【第62話】『証拠品は食べました──消化済みアイテムの行方』
王都の中央法廷。その広間は朝からざわめいていた。高い天井のステンドグラスから差す光が、まるで事件の行く末を見守るかのように床に色を落とす。木のベンチには傍聴人がぎゅうぎゅうに座り、ひそひそ声と笑いをこらえる音があちこちから聞こえる。
俺──高野一朗は、依頼人である半泣きの少年商人を横目に深呼吸した。かすかに甘い香りが漂ってくるが、それは事件の証拠である“魔法のドーナツ”の名残かもしれない。
「……で、その証拠品はどこに?」
自分でも不安げな声が出た。事件の核心はそのドーナツ一個、これがなければ無罪を証明できないのだ。
「そ、それが……警備兵のハンスが……」
少年の視線の先、証人席に座る衛兵ハンスが、顔を真っ赤にして腹をさすった。まるで罪を告白する子どものように目が泳いでいる。
「いや、その……甘い匂いがして……気づいたら、食べちゃって……」
法廷は静まり返り、一瞬後にざわっと波が走る。木のベンチがぎしぎしと軋み、傍聴人の口元が引きつった。
「……証拠品を、食べた?」
判事席のスラーディアが、ぷるぷるとスライムの体を震わせた。透明な体内に小さな気泡が立ち上がり、動揺が目に見える。
「ええ……消化済み、です……」
氷室検察官が額を押さえ、深いため息をついた。「……胃の中にある状態で証拠能力は……うぇえ、考えたくない」
俺は頭を抱えながら、天井を仰ぐ。まさかの展開に、観客席のあちこちで笑いをこらえきれない声がもれた。
「……仕方ありません。六法全書・改、《消化物鑑定モード》発動!」
俺は魔法陣を展開し、淡い光がハンスの腹部を包む。光が透けると、胃袋の中に、もやもやと輝くドーナツの残滓がぷかぷかと浮かんでいた。
「な、なんか動いてる……!? うぇええ……」
スラーディアは半泣きで判事席の上を跳ね回る。傍聴人の間からも「うわぁ……」という引き笑いが漏れた。
「証拠は……ここにあります!」
俺は魔力で残滓を抽出し、法廷の中央にドーナツの魔法刻印を投影する。青白い光が床に広がり、甘い香りがさらに強くなった気がした。
氷室が肩をすくめる。「……まさか胃袋から証拠を出す弁護士がいるなんてね」
「これぞ、弁護士の本領発揮です!」
最終的に、証拠能力は認められ、少年商人は無罪。ハンスは反省文を書かされ、胃薬を処方される羽目になった。
「……次回からは、証拠品に『食べるな』って札を付けとけよ……」
俺は大きくため息をつき、法廷の窓から差す光を見上げた。胃袋から引っ張り出した勝利は、さすがに複雑な味がした。
事件当日、王都中央法廷の控室は慌ただしかった。分厚い扉の隙間からは、傍聴人のざわめきがかすかに漏れてくる。高い窓から差す朝の光が、石の床に長い影を落とし、まるで俺たちを裁こうとしているかのようだ。
俺は、肩をすくめながら少年商人の肩をぽんぽんと叩いた。彼の顔は真っ青で、手は汗でべっとりだ。
「大丈夫だ、落ち着け。俺がなんとかする」
言いつつ、内心では(胃袋から証拠を出すってどういう状況だよ……)と泣き笑いしたくなる。横では、警備兵のハンスが椅子に座り込み、腹を押さえて震えている。
「ど、どうしよう……自分のせいで……証拠が……」
彼の胃袋に、魔法のドーナツが入っていると思うと、なぜか甘い香りが鼻をかすめた気がして、俺はますます複雑な気分になった。
「……お前、よくそんな余裕あるな」
控室の扉が開き、氷室検察官が入ってくる。片眉を上げ、呆れ顔だ。
「開廷したら、胃袋を法廷にさらすんでしょ? 王都の裁判史に残る前代未聞よ」
「俺の仕事は依頼人を守ることだからな」
軽口を叩いたが、心臓はドクンドクンとうるさいほど。内心では(頼む、ハンスの胃が暴れませんように)と祈っていた。
その頃、判事控室。
スライム判事スラーディアは、机の上でぷるぷると揺れていた。透明な体の中に、小さな気泡がぶくぶくと上がる。
「うぇぇ……胃の中を可視化とか、聞いただけでぷるぷるするぅ……」
隣で書記官エミリアが笑いをこらえきれず、にやにや顔だ。
「でもほら、記録魔法で中継したら、傍聴席は盛り上がるわよ?」
「うう……そんなの望んでない……」
泡がひときわ大きくはじけ、スラーディアは情けない声を出した。
やがて開廷。俺はハンスの胃袋を魔法で透視し、光るドーナツの残滓を見つけたときには、場内からどよめきと笑いが同時に起こった。俺の心臓はまだ落ち着かないままだったが、無事に証拠能力が認められ、少年は無罪となった。
裁判後の休憩室は、しんと静まり返っていた。さっきまで笑いの渦にあったのが嘘みたいだ。
ハンスはテーブルに突っ伏し、顔を真っ赤にして小声でつぶやく。
「俺、もう二度と甘い匂いのする証拠品に近づかない……」
「お前が食べたおかげで、逆に記録に残る面白裁判になったけどな」
俺はハーブティーを紙コップに入れ、そっと差し出す。ハンスは目を潤ませたまま受け取り、ぬるいお茶をちびちび飲んだ。
氷室検察官は腕を組み、呆れ顔をしながらも口元がゆるむ。
「……まあ、いい経験にはなったんじゃない?」
休憩室の隅では、スラーディアがまだぷるぷる震えていた。
「……もう二度と胃袋は見たくなーい……」
俺はその様子に思わず吹き出した。奇妙で笑える一日。俺の人生の記録には、また新しい不思議な一ページが加わったのだった。




