【第5話】 『婚約指輪は誰のもの? 龍と姫の泥沼財産分与バトル!』
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王都第七法廷。
冒険者でも立ち入れないほどの“鍛冶工房の黒い闇”が今、明るみに出されようとしていた。
「本件は、鍛冶工房“アイアンボルグ”がスライム族の青年ネリムに対し、連続十六時間を超える労働、および休憩なしの勤務体制を強制した件について──」
裁判官の重々しい声が響く中、俺とネリムは原告席に並んで立っていた。
ネリムは緊張でやや形状が不安定になっていたが、俺の袖口をぷにっと握って気持ちを落ち着けている。
「弁護人より発言を求めます」
「はい。原告代理人、誠一・タカノ。異世界法律相談所所属」
俺は六法全書・改を掲げ、はっきりと発言した。
「被告“アイアンボルグ”は、異世界労基法第八条に違反し、液状生命体に対して明確な休息時間を与えなかったのみならず、食事の提供も“炉の灰をなめてろ”という言語的ハラスメントを含んでおります」
会場にざわめきが走る。
被告席のドワーフ親方、ブルガンはふてぶてしい態度で腕を組み、唾を吐いた。
「働けるうちは働かせる。それが鍛冶屋の掟だろうが。甘ったれたゼリー野郎が泣き言ぬかすな!」
「──労基法は掟より強い。ここは法廷です」
俺は冷静に言い返す。
そして提出したのは、ネリムの労働記録魔晶球。そこには一週間連続で炉の前に立ち続けるネリムの姿、途中で数回完全液状化して床に染みる映像まで記録されていた。
「……労働形態ではなく、これは搾取です。異種族であることを理由に、法の保護を与えないことは許されない」
静寂。
しばしの後、裁判官は言い渡した。
「被告“アイアンボルグ”に対し、労基法違反に基づく損害賠償金二百金貨の支払いを命ず。また、スライム族への労働環境整備義務を課す」
「ふざけるな! ワシの工房が潰れるわ!」
「……潰れていいと思います」
俺がきっぱりそう返すと、傍聴席から拍手が沸いた。
裁判後、ネリムはぽにょっとした体を震わせながら俺にお辞儀した。
「せ、先生……ありがとうございました……! あの、これ……スライム式お礼プリンです……!」
「ありがたく冷やして食べさせてもらう」
こうして、ひとつの不当労働が正され、ひとりのスライムが安心して休める夜を取り戻した。
六法全書・改の労基法ページが、ほんの少し柔らかく光った気がした。
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真紅の鱗に覆われた長身の青年と、気高き金髪の姫君が、法廷の中央で睨み合っていた。
「彼女が俺を捨てたんだ! 指輪は俺のものだろう!」
「ありえませんわ! あれは婚約の証、“贈与”ですのよ!」
──今日の相談は、一筋縄ではいかなかった。
依頼者はドラゴン族の若き族長、グリファス・フレアウイング。そして争う相手は人間王国の姫、エルミナ・セレスティア。
「俺は本気だった! 命の炎と共に誓ったんだ! それを、突然“価値観が違う”とか言って婚約解消って……」
「だって! 毎回デートが火山とか空中戦闘とか、普通の人間の感覚じゃ無理ですわ!」
「……まあ、文化の違いは仕方ないとして──」
俺は六法全書・改を手に、冷静に割って入る。
「問題は、この“婚約指輪”が誰の所有物として扱われるか、だ」
異世界民法によれば、婚約指輪は“明示的に婚約契約書に記載があれば贈与扱い”、記載がなければ“貸与または一時的預かり”と見なされる場合がある。
「我がドラゴン族の伝統では、指輪とは“永遠の加護”の象徴だ。贈った時点で契りは不変。返されるのは誓いを穢すに等しい!」
「人間界では違いますの! 婚約解消と共に財産も整理しますわ! あなたの感覚を押しつけないでくださる?」
「これは文化摩擦をはらんだ“異種族間婚姻契約の曖昧性”の裁判だな……」
資料を読み返すと、婚約契約書は“ドラゴン文字”で書かれていたため、エルミナ姫は内容を正確に理解していなかった可能性がある。
そこで俺は主張する。
「本件、異種族間契約において“意思疎通が不完全であった”ため、契約の成立自体に瑕疵がある可能性があると考えます。よって贈与は無効──指輪は返還対象とすべきです」
「むむむ……」
姫は渋々うなずき、ドラゴン青年も複雑な表情で頷いた。
「……じゃあ、指輪は返す。でも、思い出までは返さないわよ」
「……それは、こっちのセリフだ」
──こうして判決は下った。
指輪は返還。だが、二人の間に交わされた時間は、それぞれの心に刻まれたままだった。
「異世界法廷って……恋も裁けるんですね」
裁判後、ぽつりと呟いた書記官の声が、妙に胸に残った。