【第32話】口約束でも結婚成立ってマジ!?
俺の名は鷹野誠一。異世界唯一の六法専門法術士──つまり、弁護士だ。
その日、昼下がりの相談所は平和だった。エミリアがスコーンを焼き、猫型精霊が紅茶を淹れ、俺は未処理の書類を前に深いため息をついていた。
「せんせーいっ!!!」
ドアが爆発でもしたかのように開いた。
入ってきたのは、酒臭い青年だった。耳がピクピク動いている。どうやら獣人族らしい。
「助けてください! 俺、訴えられてるんスけど!」
「……まず落ち着こう。話はそれからだ」
「いやもう落ち着けないっスよ! 村の女の子に『結婚して』って言われて、酔った勢いで『いいよ』って言ったら──」
「うん」
「次の日から婚約者って呼ばれて、今じゃ結婚式の準備されてて──」
「うん」
「訴えられたんスよ! 『破談なら慰謝料5000金貨』って!」
「……なるほど」
俺は六法全書・改を手に取り、異世界民事契約法の条項を確認した。
「エミリア、異種族婚姻関連の口頭契約判例、まとめてあったよな」
「はいですわー。あ、でも“酒場での発言”は通常『酩酊下における意思不明瞭』って扱われるはず……」
「その通り。だが今回は“村の伝統”が絡んでる。そこが面倒だな」
この世界では、種族や地域ごとに“契約文化”が異なる。
今回の村では、“口に出した誓いは神聖な契り”とみなされ、酔っていようが関係ないらしい。
「つまり、“言った時点でアウト”ってことっスか!?」
「法律的には……グレーだ。だが戦える余地はある」
「マジっスか!? じゃあ先生、お願いします!」
こうして、俺は“口約束婚”訴訟を引き受けることになった。
開廷の日。村の簡易裁判所には、花冠をつけた可愛らしい亜人の少女が座っていた。
彼女が原告で、俺の依頼人は……やっぱり青い顔で震えている。
「被告は“じゃあ結婚しよう!”と明言しました!」
「確かに言いましたけど、それ酔ってたんスよ!? ジョークってやつッスよ!」
「我が村では、冗談でも“結婚”の言葉は神に誓うことと同義なのです!」
裁判官がうーん、と腕を組む。
「これは……文化的慣習と契約意思の衝突だな」
俺は立ち上がる。
「異文化間契約の成立には、両者の“意思の合致”が必要です。酔った勢いでの発言に法的効力を持たせるのは、通常の民事契約では難しい」
「だが村の習わしが……」
「尊重すべきです。ただし、他文化出身者に“周知されていないルール”を強制するのは不当です」
俺は静かに言った。
「彼は結婚を約束したわけではない。ただ、酔って“同意っぽいこと”を言った。それが罪だと言うなら──全ての酔っ払いは罪人になりますよ」
法廷に、笑いが起こった。
原告の少女は涙ぐみながら言った。
「……じゃあ、私の気持ちは、なんだったの……?」
「それは、訴訟とは別の話です」
静かに、でも確かに、彼女はうなずいた。
判決は──
「契約無効。ただし、誤解を招いたことに対する慰謝として、被告は婚約解消の儀式に正式に参加すること」
──という、なんとも異世界らしい“落としどころ”だった。
「せんせー……助かりましたぁ……」
「次からは酔ってプロポーズするの、やめとけ」
「はい……」
こうしてまたひとつ、“愛”と“法”の間を、俺は泳ぎきったのだった。
後日プロポーズを破棄された少女がやってきた。
「……先生。私、もう訴えたりしませんの」
亜人族の少女、ミルカが小さな声で言った。リスの耳がしょんぼり垂れている。
「でも、ひとつだけ……聞いてもよろしいですの?」
「ん。どうぞ」
「彼……あの方、わたくしのこと、本当に迷惑だったのでしょうか?」
俺は紅茶をすするふりをして、ため息をひとつ。
「それを俺に聞くか?」
「法律では測れない“気持ち”の部分、ですわ」
「……そういうのは、裁判所じゃ答えが出ないんだよ」
「では、どこで答えが出るのですの?」
その時、隣の台所から声が飛んできた。
「恋の答えは……厨房にあるんですのよー!」
エミリアがスコーンのトレイを振りかざしながら、仁王立ちしていた。
「さあさあ、こちらにいらっしゃいな! 今日は特別に“片想いスープ”を伝授いたしますの!」
「片想いスープ……?」
「材料は、玉ねぎ、人参、じゃがいも、それと──ひと匙の未練ですわ!」
「未練って……食材!?」
「気持ちの話ですわ。気持ち!」
なぜかエプロン姿の俺も手伝う羽目になり、三人で鍋を囲むことに。
ミルカはぎこちない手つきで野菜を刻みながら、ぽつりとつぶやいた。
「……でも、言ってくれたらよかったのに。
“ごめん、酔ってた”って、それだけでも」
「いや、言おうとしたら村の皆が結婚式の準備始めてて怖かったってさ」
「えっ」
「昨日、本人がこっそり相談に来てた。結局、謝りそびれたらしい」
「…………」
ミルカは黙ってスープをかき混ぜた。そして一言。
「ぶん殴ってもよろしいですの?」
「……落ち着け。スープが濁る」
やがてスープが完成し、三人で静かに味わった。
「……うん。ちょっと、しょっぱいけど」
「未練のせいですわね」
ミルカはふっと笑った。
「でも、次は……もっとちゃんと、しらふで“結婚しよう”って言わせてみせますの」
「それが本当の契約だな」
猫型精霊がくるりと丸まりながら、にゃーと鳴いた。
「(スープに恋の味はなかったにゃ)」
「うるさい、食うな」
──片想いも契約も、火にかけてじっくり煮込めば、意外と悪くない味になる。
そんな昼下がりだった。




