【第39話】 『妖精の契約書、文字が小さすぎて読めません!』
朝一番に相談所の扉を開けて飛び込んできたのは、ちょこんと背の低いドワーフ族の老人だった。
「先生!助けてくれ、ワシ、命を取られるかもしれん!」
ドン!とカウンターに叩きつけられたのは、羊皮紙の契約書。
だが──俺には何も読めなかった。
「……これ、ただの染みじゃ?」
「ちゃう!よく見てくれ、この染みの中に文字が書いとるんじゃ!」
顕微鏡が欲しくなるレベルだった。どう見ても、インクの点にしか見えない。
「どうしてこれにサインしたんですか?」
「妖精が言うんじゃ、『同意してくれたら幸運が訪れる』って。なんか、キラキラしてて雰囲気でつい……」
要するに、読めないまま契約書に親指で印を押したわけだ。
「で、なんの契約だったんです?」
「“命を一度だけ差し出す”契約らしい……。そんなの聞いとらん!」
それは……普通にヤバい。
俺はその契約書を魔法拡大レンズで覗き込んだ。確かに書いてある。「被契約者は必要に応じ、妖精王国へ一度限りの魂の提供を約する」──文字サイズは、1ドット以下。
「これはもう、“見えなさすぎる”こと自体が問題ですね」
妖精たちは“超小型族”で有名だ。文字も小さくて当然と主張してくる。
だが、契約法における重要事項の表示義務には、“相手方の理解可能性”が要件として定められている。
「文字が小さすぎて読めない=理解できない=同意が成立しない、ですね」
俺は法廷にて、妖精側の弁護人と対峙することになった。
「我が妖精王国の契約は千年の歴史がある! サイズに文句をつけるのは種族差別ではないか!」
「ではお聞きします、その契約書を人間サイズに拡大した場合、全体の長さは?」
「……472メートルです」
「裁判所、その証拠書類は“巻物”ではなく“道路”です。到底、事前に確認できたとは思えません」
さらに追い打ちをかけた。
「契約書は“幸福のおまじない”のように装って渡されたとの証言もあります。これは詐欺的手口です」
結果、契約は“要素の錯誤”と“不当条項”により無効と認定。
ドワーフの依頼人は涙ぐみながら俺に握手を求めてきた。
「ありがとう先生……もう文字が小さいだけでビビるのはやめるよ……」
しかし事件はまだ終わっていなかった。
判決文の末尾にこう書かれていたのだ。
──なお、本判決文のフォントサイズは妖精準拠で記載されたため、拡大鏡の使用を推奨する。
「……なんでだよ!」
俺は、判決文にすら虫眼鏡をあてながら、深いため息をついた。
この世界、まだまだ“見えない契約”が多すぎる。
■
相談所の朝は、猫型精霊の伸びと共に始まる。
「にゃー……今日の紅茶はカモミールかにゃ?」
「いや、ジャスミンだ。昨日エミリアが間違って仕入れてきたやつだ」
俺は眠気眼をこすりながら、机の上の紙束を睨みつけた。
妖精族との契約書だ。依頼主は前回の裁判で和解した妖精エルネア。
問題は、和解の文言が“妖精語”で書かれており、翻訳不能な箇所が多すぎることだった。
「……なんで“うにゅにゅ”って単語が七回も出てくるんだよ。感情語って便利すぎるだろ」
そこへノックもなく飛び込んできたのは、妖精族随一の通訳士ララベルだった。
「おっはよーう高野センセ! 例の契約書、翻訳コンペにしちゃおうと思ってさ!」
「コンペ? 翻訳を?」
「そうそう! 妖精語ってほら、同じ単語でも感情で意味変わるじゃん? だから複数解釈が基本なのよ。というわけで、妖精翻訳士たちに自由訳してもらおうかと!」
俺は頭痛を覚えながらも、一応話を聞く。
「それ、誰が審査するんだ?」
「もちろん、わたし! だって、この文面を書いた妖精エルネアのいとこだもん!」
「……そりゃ公正とは言えんな」
「それなら中立の審査員入れようよ。猫精霊ちゃんとか」
「にゃ? オレかにゃ? うーん、エルネアの字は“もふもふ感”が足りないからなあ」
「それ感覚の話じゃねえか……」
こうしてなぜか、妖精語翻訳コンペが相談所で開催される運びとなった。
昼下がり、カーテン越しの光が暖かく机に差し込む中、三人の翻訳士が順番に提出していく。
「こちら、直訳になります。条文一:『当方は笑いながら契約するが、気に食わなければ踊って帰る』」
「意訳だとこうなります:『契約には応じるが、気分でキャンセルすることもあります』」
「感覚訳ですが:『その時の風に任せましょう』」
俺は額を押さえた。
「こんなんで、どうやって法的拘束力を……」
「いいでしょーこの自由さ! それが妖精文化ってやつ!」
「契約の根本が揺らいでるんだよ、ララベル……」
結局、最も“もふもふ感”があったという理由で猫精霊推薦の訳文が採用された。
曰く──『心がふわっとしたら、約束は有効。ざらっとしたら、破棄』。
「……ざらっとって、なんだよ」
俺は書類を棚に収めながら、天を仰いだ。
こうしてまた一つ、異世界法律の“例外判例”が積み上がった。
だがその夜、翻訳士ララベルは紅茶を片手にこう言った。
「でもさ、言葉って、解釈の幅があるからこそ面白いんだよね。契約も、心が交わった瞬間に成立する……そういうの、嫌いじゃないでしょ、センセ?」
俺はしばらく考えたあと、小さく笑った。
「まあ……嫌いじゃないな」




