【第7話】 『迷宮攻略は契約違反!? 冒険者ギルドと一騎討ち!』
静かな午後、相談の合間。
俺は珍しく書類の山から解放され、分厚い書籍に目を通していた。
「……種族文化学概論、第十二章。獣人族の毛皮手入れは“礼儀”であり、無断で触れると“婚姻意思の表明”と誤解されることがある、か。……おいおい」
思わずツッコミを入れたくなる内容だ。
しかしこれも、異世界弁護士として生きる以上、知っておかねばならない“地雷原”の一つ。
目の前の机には、種族文化学・異種法概論・貴族行動規範・神殿法史・モンスター語初級編など、タイトルだけで気圧される専門書が積まれている。
「はぁ……現世の司法試験のほうがよっぽど楽だったな」
ぼやきながら、次の章をめくる。
『ドラゴン族の言語体系は炎と咆哮による共感伝達が主であり、直訳が困難な場合が多い』
「……なるほど、そりゃ“法廷で火を吐かないでください”って注意されるわけだ」
俺はかつて法廷で証言台に立ったドラゴン族青年を思い出す。
「異議あり!」の代わりに咆哮で主張したせいで、壁が崩れた事件だ。
さらに読み進めると、魔族と神殿の関係性、スライム族の社会制度、そして“勇者法”や“聖女制度”の形成過程まで、さまざまな情報が詰まっている。
「……やっぱりこの世界の法律って、文化や宗教、価値観の違いが根底にあるんだな」
同じ六法でも、こちらでは“種族間調停法”や“異種族婚姻契約法”なんてものがある。
それに“判例”より“伝承”が優先される場面もあるというから、たまったもんじゃない。
ふと、書記官のミリィが紅茶を運んでくる。
「先生、また読み込んでるんですか? お疲れじゃありません?」
「疲れるどころか、いつ文化地雷を踏むかわからんからな。法律だけで裁けない、この世界の“常識”を知らないと──依頼人を守れない」
そう呟いた俺の手元に、次の本が滑り込む。
『幽霊族との遺産相続問題──死者にも権利はあるのか?』
「……これはまた、面倒な予感しかしないな」
だがそのぶん、この異世界の奥深さに、俺の知的好奇心はうずいたままだ。
六法全書と一冊の参考書──この世界の“正義”を読み解くために、今日もページをめくる。
■
ある朝、俺の法律相談所の扉がバンと音を立てて開いた。
差し込む強い陽光の中、ボロボロの鎧をまとった若者たちが三人、肩を寄せ合うようにして現れた。
「アンタが、弁護士の誠一か!」
先頭の男──グレイ=ストロックと名乗る青年が、皺くちゃになった書類を握りしめ、ずかずかと机に詰め寄ってきた。
「俺たち、ギルドに騙されたんだ! 聞いてくれ!」
机に叩きつけられたのは、迷宮探索の依頼契約書。
その後ろで、長い銀髪を持つエルフの女性が涙を堪えるように唇を噛んでいた。
「……リルが、死んだのに……報酬もなにも、“契約通り”って突っぱねられて……!」
彼らの目は真っ赤に腫れていた。悲しみと怒り、そして悔しさが滲んでいた。
俺は書類を手に取り、黙って目を通した。
確かに「戦死者は報酬分配対象外」と明記されている。だがその条項は裏面の下端、まるで読まれるのを避けるようなフォントサイズで記されていた。
「……これは悪質だな」
俺は机の脇に積んでいた『異世界六法全書・改』を引き寄せ、契約法典のページを素早くめくった。
「冒険者契約条第十一項──“重大条件を目立たぬ形で記述した契約は、詐取または欺罔の可能性があるものとする”。つまり、これは“読ませる気がない”構成だ」
グレイが悔しげに拳を握りしめる。
「リルは……最後まで戦った。俺たちを庇って、死んだんだ。それなのに……ただの“死体”扱いだなんて、そんなの……!」
エルフの女性の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「分かった。法廷で決着をつけよう」
◆
数日後、王都法廷。
厳粛な空気の中、傍聴席には多くの冒険者たちが集まっていた。
中央の証言席には、ギルド代表者がふんぞり返っていた。
「戦死者に報酬? 馬鹿馬鹿しい。そもそも我々は、“契約に従った”だけです」
その傲慢な口調に、傍聴席の一部から舌打ちが漏れた。
俺はゆっくりと立ち上がり、手元の契約書を掲げる。
「この契約は、重大な不備を含んでいます。“視認可能サイズ基準”を満たしていない──つまり、契約の有効性に疑義がある」
「それは、単なる様式の不備に過ぎないのでは?」
「いいえ。命を懸けた冒険において、情報の非開示は致命的な瑕疵です」
俺は傍聴席を見渡し、語気を強めた。
「命を懸ける仲間に、“死んだらおしまい”だと契約で切り捨てるような社会が、まともな法秩序の名の下に存在してよいのか? 断じて否だ!」
静まり返る法廷。
裁判官が口を開いた。
「契約の一部に不誠実な記述があると認められる。よって、本契約条項は無効とし、戦死者の遺族へは報酬の五割を支払うことを命ずる」
判決が下された瞬間、傍聴席からは拍手が湧き上がった。
◆
帰り際、グレイが深々と頭を下げる。
「ありがとう、誠一……あんたがいなきゃ、リルの想いは、永遠に踏みにじられてた」
俺は彼の手を軽く叩き、微笑んだ。
「契約ってのは、ただの紙切れじゃない。“信頼”を記す証拠だ。
それを忘れたとき、どんなギルドも腐る」
その日、迷宮の影で失われた一つの命が、ようやく正当に評価された。