初めてではなかった。
仕事の合間。
スタッフ込み。
打ち合わせ。
そういうものなら何度もある。
でも二人だけは初めてだった。
「何か変ですね」
「何が」
「二人でご飯」
「誘ったのお前だろ」
「分かってます」
「じゃあ言うな」
小さな焼肉店。
個室。
美月は帽子を深くかぶっている。
「修司さん」
「ん?」
「今日、あの人と何話してたんですか」
「誰」
「制作会社の」
高城が箸を止める。
「ああ」
「飲みに行くんですか?」
「まだ決めてない」
「行くんだ」
「何で怒ってんの」
「怒ってません」
「またそれ?」
美月は肉をひっくり返す。
「別にいいですけど」
「うん」
「好きにすれば」
「うん」
「……何ですか」
「何が?」
「普通、もう少し言うことないですか」
「例えば?」
「……知りません」
高城が笑う。
「美月」
「何」
「嫉妬してる?」
美月の箸が止まった。
「は?」
「違う?」
「違います」
「即答」
「違います」
「じゃあいいけど」
「何ですか、それ」
美月はグラスの水を飲む。
少し勢いがよすぎてむせた。
「大丈夫?」
「……大丈夫です」
「分かりやすいな」
「うるさい」
高城が笑っている。
腹が立つ。
でも。
完全に否定できない自分にも腹が立った。
「じゃあ逆に聞きますけど」
「何」
「私が誰かと付き合ったら、修司さんどうします?」
高城の表情がほんの少し止まった。
それを、美月は見逃さなかった。
「別に」
「……ほんとに?」
「お前も大人だし」
「じゃあ誰でもいいんだ」
「そうは言ってない」
「俳優とかでも?」
「仕事に影響出ないなら」
「アイドルでも?」
「まあ」
「一般人でも?」
「しつこいな」
美月はじっと高城を見る。
「嫌じゃないんですか」
「何が」
「私が誰かと付き合うの」
高城は少し黙った。
焼ける肉の音だけがする。
「美月」
「はい」
「その質問、どういう意味」
今度は美月が黙る番だった。
「……別に」
「別にじゃないだろ」
「じゃあ修司さんは?」
「何が」
「私のこと、どう思ってるんですか」
言ってから、心臓が大きく鳴った。
高城がまっすぐこちらを見る。
美月は逃げたくなった。
でも逃げたら負けな気がして、睨むように見返した。
「担当アイドル」
「それだけ?」
「……何を言わせたいの」
「別に」
「またそれ?」
高城が息を吐く。
しばらくして。
「可愛いと思ってるよ」
美月が目を瞬く。
「アイドルとして?」
「それ聞く?」
「聞きます」
「面倒くさいな」
「答えて」
高城が視線を外した。
その瞬間だった。
美月は分かってしまった。
この人も。
たぶん。
少しは。
「修司さん」
「何」
「今、目逸らしましたよね」
「逸らしてない」
「逸らした」
「うるさい」
美月の口元が少し緩む。
「もしかして」
「何」
「私のこと好きなんですか?」
「調子乗るな」
「違うならこっち見てください」
高城が美月を見る。
美月も見る。
数秒。
どちらも笑わない。
先に目を逸らしたのは、高城だった。
「……ほら」
「うるさい」
美月が笑った。
「やっぱり」
「違う」
「じゃあ何ですか」
「お前だから困るんだよ」
美月の笑顔が止まった。
「……え」
高城も言った後で気づいたらしい。
黙る。
「今の」
「忘れろ」
「嫌です」
「忘れろ」
「無理」
美月の胸がうるさい。
「どういう意味ですか」
「そのまま」
「分かりません」
「嘘つけ」
「ちゃんと言ってください」
高城はしばらく美月を見ていた。
それから頭を掻いた。
「お前、アイドルだろ」
「はい」
「俺、担当だろ」
「はい」
「面倒になる」
「何が?」
「全部」
美月は少しだけ俯いた。
「じゃあ」
「ん?」
「私じゃなかったらいいんですか」
「何が」
「好きになっても」
高城が黙る。
美月は顔を上げた。
「私じゃなかったら困らない?」
「……そういう意味じゃない」
「じゃあ」
美月は自分でも驚くほど、真っすぐ言った。
「私が修司さんを好きでも?」
高城の顔から表情が消えた。
「美月」
「はい」
「それ、本気?」
「本気です」
言ってしまった。
途端に恥ずかしくなる。
美月はグラスへ視線を落とした。
「……多分」
「多分?」
「だって、さっき気づいたから」
「今?」
「今」
「遅くない?」
「うるさい」
高城が笑った。
それが少し悔しくて、美月も笑う。
「でも」
美月は続けた。
「他の女の人と楽しそうに話してるの、嫌でした」
「それで機嫌悪かったの?」
「はい」
「子供か」
「うるさい」
「それでご飯誘った?」
「……はい」
「分かりやすすぎるだろ」
「だから笑わないでください」
美月は頬を膨らませる。
高城はしばらく笑っていた。
でもやがて、真面目な顔になる。
「付き合うのは簡単じゃないぞ」
「分かってます」
「バレたら面倒」
「分かってます」
「仕事にも影響する」
「分かってます」
「俺はお前の担当」
「それも分かってます」
「じゃあ」
美月は遮った。
「アイドルとして聞いてません」
高城が黙る。
「相沢美月として聞いてます」
「……ずるい言い方するな」
「修司さんに教わったので」
「俺そんなこと教えた?」
「本音で喋れって」
「あれは仕事の話」
「知りません」
美月は笑った。
「で?」
「何が」
「修司さんは?」
「……何が」
「私のこと」
高城がため息をつく。
「可愛いよ」
「だからそれ、アイドルとして?」
「違う」
今度は美月が黙った。
言わせたかったくせに。
実際に言われると、顔が熱くなる。
「何照れてんの」
「照れてません」
「赤いけど」
「暑いんです」
「個室寒いけど」
「うるさい」
高城が笑った。
*
店を出たあと。
二人は少し離れて歩いた。
美月は帽子とマスク。
高城は少し前。
いつもの仕事帰りと変わらない。
なのに。
何もかも違って見えた。
「修司さん」
「ん?」
「これ、付き合ってるんですか?」
高城が足を止める。
「そこ確認する?」
「だってちゃんと言ってない」
「言ったようなもんだろ」
「嫌です」
「何が」
「ちゃんと言って」
「面倒くさいな」
「言ってください」
高城が周りを見る。
人はいない。
少し暗い路地。
「美月」
「はい」
「俺と付き合う?」
美月は数秒黙った。
「……はい」
「即答だな」
「待ってたので」
「さっき気づいたくせに?」
「それとこれとは別です」
「何だそれ」
高城が笑う。
美月も笑った。
でも。
そのまま二人とも動かなかった。
「……帰らないんですか」
「お前が帰らないから」
「修司さんが帰らないからでしょ」
「じゃあ帰る?」
「……帰ります」
そう言ったのに、美月は動かなかった。
高城も動かない。
数秒。
目が合う。
美月の胸がまたうるさくなる。
「美月」
「はい」
高城が少し近づいた。
美月は反射的に周りを見る。
「ここでするんですか」
「嫌?」
美月は高城を見る。
思ったより近い。
「……何を?」
「分かってるだろ」
「分かりません」
「じゃあやめる」
高城が一歩引こうとした。
美月は咄嗟に袖を掴んだ。
「……それはずるい」
「何が」
「聞いといて」
「嫌じゃないの?」
美月は少しだけ俯いた。
「……嫌じゃないです」
「じゃあ」
高城がもう一度近づく。
美月は今度は逃げなかった。
最初のキスは、本当に軽かった。
触れるだけ。
すぐに離れる。
美月はしばらく何も言えなかった。
「……何」
高城が笑う。
「別に」
「顔赤いよ」
「うるさい」
「アイドルなのに?」
「関係ないでしょ」
「清楚系」
「今それ言ったら怒りますよ」
高城がまた笑った。
美月はむっとする。
「何ですか」
「いや」
「何」
「可愛いなと思って」
美月は黙った。
そして高城の服を掴んだまま、少しだけ引いた。
「……もう一回」
「え?」
「聞こえたでしょ」
「何て?」
「嫌い」
「はいはい」
今度は高城から近づいた。
二度目は少し長かった。
唇が離れる。
美月は目を開ける。
すぐ近くに高城の顔。
さっきまで仕事の話をしていた人。
ずっと感じが悪いと思っていた人。
自分を一番見てくれていた人。
美月は少し笑った。
「修司さん」
「ん?」
「最初、ほんと嫌いでした」
「知ってる」
「今も結構嫌いです」
「それ告白の後に言う?」
「感じ悪いし」
「はいはい」
「すぐからかうし」
「うん」
「褒めてくれないし」
「褒めてるだろ」
「少ない」
「面倒だな」
美月は笑った。
「でも」
高城を見る。
「好きです」
今度は、自分から少しだけ近づいた。
唇が触れる直前、高城が止まる。
「美月」
「何ですか」
「人来た」
「え」
美月が飛び退いた。
遠くから人の声。
二人は何事もなかったように離れる。
美月はマスクを直した。
「……危なかった」
「アイドルだからな」
「誰のせいですか」
「俺?」
「修司さんがキスするから」
「二回目はお前が要求した」
「してません」
「した」
「してない」
「もう一回って」
「言ってません」
「言っただろ」
美月は高城の腕を軽く叩いた。
「痛い」
「知りません」
高城が笑う。
美月も、マスクの下で笑った。
その日から二人は、仕事ではプロデューサーとアイドル。
二人きりになると、少し口の悪い恋人同士になった。
そして後になって高城は思う。
この頃はまだ知らなかった。
相沢美月という女が、恋人になった途端どれだけ遠慮をなくすのか。
美月の方も知らなかった。
高城修司をからかうことが、いつの間にか自分の一番好きな遊びになることを。
最初は、たった二度のキスだった。
それだけで十分だった。
二人の距離を壊し始めるには。




