【第44話】 『種族変更届、出し忘れてました──性別と種族の“今”はどこ?』
俺の机の上に積まれた書類の山。その中に一際目立つ、ピンク色の用紙が一枚混ざっていた。
──種族変更届?
俺は眉をひそめながら、首をかしげる。
そんな時、ドアが軽快なノック音と共に開いた。
「高野先生、午前の相談者がいらしてます〜」
受付兼庶務のエミリアの声に続いて姿を見せたのは……なんだ、これは。
猫耳のついたメイド服の少女──いや、青年? いや、どっちだ?
「はじめまして。わたくし元・ドワーフのバルドルと申しますの。現在は“ネコミミ族・♀”でございますわ」
「……は?」
衝撃のあまり、俺は椅子ごとのけぞった。ナメさんが机の上で跳ねてぷるぷる震える。
「先生、心拍数上がってますね〜。チーズの香り、増量中です」
「増量しなくていい」
「種族変更のご相談でしょうか?」
「いえ、変更は既に済ませておりますの。ただ……肝心の“種族変更届”の提出を忘れておりまして」
「うわぁ、面倒な匂いしかしない」
バルドル──いや、今や“バル子”と呼ぶべきか──は、くるりと一回転してスカートをふわり。
「こっちの方が、圧倒的にモテますのよ♪」
その笑顔がまぶしい。
「……世界の真理に触れた気がする」
問題はここからだ。
異世界では、転生・転移・種族変更・性別変更などが珍しくない。ただし、これらの変更は“人格の同一性証明”と“法的届出”がセット。出し忘れれば契約無効や相続放棄の危険が待っている。
「で、なにがまずいんです?」
「実は──先週、婚約したのですけれど、相手から『あなたはバルドルじゃない』と言われてしまいまして」
「まあ……見た目がこう変わってたらな」
「愛は本物ですのよ!」
その熱量に圧されつつ、俺は六法全書を引っ張り出す。
「じゃあ、今から“種族変更後における人格の同一性認定審理”を申請しましょう」
「ぜひお願いしますわ!」
そして迎えた開廷日。
法廷には笑いを堪えきれない傍聴人がずらり。
「証人、入廷!」
現れたのは、旧友オークの商人、ペルペル。
「昔のバルドルはよぉ、酒が入るとすぐ服を脱ぐんだ。んで今のバル子も脱いでた」
「やめて!? 法廷でそれ言うの!? 証拠として提出しないで!」
続いて登場したのは、バル子のペット、ミニドラゴンのぽよぽよ。
「きゅい〜ん♪ ご主人、朝のハグがあったかくて好き〜」
「それ証言になるの!? なるの!?」
そして最終陳述。
「見た目が変わっても、私は私です! 猫耳でも、女でも、愛の重みは変わりませんわ!」
バル子の目にはうっすら涙が浮かび、法廷がしんと静まった。
その中で、スラーディア判事がぺちぺちと頬をたたき、笑顔で宣言する。
「認定する。彼女は彼であり、彼は彼女である」
拍手喝采。
ナメさんが耳元でささやく。
「先生、ちょっと泣いてます?」
「泣いてねぇ……泣いてねぇからな……!」
そんなわけで、バル子の婚約は正式に有効と認められた。
法律は、形を変える。
でも、心はたぶん、種族も性別も超えて生きている。
異世界法律事務所、営業開始前、俺は朝から妙な予感がしていた。
ドアを開けた瞬間、そこにいたのは……ネコミミだった。
「おはようございますわっ! ご予約の、バル子ですの!」
目の前に立つのは、白銀の髪にふわふわの猫耳。スカートをひらりと揺らしながら、やたらテンションの高い美女が深々とお辞儀してきた。
「……えっと。ご予約のお名前、バルドルさん?」
「ええ、以前はそう名乗っておりましたわ! 今はもう、立派なネコミミ族の“バル子”ですの!」
俺はしばらく口が開いたまま固まった。
ドワーフの鍛冶職人だったバルドルが、性別も種族も変えて美少女になって目の前に現れるなんて、そんなマンガみたいな展開、現実にあるのか?
「……ナメさん。確認いい?」
「はい〜、間違いなくバルドルさんです〜。薬局の変換薬で、種族・性別変更を完了されたとのこと〜」
「完了された、ってそんな軽いノリで言うなよ……」
ナメクジ型助手のナメさんは、ぷるぷるしながら書類を差し出した。
本人確認書類の顔写真が、完全にネコミミ少女だった。いや、バル子本人だ。間違いない。
「いや……でも、正直、言葉が出ないわ……」
するとバル子がにっこり笑った。
「ご安心くださいませ、今でも中身は同じバルドルですの。ただ……外見的にちょっと可愛くなっただけですのよ」
その言葉で、なぜか俺の中のツッコミ精神が敗北した。
──後日、バル子からその大変身の裏話を聞かされた。
石造りの浴室で三時間悩みながら薬瓶を握りしめ、
『語尾がにゃになる副作用』と戦い、
鏡の前で「これが……わたくし!?」と叫び、
服のボタンの向きに混乱し、
スカートの履き方を三度間違え、
通い詰めた“ネコミミ女子講座”で語尾の安定感を身につけ……
「努力しましたのよ、わたくし。だって、変わりたかったんですの」
その一言には、なんかこう、ちょっと胸を打たれた。
法廷では、彼女──いや、彼は? とにかくバル子は毅然と立ち、
「私は私ですの! たとえドワーフであろうがネコミミであろうが、意思は変わりませんの!」と主張した。
スライム判事スラーディアは粘液を揺らしながら、
「にょろにょろ〜。これはもう、本人に違いないにょろ〜」とゴム判を押した。
そしてその晩。
仕事を終えて帰ろうとした俺の背後から、ぽそっと声がした。
「……高野様。今度、カフェにでも……ご一緒しませんこと?」
その声に振り返ると、ネコミミが月明かりにぴょこぴょこと揺れていた。
……俺は、その誘いに返事をする前に、そっとナメさんを盾に使った。
あの笑顔は、ちょっとだけ危険すぎる。




