第八話 エスプラネード通り
ケアンズに到着してからの数日間、
私は、エスプラネード通りに面したバックパッカー向けの宿に滞在していた。
この通りには、格安の宿泊施設のほか、
多国籍のレストランやカフェが軒を連ね、
グレートバリアリーフやキュランダ観光を扱うツアー会社が、派手な看板を掲げていた。
通りの向こう側は海——
そう聞いていた私は、きっと南国らしい白い砂浜と、
青く澄んだ珊瑚の海が広がっているのだろうと想像していた。
だが、実際に目にした風景は、
想像していた“南国の海”とはまるで違っていた。
そこには、波音のない海と、広がるマングローブの林。
遠浅の干潟のような場所に根を張る木々が、風に揺れていた。
ここは本当に“海”なのか?
**
このエスプラネード通りには、毎日、たくさんの“外国人”が集まってきていた。
旅人、学生、労働者、あるいはただぶらぶらしているだけの者たち。
けれど、次第に気がついた。
ここで言う“外国人”とは、一体誰のことなのか?
オーストラリアは多民族国家だ。
肌の色も、話す言葉も、歩き方さえも、まるでバラバラだ。
——一体、誰が“地元の人”で、誰が“よそ者”なのか?
日本にいた頃のように、見た目で判断できるような世界ではなかった。
そう考えてみると、「外国人」という言葉自体が、意味をなさなくなってくる。
気がつけば、自分の感覚の“ものさし”が、少しずつ揺らいでいくのを感じていた。
そう思うほどの、静かで不思議な光景だった。
でも、その“違和感”が、逆に心に残った。
海辺なのに、砂浜ではなく、海水浴客もいない。
でも、どこか生き物たちの気配に満ちた、静かな場所だった。
——今でもときどき思い出す。
ケアンズ最初の数日間。
私の中で“海”という概念が、ほんの少しだけ書き換えられた日々だった。
**
このエスプラネード通りには、さまざまな事務所が軒を連ねていた。
中でも特に目を引いたのが、**「ダイバー養成コース」**の看板。
Open Water
最も基本的なダイビング資格らしい。
“たった1日で取得可能”という謳い文句に、心が少しだけ動いた。
でも、実際のところ、当時の私は、
一日をまるごと費やす余裕もなければ、
その料金に飛びつけるほどの経済的な余裕もなかった。
だから私は、体験ダイビングの半日コースを選んだ。
観光客向けの、ほんの“さわり”のコース。
それでも、船に揺られて辿り着いたグリーン島の近海で、
ベテランのダイバーに手を引かれながら、
青い海の底に潜ったあの瞬間のことは、今でも忘れられない。
光の屈折の向こうに、色とりどりの魚たちが舞い踊っていた。
あの時、確かに私は、
“水の中の世界”に、ほんの少しだけ触れたのだ。
——あの体験をきっかけに、本格的なダイビングを始める人も多いんですよ。
そうガイドは言っていたけれど、私はその一歩を踏み出すことはなかった。
でも不思議なことに、帰国後もずっと、
街中や本の中で「Open Water」の文字を見るたびに、
あの時の静けさと、水の冷たさと、青さが、ふっと甦ってくるのだった。