【第47話】 『婚約破棄された王女の逆襲──まさかの契約書が存在してましたわ!?』
俺が法律事務所の机で、午前中に届いた訴状の山と格闘していると、受付からエミリアの声が飛んできた。
「……高野先生。“あの”お姫様がまた来ました」
俺は鉛筆を止めて顔をしかめた。
「またって……例の“泣きながら契約書を読み上げた”姫か?」
「ええ、今回は泣きながら短剣も持ってます」
そのとき、事務所の扉が勢いよく開いた。
「婚約破棄されましたのよォォォォ!!」
ロイヤルなドレスがぶわっと舞い、登場したのは王国の第一王女リリアーナ=フォン=ブロワール殿下。ペールピンクのドレスに身を包み、片手には花柄の細身の短剣。顔は怒りと涙でぐしゃぐしゃだった。
「ちょ、リリアーナ殿下、まず剣を下ろしてくれ! ここ、法律事務所です!」
「問題はそこじゃありませんわ! あの裏切り者クラウスが、私との婚約を、一方的に、勝手に、冷たくッ! 破棄したのですわ!!」
俺は溜息をひとつ。今日の昼飯はもう無理だな。
「えーと……そもそも正式な婚約書って交わしてたんだっけ?」
「当然ですわ! これをご覧なさいな!」
彼女が取り出したのは、金糸で縁どられた羊皮紙。どう見ても豪華なそれには、魔法インクで記された文字列。
『王女リリアーナは王子クラウスと、未来永劫いちゃラブすることをここに契約する』
俺は眉間を揉んだ。……笑いそうなのをぐっと堪えた。
「……王子の署名、ちゃんとある?」
「右下に“くらうすん♡”とハートマークつきで書いてありますの」
「有効だな。完璧に法的拘束力ありだ」
「勝てますのね?」
「……うん、多分」
そして数日後、俺たちは王都法廷で王子クラウス側と対峙することになった。法廷には王子側の弁護士がずらりと並び、場違いなほど真面目な雰囲気だった。
「本件は、感情的な誓いに過ぎず、契約としては成立しません!」
王子側の弁護士が叫ぶ。
「だが、当該書面には両者の署名がある! さらに証人もいる!」
俺は堂々と反論した。正直、内容はどうかと思うが、契約は契約だ。
「証人として、召使いのハンナさんを呼んでおります」
出てきたのは中年のメイド風の女性。彼女は落ち着き払って言った。
「お二人は、毎晩“いちゃラブ契約の儀”と称して、契約書の前で頬を寄せ合っていました」
法廷内に、静寂と、かすかなざわめき。
「……それって逆に気持ち悪……」と王子側の弁護士が小声でつぶやいたのを、俺は聞き逃さなかった。
最終的に、裁判長は厳かに宣言した。
「本契約書は法的に有効であると認め、王子クラウスに慰謝料三百金貨と、王都広場での公開謝罪を命じる」
傍聴席がどよめいた。
裁判後、事務所に戻った俺に、リリアーナが笑顔で言った。
「高野弁護士、本当にありがとう。あなたがいなければ、私は今頃まだ枕を濡らしてましたわ」
「いや、まあ、俺はただ契約を読んだだけなんだけど……」
「ところで、次に恋に落ちたときのために“恋愛予備契約書”を用意しておきたいのですけれど」
「……リリアーナ殿下、まずは恋人できてからにしようか」
彼女はにっこり笑って、こう言った。
「ですわよね! でも、早めに予約だけはしておきますわ!」
ああ、今日も異世界は平和で、そしてちょっぴり面倒だ。
午後の柔らかな陽射しが、王都法律事務所の応接室に射し込んでいた。
テーブルの上には、香り高いラベンダーティーと焼きたてのスコーン。ほっと一息つける、静かな午後のはずだったのに――正面に座っているのは、例の王女だった。
「高野弁護士。今日は、あの契約書について、もっと語り合いたくてまいりましたの」
彼女――リリアーナ=フォン=ブロワール殿下は、いつものようにふわりと微笑みながら、薔薇柄のノートと金縁の羽ペンを取り出した。
相変わらず完璧すぎる所作。けれど、その中身はというと……。
「……あの、“いちゃラブ契約書”を?」
「ええ。前文の詩的表現が、少し甘かったかしらと思いまして。“未来永劫”を“天と地がくるりんぱするまで”と書き換えたほうが、情緒が深まるかと」
「……それは詩じゃなくて、法的契約書です」
俺は苦笑しながら、スコーンにバターを塗った。なんというか、この王女、毎回ギリギリを攻めてくる。
「それにしても、殿下。よくあんな内容で勝てましたよね」
「ですわよね!? でも証人のハンナが全力で“夜ごと儀式を行っておりました”って証言してくれたんですの。愛の誓約にぬかりはありませんわ!」
あまりに明るく言われて、俺はティーカップを持つ手が少し震えた。いや、ハンナさん、それ証言というより黒歴史の生放送……。
リリアーナは紅茶を啜りながら、ふっと瞳を伏せる。
「でも、契約って素敵ですわ。どんなに裏切られても、紙が私を守ってくれるんですもの」
その言葉には、どこかほの暗い、過去を滲ませるような重みがあった。
俺は一瞬、真面目に言葉を返したくなったが、それ以上に彼女の次の発言が全てを吹き飛ばした。
「ですので、私、今度は“真実の愛”に備えて“恋愛免責契約書”も作っておきたいのです!」
「……免責って……何から守るつもりなんです?」
「裏切り、暴言、記念日忘れ、浮気、王族義務放棄、あとスープの冷ましすぎも含めて!」
「それ恋じゃなくて懲役です。もはや契約じゃなくて刑罰規定……」
俺が額を押さえる横で、彼女は羽ペンを走らせながら、きらきらと笑っていた。
「それに、“万が一王子がまた浮気した場合、次は処刑してもよい”という条項も……」
「法の精神が泣くからやめてください」
言いつつ、俺もそのノートに目をやると……妙に整った書式で、恋愛契約書のひな形が並んでいた。
──結局、俺はその日の午後、リリアーナ殿下に説き伏せられ、恋と法律の境界線について熱弁を振るうことに。
そして、ノート6ページ分の“恋愛契約雛形”を書かされる羽目になった。
たぶん、この国でいちばん恋に真剣なのは、王女と……そして俺だ




