18.女神ヘスラの所業
「オレぁまだ人間界で生きていた頃、妻と娘と花屋を経営していたんだ……」
過去を懐かしむように、ハリスは灰色の瞳を細めて、ゆっくりと昔話を始めた。
***
「今日は日差しが強くてたまんねぇよ……」
ある夏の日。雲ひとつない澄んだ青空の下で、ハリスは町外れにある井戸から水を汲む。水を一杯にした手桶を持ち上げ、町の中心街にある花屋へと向かって歩き出した。
「よぉハリス。精が出るな!」
「おうよ」
女神像が祀られた街の中央広場で、いつもすれ違う料理屋の店主と言葉を交わす。そうして今日も、いつも通りの平凡で幸せな生活を送ると……そう思っていた矢先……。
「やべっ……」
足元に転がっていた石に足を取られた。
バシャアァァアァン!
転んだ拍子に手放してしまった手桶が、水を撒き散らし地面に落ちる。そしてその水は、広場に水溜りを作り上げた。
「くっそ……汲み直しかよ……」
地面についた肘や手のひらの土を払い起き上がる。その時、ハリスの目には、女神像の足先に僅かにかかった水滴が映る。その途端、さっきまで晴れていた空は一瞬のうちに分厚い雲に覆われた。
「これは……やべぇ」
咄嗟に女神像の前に跪き、ハリスは地面に頭を擦り付ける。
「女神ヘスラ様。どんな罰でも受けます。どうか愚かな私をお許しください!」
「許す訳がないでしょう! このあたしの美しい石像を汚した。この罰はあなた一人で償えると思わないことね!」
女神の声がハリスの脳内に直接語りかけてきた直後、
ドゴオォォン! ズシャァァン!
すぐ先にあるハリスの花屋に、幾度となく雷が降り注ぐ──妻と娘が待っている花屋に……。
「そん……な……」
急いで店に駆け寄るハリス。見ると、跡形もなく粉々に焼かれた店の中に二つの人影があった。
「ミーナ……ナオ?」
妻と娘の名を呼び、ふらついた足取りで花屋があった敷地に入る。……そこには、黒焦げになった大人と子供の死体が転がっていた。
「どうしてこんな……」
「あなたはあたしの像に穢らわしい水をかけた。……この二人が死んだのは、全部あなたの罪のせいなのよ」
悲痛な顔で静かに泣くハリスに、女神はなおも囁く。
「この二人の魂は完全に破壊したわ。だから天国にも地獄にも行けない。けれど、あなただけは地獄に落としてあげる。……この美しいあたしに水をかけるような行為をしたあなたは、永遠に地獄で苦しむといい!」
***
「そんなことが……」
話を終えたハリスは、なんでもないように笑みを浮かべる。だがその笑顔は、俺の目には作り笑いにしか見えなかった。
「ほんと、最低な女神さまだよ──ヘスラは」
あのクソ女神! ハリスさんにまでそんなことをしたのか。何が神だ、何が世界を統べるものだ! ヘスラ、ただの外道ではないか!
俺は衝動のままテーブルを叩いた。そしてハリスに向き直る。
絶対の力を持ちながら気まぐれで人を捌く──善人を地獄に落として殺人鬼には加護を与える。魔王よりも余程タチが悪い。
「ハリスさん。あのヘスラとかいう最低な女神には必ず、俺が地獄を見せてやりますよ。……それで、娘さんや奥さんが帰ってくるわけではないが、あの女神をハリスさんの前で土下座させると約束する!」
俺の言葉に、二人は驚いて口をポカンと開けた。けれどすぐ、ハリスは俺の真剣な瞳を見て微笑んだ。
「そぉか。確かに兄ちゃんなら出来るかもしれんなぁ……。楽しみに待ってるぞ!」
***
人間界へ出立する当日。魔王城の最奥にある部屋に、門を開くネルと人間界に行く俺とマゾエスが集まっていた。
「ルーカス、マゾエス。準備は良いか?」
「ああ」
「もちろんよ」
俺とマゾエスは真剣な眼差しでネルを見返した。その途端、それと、とネルが口を開く。
「此度の人間界行き、妾も同行することにした。よろしく頼むぞ二人とも」
……はっ? 聞き間違いか?
「ええと、ネル様も人間界に行くと言うのは……冗談?」
「何を言うか。妾は本気だ」
どうやら、本当にネルも人間界に行くらしい……。
女物のピンクのワンピースを着たマゾエスは平然とネルを見ているため、おそらく事前にこのことは知っていたのだろう。
「では何故、ネル様自ら人間界に行くのですか?」
「それはっ……此度の件は多くの人命に関わるからであって……」
視線を逸らし、紫色の横髪を指で弄りながらゴモゴモと答えるネル。そんな彼女を横目に、マゾエスが俺の背を叩いた。
「もうっ、そんなこと女の子に言わせるんじゃないわよ! ……ネルちゃんはね、ずっと前からルーカスちゃんのファンなのよ」
「はっ? 地獄の王が、俺のファン?!」
「そうよ。気づいて……」
「マゾエス! 何をいい加減なことを……ふぎゅっ」
俺のファンであることを否定しようとしたネルの頬を両手で挟み込むマゾエス。彼は真剣な目でネルを諭す。
「ネルちゃん。こういう時は素直になりなさいな……でないと一生後悔することになるわよ」
「うっ……」
逃げようと抵抗するネルを押さえつけ、マゾエスはなおも真っ直ぐにネルの目を見つめる。そして、ネルは諦めたようにため息を吐いた。
「そ……そうだ。妾はルーカス様のファンなんだ……悪いか!」
モジモジしながら顔を紅潮させ、ファンであることを認めたネル。そんな彼女の姿を見て俺は、
可愛いな……。
体の奥から保護欲のようなものが湧き上がってきた。
バリッ!
「ほれ、さっさと行くぞ!」
ネルがヤケクソのように手を乱雑に振り上げると空間が歪み、門が現れる。俺は深呼吸をして心を落ち着けると、
「行こう」
門に足を踏み入れた。
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