第65話『偽装転職、でも給料は本物でした――勤務内容の専門性をめぐる転職詐欺訴訟』
転職──それは新たな人生の一歩……のはずだった。
だが目の前の依頼人は、その“転職”を見事に悪用して、二重取りの道を突き進んでいた。
「先生、俺、罪ですかね……?」
ぼりぼりと頭を掻きながら、革鎧を着た冒険者風の男──カジルが、情けない顔で俺を見てきた。
「ギルドからも、新しい職場の魔導研究所からも、給料……もらってたんです」
「で、どっちの仕事もしてない、と」
「いえ! それなりに! 気持ちだけは!」
気持ちで給料が出るなら、俺も地上最強の稼ぎ頭だ。
原告は元所属の冒険者ギルド。 被告は──このお調子者。
問題は、双方の契約書に“職種の明記”がされていなかったこと。 曖昧な条文、誤字脱字、魔法文字の不整合……ダメ契約書のオンパレード。
「こんな紙切れで……よく人材雇ってたな……」
俺があきれつつページを繰っていると、スラーディアがぷるぷる震えながら呟いた。
「ぷる……労働環境……あまりにもブラック……」
「涙が出るな、文字通り」
性別不明の体表から零れるスライムの雫が、契約書の誤字脱字の上にぽたりと落ち、文字を溶かした。 ……このまま証拠隠滅できるんじゃないか? などという考えを即座に打ち消す。
そのとき、法廷の扉が少し開いて、一枚の封書が魔導的にスッと浮かびながらスラーディアの前に着地した。
「魔導検察庁から……?」
スラーディアが封を開けると、中には黒文字で一言。
『この件、我々も注視している。契約構造に法改正の兆候あり。──H』
「……氷室さん」
俺のこめかみに、じっとり汗がにじむ。
姿は見えないが、裏で睨まれているのは確実だ。
スラーディアが俺の方ににじり寄り、小声でささやいた。
「ぷる……高野さん……氷室さん、怖いです……」
「あの人は、睨むだけで契約が正されたって噂あるからな……」
証言台の前でカジルがうろうろし始め、時折ちらちらこちらを見ている。
「……先生、俺、逃げてもいいすか……?」
「ダメに決まってるだろ、証人台に立て」
「えぇ〜……氷室検事が怖い……」
「まだ来てねえよ、でも後ろにいるかもな」
「うわあああああああ」
カジルが半泣きになりながら膝を抱えたその背中を見つめながら、俺はそっと六法全書・改を開いた。 今日もまた、曖昧契約とブラック職場を撃ち抜くための戦いが始まる。
「さて……“職種定義”の基準とは何か──お前の“気持ち”がどこまで通用するか、見せてもらうぜ」
小声でぼそっと呟いた俺の言葉に、スラーディアが隣で頷いた。
「ぷる……気持ちで生きる契約社会、怖いです……」
■
依頼者・カジルの転職詐欺案件が正式に開廷された翌日、俺はなぜかスラーディア判事と共に冒険者ギルドの旧本部に来ていた。
裁判とは別件だ。
「ぷる。実地調査です」
いつものように平板な声でそう言いながら、スラーディア判事は受付の前でぴょんと跳ねた。身体がちょっと広がって、床に残った染みみたいな形になってしまったが、本人(?)は気にしていないようだ。
「“労働環境がブラック”の実態を確認しなければ、判決に納得できません。ぷる」
「いや、判決は出す側だろ。納得するのは俺の仕事じゃ……」
「ぷる。気持ちの問題です」
そんな精神論が通るのか、この生物に。
案内された職場は想像を超えていた。
まず、天井が低い。 次に、窓がない。 そして、休憩室に見せかけた物置のような部屋に「リフレッシュゾーン」と書かれた看板が無惨にぶら下がっている。
「これ……換気、してるのか?」
俺がつぶやくと、スラーディア判事が小刻みに震えた。
「ぷるぷるぷるぷるぷる……」
もはや言語ではない。バイブレーションの域だ。
現場にいたギルド職員の男に話を聞くと、
「え? 労働契約? そんなの、ギルド入った時に魔法文字でなんか“魂に刻まれた”とか言われたけど……あれって正式な契約だったんスか?」
などという不安すぎる発言が飛び出した。
「ぷる……魂契約、現代では非推奨です……」
スラーディア判事がぷちょんとひときわ大きく震え、床に涙のような雫を落とす。成分はたぶんスライムだ。
「ちょ、ちょっとスラーディア判事! 床溶けてます!」
「ぷる! 感情が溢れました……」
そのあと、通気口のない執務室にある謎のバケツ──「これ、トイレ代わりに使ってたんすけど……衛生面は気を付けてましたよ?」という恐怖証言を最後に、俺たちは調査を終えた。
「高野さん……ぷる。あの職場……裁判資料に追加していいですか……?」
「当たり前だ。全力で労基攻めにいくぞ」
この調査の一部始終は、魔導録音石に記録されている。 きっと、次の裁判で決定打になるはずだ。
それにしても……。
「スラーディア判事、なんか今日は情に厚いな」
「ぷる……労働者の涙は、裁判官にとっての真実のしずくです……」
このスライム、時々すごく名言吐くから侮れない。




