【第6話】 『魔族の娘と聖女の恋は法で許されますか?』
■
『聖女ルシア、恋と祈りのはざまで』
神殿の奥にある静かな祈祷室──そこが、ルシアの居場所だった。
淡い光を反射する大理石の床に膝をつき、祈りを捧げる日々。
「……神よ、わたしに正しき道をお示しください」
そう口に出すたび、胸の奥で声が揺れる。
──それは、彼女がメイ=ノクティスと出会ってからだ。
最初の出会いは、神殿に寄贈された薬草を魔族の商隊が運んできた日。
そのなかにいた細身の少女。角を隠すようにフードを深くかぶっていた彼女が、重たい箱をひとりで運んでいるのをルシアは見かねて声をかけた。
「大丈夫ですか? その箱、わたしも……」
「い、いえっ……! 聖女様に手を煩わせるなんて……」
その時の恥じらいと警戒が混ざった笑顔。
それがルシアの胸を強く打った。
それから何度か顔を合わせるうちに、メイは徐々に警戒心を解き、短い会話は長くなっていき、やがて彼女たちは“こっそりと”神殿の裏庭で会うようになった。
花の咲く夜の庭。
メイは小さく呟いた。
「……神殿って、もっと冷たいところかと思ってた。でも、ルシア様が違ってた」
「ルシアでいいですよ。あなたといると、わたし……普通の女の子でいられる気がして」
その言葉は、禁忌だった。
だが、止められなかった。
ひそやかに交わされた手。
目を合わせるたびに伝わる鼓動。
しかし神殿の目は厳しかった。
彼女たちの関係を“異端”とみなす噂は、すぐにルシアを追い詰める。
「ルシア様、魔族と私的な接触をしていると……本当なのですか?」
「わたしは──メイと話していただけです」
それでも、追求の声は止まない。
神官たちの視線は、次第に敵意すら帯びていった。
ある夜、ルシアは祈祷室で泣いた。
自分は聖女としてふさわしくないのか、誰かを好きになることすら許されないのか──
そのとき、そっと差し出された手。
扉の隙間から現れたメイが、彼女を抱きしめた。
「逃げましょう。今じゃなくても、わたしは待ちます。ルシアがルシアのままでいられる日を」
涙に濡れた頬を寄せて、ふたりは誓った。
「愛は、罪じゃない」
その言葉が、翌日の法廷でふたりの運命を変えることになるとは──この時、まだ誰も知らなかった。
■
雨の降る午後、俺の法律相談所の扉がゆっくりと開いた。
しっとりと濡れたフードの奥から、金色の瞳が俺を見上げる。
「……ご相談、お願いできますか?」
そう声をかけてきたのは、黒い角と淡い灰色の肌をもつ魔族の少女──メイ=ノクティス。
そのすぐ後ろから、神聖な光を宿した白衣の少女、聖女ルシア=エスペランサが続いて入ってくる。
「お願いします……わたしたち、ただ一緒にいたいだけなんです」
メイの声はかすれていて、それだけで苦しみの深さがわかった。
雨音が窓を叩くなか、俺はふたりを奥のソファに通した。
湯気の立つカップを前にしても、彼女たちの手は小刻みに震えている。
「ですが、神殿法において“魔族と聖女の交友関係”は、呪詛協定とみなされる恐れがあるのです」
ルシアが俯きながらも、はっきりとした口調で告げた。
それを聞いた俺は、すぐに六法全書・改を手に取り、該当項を探る。
「異世界六法全書・改──神聖法規第二章、“聖女は神意に従い、敵対種族との接触を禁ずる”……なるほど、これは確かに厄介だ」
俺は指でページをなぞりながら、ふたりに問いかけた。
「交際は、どのくらい?」
「……一年と少しです。最初は神殿で偶然会って、ずっと話していたくて……気づいたら、こんな関係に」
メイが小さく笑った。
「でも、わたしが彼女と一緒にいるだけで“呪い”だなんて。おかしいじゃないですか」
「この神聖法、発布されたのは三百年前。しかも、当時の聖女は“幽閉されていた”とある。これはもはや思想統制の道具ではないか?」
俺は立ち上がり、静かに六法を閉じる。
「神意を盾に、恋を罰する権利は誰にもない。俺は異世界司法に問う──異種間の恋は、なぜ呪いなのか?」
数日後、王都法廷。
神殿代理人が冷たい口調で発言する。
「それは、“聖なる血統の汚染”を防ぐためです」
その瞬間、証言台に立っていたルシアの手がわずかに震えた。
「わたしは……聖女である前に、ひとりの人間です。メイと出会って、はじめて自分の心を知った……それが、いけないことですか?」
ざわめく傍聴席。
俺はゆっくりと席を立ち、弁護台へ進み出た。
「異世界人権宣言・草案条文第九──“すべての存在は、生まれ、愛し、生きる自由を持つ”」
「異議あり、それは未制定の……」
「だが、人権の理念に“法の壁”はない」
俺はルシアとメイの手を重ね、その上に六法をそっと置く。
「この裁判は、ふたりの未来を奪うためではなく、“愛に法を与える”ためにあるべきだ」
静寂のなか、裁判長が重々しく口を開く。
「本法廷は、現行法の枠を超える本件の重大性を認め、“異種間恋愛に関する法的検討委員会”の設置を勧告する。また、現段階での処罰対象とは見なさず、ふたりの交際を制限しない」
メイが口元を押さえながら泣き、ルシアがそっと彼女の背を撫でる。
ふたりの影が寄り添うその光景に、俺は小さく息を吐いた。
「──さて、次はその委員会にも出向くか」
愛が違法ではない世界を、六法の力で築くために。