【第33話】魔法使いとカエルの誓約書
朝一番で相談所の扉が叩かれた。バンバンバン、と。
「先生、相談したいことがあるんですの!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、甲高い──いや、若干ガラガラ声の女性の声。
開けるとそこにいたのは、杖とローブ姿の、なんとも年季の入った魔女だった。
「私、アメリア・ミスト。かつて“霧の塔”の筆頭魔法使いでしたの」
過去形が気になる。
「で、何のご相談を?」
「十年前にですね、ちょっと呪文ミスしまして……」
「……はい」
「カエルに変身したまま、十年、池で暮らしてたんですの」
「池!?」
「で、戻ってきたら、昔の契約が『無効』って言われまして! “あなた誰ですか”って! ひどくないですの!?」
横で紅茶を吹いたエミリアが、震える声で言う。
「え、それ……人格の、同一性が問われてるやつでは……?」
「その通り。魔法法と身分法、両方が関係する。なかなかの厄介案件だな」
俺は六法全書・改を開きながら言った。
「その契約って、具体的に何の契約だったんです?」
「えっと……弟子に研究塔の共同所有権を渡す、っていう契約ですわ」
「弟子の名前は?」
「ロイド・ヴァン・スネークスケールですの」
「長い」
「現在、“霧の塔”を完全に乗っ取り、私の書類を全部“カエルの落書き”扱いしてるらしいですの!」
「それは……面白いな」
「真剣に聞いてくださいまし!」
裁判当日。証人席には──
「クワッ! 私は十年間、彼女と池で生活してた“カエルのご近所さん”ですクワ!」
しゃべるカエルがいた。
「彼女、毎朝“今日も人格が崩壊してない”って自己確認してたクワ!」
「その証言、信用していいのか……?」
「クワッ!」
相手方、弟子のロイドは余裕の笑み。
「カエルと人間が同一人物などと、誰が信じるものか! 人格証明など、できるものか!」
俺は立ち上がる。
「できます。魔法法第39条、“変身魔法下における意識の連続性が確認された場合、人格は同一と見なす”」
「意識の連続性!? どう証明する!」
「簡単です。彼女だけが知っている“塔の秘密”を答えてもらえばいい」
アメリアがうなずいた。
「ロイド、あなた、塔の地下三階にある“爆発式冷蔵庫”の魔法ロックコード、まだ“好きなアイスの名前”のままでしたわね?」
「なっ……!? なぜそれを!?」
「あなたの好きなアイスは“焦がしバニラと竜のヒゲ”でしたのよ!」
「うわあああああ恥ずかしいっ!!」
裁判官がゴン、とハンマーを鳴らす。
「人格同一性、及び契約有効性を認める。弟子ロイドに対し、霧の塔の半分の所有権を返還するよう命ずる──」
「ふんっ。ようやく元に戻った感じですわ」
アメリアは杖を軽く振ると、ぱっとローブの裾を翻した。
「では、先生。次に困ったら……またカエルになって池から呼びますわ!」
「頼むから普通に来てくれ」
帰り際、証人カエルがこっそり俺に言った。
「クワッ……先生、ぼくも法律勉強してみたくなったクワ」
「……池でやれ」
今日も異世界裁判所には、笑いと混乱と、ちょっぴりの正義が渦巻いていた。
■
裁判が終わって数日。俺は静かに事務所で紅茶を飲んでいた……つもりだった。
「せんせーい! わたくし、また池に飛び込みそうになりましたのー!」
バン! と扉を開けて入ってきたのは、例の魔女、アメリア・ミスト。
彼女は十年間カエルとして池で暮らしていたせいで、いろいろと“魔女に戻れてない”自覚があるらしい。
「……どうぞ」
俺は無言でタオルとお茶を差し出した。毎回こうだ。
「ありがとうございますわ。ああ、乾いたタオルって素晴らしいですの。しみじみ人間してる感じですのよ」
「……で、今回は何があった」
「朝、鏡見たら“ヒレがない!”って驚いて、思わず舌がびよーんって」
「舌が? びよーん?」
「ええ、つい。カエルの癖ですわ。あと、昨日の夜、エミリアさんが寝てるときに虫叩いてたら、無意識に口が開いて……」
「食うな」
「食べてませんわ! 未遂ですの!」
エミリアはその話を聞くやいなや、ものすごい勢いでティーカップを握りつぶしそうになった。
「先生、今夜から私、蚊帳で寝ますわ!」
「いや、君は虫じゃないし」
「でも油断できませんの! この人、“本能”で生きてますのよ!?」
確かに、今のアメリアは“人間の形をしたカエル”に近い。
だが、杖を振る姿はたしかに魔女で、話す内容も……たまにカエルだ。
「せんせい。ところで、カエル時代にやってた“水面占い”の精度、ちょっと残しておこうかと思ってるんですの」
「やめてくれ。それ、たぶん魔法じゃなくて“勘”だ」
「でも、当たりますのよ? エミリアさんがこっそりおやつ食べたの、当てましたし」
「それは隠してたんですのーーっ!」
「おっと、失礼」
賑やかなのは悪くない。むしろ、俺の仕事場にこんなに笑いがあるのは珍しい。
「……で、塔の方はどうするんだ?」
ふと聞くと、アメリアは少しだけ目を細めて言った。
「戻りますわ。魔法使いとして、また研究を始めますの。ちゃんと二本脚で、杖を握って」
「それが正しい。というか、普通だ」
「でも……池だけは、残しておきますの」
「……名残惜しいか?」
「いえ、“落ち着くんですの”。でも誤解されないように、看板を立てておきますの。“これは温泉ではありません”って」
「カエル対策か」
「そうですの。……あと、私が入りそうになったときの自制のために」
最後に、アメリアは笑った。
「十年間カエルでしたが……もう、ちょっとだけ人間に戻れた気がしますの」
俺は黙ってうなずいた。
たぶんそれは、裁判じゃ解決できなかった“本当の問題”だったのだろう。
「次に困ったら、またカエルになって池から呼びますわ!」
「やめてくれ。今度はちゃんと手紙で頼む」
今日も、異世界法律相談所には笑い声が響いている。




