【第49話】 『使い魔に退職金は出るのか?──魔術契約の雇用実態』
「にゃっはっはっは! ようやく自由の身だぜぇええええ!」
澄みきった青空の下、黒猫が芝生の上を転げ回っていた。
……いや、正確には、元・大魔術師ミリエラの使い魔だったクロエだ。
その姿は完全にただの猫だが、しゃべるし字も書けるし、妙に態度がでかい。
俺、高野リュウジは、法律事務所のテラスでその黒猫にアイスティーをぶちまけられた書類をタオルで拭きながら、深いため息をついた。
「……で、君が相談したいって言ってたのは、まさか退職金のことか?」
「当然! 百年だぞ? あたし、百年! 毎朝四時起きでミリエラ様の枕元に魔力コーヒー運んで、魔方陣の埃払い、召喚のたびに尻尾燃やされて、それでも“にゃー”って鳴いて! 昨日、いきなり“契約解除”よ!? 解雇通知一枚、にゃっぴと置かれて!」
「“にゃっぴ”って何だよ……」
まるでどこかのポップなブランド名のような響きに一瞬ツッコみかけたが、それより重要なのは法的な観点だ。
「……まあ、まず契約書を見せてくれ」
「へっへっへー、ちゃんとあるぜ」
クロエは、首輪の裏側から小さく巻かれた羊皮紙を器用に取り出した。
さすが百年生きた猫、無駄に器用だ。
俺は虫眼鏡を片手に契約内容を読んでいく。
「ふむふむ……『魂の共鳴により、主に仕えることを約す。任期は“主が満足するまで”』……って、おい、これ曖昧にもほどがあるぞ」
「でしょ!? “満足”って何さ! どこまで満足したらいいのよ! 腹八分目か!?」
「……まず労働契約かどうかはさておき、継続的な業務提供と、それに見合った主からの対価があったかが鍵になる」
「対価……ミリエラ様の膝の上、タダ乗りだったけど?」
「……むしろ君が報酬を受け取ってた側じゃないか」
とはいえ、百年という長期の拘束、そして日々の雑務。
“使用者の支配下にあった”と評価できる実態があるなら、準雇用的な関係性として認められる可能性もゼロではない。
「記録とかあるか?」
「ばっちり。魔力日記帳つけてた。“今日もミリエラ様のくしゃみで耳がひん曲がった”とか、“空中浮遊中に突風で木に刺さった”とか」
「……労災も申請できそうだな」
クロエは目を輝かせて俺の前に正座した。
「つまり、これは……いける!? 勝訴ある!? 退職金ワンチャンある!?」
「条件次第では交渉の余地あり、だな。だが、うちは法務顧問料前払い制だから」
「えっ」
「まさか百年生きてて貯金ゼロじゃないだろうな」
「……猫の年金って、ないんだぜ」
その場はしょんぼりとしながらも、クロエは尻尾をピコピコ振って事務所を出ていった。
俺はテラスにこぼれたアイスティーの跡を眺めながら、そっと呟く。
(……請求書は、おまえ宛てで出しておくからな)
■
その日、俺は妙に胸騒ぎのする朝を迎えた。
理由は明白だった。法律事務所の受付カウンターで、いつもは涼しげな笑みを浮かべているエミリアが、顔を引きつらせながら俺を呼んだのだ。
「高野先生……朝から……あの猫さんが……」
「猫? まさか……クロエか?」
「はい、黒スーツで決めて……しかも、すごいドヤ顔で……」
エミリアの指さす先、事務所の玄関ホールには、まるで就活生のような黒スーツ姿(ただしネクタイは斜め、ズボンは当然履いていない)の黒猫が仁王立ちしていた。
「よぉ、高野! いよいよ俺のターンだぜ!」
「朝から何をしに来た、クロエ」
俺は半ばあきれ顔で応対しながら、クロエが手に持っていた──というか、口にくわえていた羊皮紙の束に目をやる。
「“クロエ・プレミアム猫手当て付き退魔戦士手当て込み生涯労働報酬計算書”……?」
「そうそう! 今までの労働に正当な評価をくれって話よ!」
ぺらりとめくると、末尾にはでかでかと記されていた。
『合計:金五億七千万ガルド也(※おやつ代含まず)』
「おやつ代含まず、だと……」
俺は天を仰いだ。
「クロエ、お前……真剣なのか?」
「真剣そのものだぜ。なにせ“猫の尊厳”がかかってるからな!」
キラリと光るその目に、妙な圧を感じてしまうのが悔しい。
「じゃあひとつ聞くが、お前が言う“退職”って、そもそも何を指してるんだ?」
「昨日、ミリエラ様から“もう自由にしていいわよ”って言われたんだよ! つまり“解雇”だ!」
「いや、それは自主退職だろうが」
「違うって! こっちはまだ膝乗り業務中だったのに、一方的に“ニャー任務”解除だぞ? 突然の戦力外通告だ!」
俺は思わず笑いを噛み殺した。確かに長年使い魔として忠実に仕えてきたクロエだが、その“業務内容”があまりに猫的だ。
「まあ、契約内容の曖昧さはさておき……猫が退職金請求する時代か」
「時代は動いてんのさ、高野。次は“使い魔ユニオン”の設立だ!」
クロエはソファに飛び乗ると、尻尾で得意げにリズムをとり始めた。
……やれやれ、猫相手に前例を作る羽目になるとはな。
「わかった。じゃあこの書類、きちんと精査して、法的観点から可能性を探ってみる」
「よっしゃあ! これで俺も伝説の猫判例の主役だ!」
その姿は、どこか誇らしげだった。
(……まあ、どんな結果になっても、請求書はお前持ちだけどな、クロエ)
俺はそう心の中でぼやきながら、猫の“正義”のために一肌脱ぐ覚悟を決めた。




