賭け
カビ臭い地下室。十人が十人いれば怪しいと答えるようなこの部屋で今まさに手術が行われていた。
冷たい手術台に横たわるのはルオ。手術室にいるのはルオを含めた四人。この場にいる全員が現在自分の置かれた状況のため必死になっていた。各々の複雑に絡み合った事情により、事態はまさかの方向に進もうとしていた。
その中でも特に何も理解せず、最も楽観的にこの場にいるのがルオだった。そんな彼がこんな場所にいる理由を説明するためにはまず今から3時間前に遡る。
鑑定士の温情で手に入れた3000ブルを手にルオが向かったのは市場だった。ここなら保存の効く食べ物も、衣類、救急用具、武具なども手に入る。店選びと値切りがうまくいけば店舗を持つ店より何倍も安く揃えることが出来た。
ただ、ルオにそんな考えがあるはずもなく、そもそも買い物は市場しか利用したことがない。初めてといっていい財布の潤い具合にルオは自分がなんでも買えるようになったと錯覚する。
初めに寄った店は保存食から生鮮商品まで扱う何の変哲もない屋台。様相から貧民街の来客という理由で始めは怪訝な態度を見せられたが、金を見せるとさっさと買って出て行けと対応は変わる。
盗んだ時以来の新鮮な野菜との再会に喜びつつ、ルオは手始めに干し肉を手に取る。知識のないルオでも生肉はすぐに腐り、長期保存するのに向いていないことは知っていた。それ以前に生の肉を焼いて食べたことが無いため、ルオは生肉に惹かれることはなく干し肉を選び取った。
他にも買おうか悩んでいたルオだが、店主から麦やパンは戦地に行けば酒保商人から買えば良いと教えられたため、赤く熟れた果実を三つ追加で手に取り会計を終わらせた。
この時点で気がつくべきだった。ルオは気分良く次の店へ向かう。次に買うのは鞄や靴、そして身を守る防具の予定だった。しかし、
「その端金で何が買えると思ってる!さっさとどっかに行っておくれ!」
さっきも同じように金を見せたルオが受けた仕打ちは今までと同じ物だった。
市場の者は特に貧困街の者に厳しい。単純に店前に立たれると客が寄り付かないみたいな理由もあるだろうが、ほとんどは盗みを警戒しているためだった。
特にルオが訪れた革細工や加工を行う衣料、防具店からすれば一つ盗まれるだけで大きな損害になる。
相場も知らないルオからすれば納得できない対応だが、彼の手持ちは残り1700ブル。追い出されたこの店で扱う一番安いものでも1500ブルはくだらないため、追い出されて当然の結果とも言えた。
削った干し肉ではなく、丸々一本の足ごと買ったのが良くなかった。しかし、そんな事を知らないルオは干し肉を握りしめたまま、果実を齧り頭を悩ませていた。そんなルオの頭上から声が降ってくる。
「そんなところで何してるのかな?少年くん。」
またどこかに行けと言われるのだろうとルオはのそのそと立ち上がりその場を去ろうとする。
「おーっと、違う違う。単純な質問だよ。少年くん。君は何してるのかなって?」
「単純??」
「簡単なって事だよ。こんな路地でアイプを齧りながら、右手に干し肉を握ってるなんて普通の光景じゃ無いからね。」
「あぁ、これならやらねぇぞ。俺の全財産みたいなもんだからな。まぁ、3000ブルくれるって言うなら、一口舐めても良い。」
男は、はははと笑いを漏らしながらルオの提案を断りつつ、会話を続ける。
「君は貧民街の少年くんだろう?ここで何をしてるんだい?」
「おっさんも、出てけって言うのか?まぁそれならそれで良いけどよ、もういっそのことこのまま行くことにするか、」
「おっとっと、少年くん。勝手に話を進めないでくれ。私にわかりやすいように話してくれないかな?なにぶん、私は他の人より頭が空っぽだからね。」
「なんだそれ、」
ルオはヘラヘラと笑いながら今日あったこと、そしてこれから自分がやろうとしている全てを話した。自分でも意外だったがルオはまだ誰かとの対話に飢えている少年だった。除け者扱いされるより、こうやって話を聞いてくれることがどれだけ嬉しかったか。落ち込んでいた気持ちも話していくうちにほぐれていった。
「少年くん、君はここで一つ賭けをしないかい?」
仕立てのいい背広を着たその男はルオの話を聞き終えた後でそう尋ねる。ルオと目を合わし、ルオの意思を尊重するように問う。ルオは賭けるなんて言葉の意味をよく理解していなかった。いつもなら自分を騙すために話のだと決めつけていたかもしれない。けれど、ルオはこの時――
「あぁ、そうするよ。おっさん。」
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[フィール]
かの国は揺れていた。それは愛国心故なのか、それとも恐れか、畏怖か。つい3日前まではこの揺れ、震えが魂から漏れる激情、衝動、そして歓喜だった事は確かだった。しかし、この勢いをあの国がほっとくはずが無かった。
『ナリ』からの宣戦布告。これだけを恐れてほとんど属国のような生き方をする国だって珍しく無い。そもそも、『ナリ』に非協力的だったと言う時点で異端だと言うのにいつの間にか敵国として認定されてしまった。
巨神兵を堕とした事による流れは現在もフィールに付いているが、それがどれだけ持続するのかわからない。
『ナリ』へ非協力的な国からは次々と祝いの品と援助が届いていて、匿名という形で属国扱いから逃げたいあちら側からも同じ量かそれ以上の物資が届いている。
この現状にフィールは揺れている。継続か、降参か、勢いに乗る軍部はこの機を逃すまいと王に継続を迫る。
それに対抗する穏健派の憲兵、後宮は降参を訴えているが民意に押し出される形で戦線には軍備増強が進められていた。最終決定は王の判断に委ねられるが、フィールは数々の王権制の国の中でも民主的な判断を取る事が多く、民意が降参に傾かない限りは現状維持が続く。
「あの馬鹿者を連れて参れ、」
フィールの王アシマキはため息を漏らしながら侍女に命じる。馬鹿者というのは第三夫人の子で、唯一軍部を応援する四男ダイタルの事だった。
前述の通り、後宮は我々の血を絶やしてはならないそのためには降参しか道はないと、有権貴族や有力商人や首長などに民意を動かすように働き回っている。王アシマキは後宮の動きを邪魔する事なくそれも一つの意思だと放置していた。
息子や娘たちの半数は元々他国へ研鑽のため留学しているため、残されている者たちは母たちの影響もあり降参を訴える。それが当然の行動とも言えた。しかし、ダイタルだけは違っていた。
「親父殿!お呼びでしょうか!」
「ダイタル、お前はいつから将校になったのだ?」
「いえ、私が将校など。滅相もありません。余りあるお言葉。」
「それならばなぜ、中庭にあんなものを建てたのだ?」
「それは、母様たちが民から集めた税を使い、臣民の意見を捻じ曲げようとしているからです。」
「捻じ曲げるとな?」
「はい!後宮の者たちはフィールだけでなく隣国の商人にも金を握らせ様々な方法で民意を挫こうとしております。はじめは母様達を後宮に閉じ込めてやろうとも考えましたが、それでは同族になってしまうと立札に留めたのです。」
ダイタルは真っ直ぐな目で父であり王のアシマキの目を見つめる。
「その言葉は真なのか?」
「その言葉とは、」
「後宮が、隣国に金を流して臣民の心を荒らそうとしている事だ。」
ダイタルは唾を飲み込む。アシマキの目つきが父から王へと変わりその言葉がドシンと重く降りかかる。緊張感に包まれた執務室は侍女達が頭痛を感じるほどの圧を生んでいた。
「真にございます。」
「ならばその証拠持って来い。日はそこまで待ってはくれぬぞ。」
「直ちに!」
ダイタルは執務室の扉の前で再びを頭を下げてから、準備を始める。
「サイン、クライス、いるか?」
「「ここに、」」
音もなく現れた二人にダイタルは指示を投げる。
「サインは隣国との国境を、クライスはそうだな、」
「一つよろしいですか?」
「申せ」
「金の流れはドバが徹底的に洗っています、サインが現地を回るのであれば証拠は確実に集まるかと。それならばトロツクの件を片付けるのがよろしいかと、」
「そうだな。戦争が長引かせないためにも、トロツク案は早めに動くべきか。では、クライスは器を探せ。なるべく我が臣民ではなく他国の、それも数を用意できる方がいい。頼めるか?」
「お任せください。」
「では、行け。」
ダイタルの指示で二人は再び音もなく消える。コツンコツンと大理石の上を歩くダイタルの足音だけが暗闇に響いていた。
読んでいただきありがとうございます。
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