第五話 静かな時
話は少し巻き戻る。
私がシェアハウス(Share Accommodation)で暮らしていたのは、
ご夫妻が住む一戸建ての住宅の一室を借りる、いわば**“間借り”のような生活**だった。
ご主人はトルコ系のイギリス人、奥様は大阪出身の日本人女性。
……思えば、ワーホリ中、何かと大阪人と縁がある旅だったように思う。
家はシドニー郊外のCatherine St.にあった。
うろ覚えだが、鉄道の通らないエリアで、
それでもCentral駅から47番のバスで20分ほどという、
意外にアクセスの良い場所だった。
このCatherine St.、どうやらイタリア人街の近くだったようで、
休日の朝には、よく住人たちで連れ立ってBAR Italiaというカフェに行った。
注文するのは決まってカフェラッテ。
シドニーの青空の下、ちょっと洒落たカフェでコーヒーを飲む――
そんな“シティライフ”に、私はすっかり心を掴まれていた。
リビングルームには、大阪出身の奥様の愛読書が並んでいた。
内田康夫先生の推理小説シリーズ。
軽井沢のセンセとしてご本人も登場する、浅見光彦シリーズを、
時間のあるとき(いや、正確には二日酔いで外出する気力のない日)に、
読みふけったことをよく覚えている。
どこかで知っていた日本語のリズムと、
静かに展開する物語に、私はたびたび救われていた。
ちなみにこの家には、あのヒトミを二度泊めたことがある。
もちろん、さすがに同じ部屋に泊めるわけにもいかず、
リビングルームに布団を借りて、簡易な寝床を作った。
ヒトミは相変わらず朗らかで、
「シドニーでこんなにゆっくりするの、久しぶり」と笑っていた。
この**“間借りの一夜”**も、
今となっては、静かで優しい思い出だ。