【第27話】 『“憧れの王子様”と結婚できなかったから国家賠償!?』
その日、相談所のドアがいつもより勢いよく開いた。
「先生っ、大変なんですの! 私……国家を訴えますわ!!」
金色のカールが跳ねるたび、宝石が散りばめられたドレスの裾がきらきらと踊った。現れたのは、おなじみリリアン嬢。例の婚約破棄事件以来、常連クライアントとなりつつあるが、今回はまたひときわ突飛だ。
「……今度は何を?」
俺、高野誠一。異世界で法律相談所を開いている元弁護士だ。六法全書片手に今日も異世界の混沌に法の光を差し込んでいる。
「聞いてくださいまし! この前の舞踏会で、第一王子アルトワ様とほんの少し……ほんのすこーしだけ目が合ったのですの! なのに、昨日発表された婚約者は別の方でしたのよ!? これは裏切り! 詐欺! 国家レベルの精神的苦痛ですわ!」
机に突き出されたのは、香水がしみ込んだメモ帳。そこには、「“王子様”という言葉は万人に希望を抱かせるが、その実現には責任が伴うべきである」と、哲学的なのかギャグなのかわからない主張が並んでいた。
「つまり、“王子様と結婚できると思ったのに、違った”から国家賠償、ということか?」
「はい、先生。真剣ですわ!」
「……よし、やってみよう」
もちろん、本気で国家に勝とうなどとは思っていない。だがこれはいい機会だ。近年増えてきた「恋愛による精神的損害」の法的境界線について、異世界の法体系で一石を投じてみるのも悪くない。
かくして開廷された、異世界版“婚活訴訟”は――
「原告側は、“王子に目を合わせられた”ことを恋愛の成立と見なしたと?」
「はい、それが乙女の直感ですわ!」
「では、被告である王国側……つまりこの王子の顧問弁護士としては?」
「目が合ったのは、後ろのカクテルを見ようとしただけです」
法廷中に笑いが起きる。だが俺は真剣だ。
「つまり、愛の錯覚が国家賠償にまで至る余地があるとすれば、その情報提供のあり方、公式舞踏会での視線の意味、さらには王族の“振る舞い責任”を考慮せねばならない!」
何を言ってるんだ俺は。
結果、裁判所はこう判断した。
「目が合っただけでは恋愛感情の成立とは言えない。また王族の視線に法的義務が生じることはなく、今回の精神的苦痛に対して国家が賠償する義務は認められない」
……だよな。
「でも先生……わたくし、次は騎士団長を狙ってみますわ! この涙をバネに、乙女は強くなるのですわ!」
リリアン嬢は花びらのように舞いながら去っていった。
俺はそっと机の引き出しから、常備している“頭痛薬”を取り出すのだった。
■
その日、俺は久しぶりに午前中をのんびり過ごせる……はずだった。
窓から差し込む日差しが、机の上に散らばった資料を柔らかく照らしている。コーヒーの香り。静寂。俺の理想の午前だ。
「失礼いたしますわ!」
――バンッ!
扉を叩き破る勢いで入ってきたのは、真紅のドレスに身を包んだ令嬢。
その動きに、机の上の書類がふわっと舞い上がる。
そして何より、彼女の腕には分厚い書類の束。
「……高野誠一先生ですわね? 私、リリアン=グリモワールと申しますの!」
ああ、今日も平和が終わった。
「ご依頼ですか?」
「ええ。国家を訴えたいのですわ!」
平和どころか、戦争が始まりそうだ。
「理由をうかがっても?」
「はい! アルトワ王子と婚約できなかった精神的苦痛に対する賠償請求ですの!」
「……アルトワ王子?」
「そう。王国随一の騎士で、容姿端麗で、慈悲深くて、私の運命の方!」
「で、婚約は?」
「しておりません!」
「……えぇ。」
その“しておりません”を堂々と誇らしげに言われると、むしろ自信が羨ましくなる。
「では訴状を……ん?」
彼女が差し出したのは、まさかの“冊子”。
タイトルは、金箔押しの表紙にでかでかと――
『ファンクラブ活動報告書〜王子を追って三千里〜』
副題:『愛は訴訟を越えて』
いろんな意味で法の範疇を飛び越えている。
「ちょっと中を……」
パラパラとページをめくると、こんな見出しが目に飛び込んでくる。
【第5章 王子の歩行速度から導き出される心の揺れ幅】
【第12章 王子のために編んだマフラーが届かなかった冬と私】
【巻末資料 王子の出現頻度マップ(王都東部限定)】
なんだこれは。ストーカーの現場検証か?
「これを証拠として提出する予定ですの!」
「……マジで?」
そして――裁判当日。
裁判官席には、スライムのスラーディア裁判官がどろんと鎮座。
いつものように粘液を湛えた透明な体が、書類の山の重みでやや傾いている。
「では、原告より証拠提出を……って、それは?」
「こちら、王子との運命的出会いを綴ったファンクラブ活動報告書でございますわ! 全101ページ、特製ハードカバー仕立て!」
「粘液でページが……めくれませんが……」
「先生、どうか伝えてください! この情熱が真実であると!」
「……伝えるのは自由ですが、通るとは限りませんからね?」
その後の裁判はもはやファッションショーか演劇だった。
リリアン嬢が証人席に立ち、“王子と一緒に微笑んでいた気がする”夢の記録を読み上げれば、傍聴席の記者たちはメモを取るのを諦め、スラーディア裁判官の粘液が心なしか萎んでいた。
「被告側……国家代理人、反論は?」
「えー、夢は証拠能力を有しませんし、原告は“関係のない一市民”です」
それでも、リリアンはめげなかった。
「愛とは、証明のいらない真実ですわ!」
法廷が一瞬ざわつく。いや、たぶん照明がチラついただけだ。
結果――訴えは棄却された。
だがその後、王国内務省より“心の安定支援金”なる謎の名目で、リリアン嬢には補助金が支給された。
俺はその処理のために、また数十枚の書類を提出する羽目に。
「先生! 次の訴訟は“王子の視線が窓の外を向いたのは私へのサイン”という件ですわ!」
もうやめてくれ。
俺の司法的良心が、どんどんスライム化していく気がする。
■
裁判所に「黄色い声援」が飛ぶ日が来るとは、思ってもみなかった。
それも、“被告人”ではなく、“王子様”に対して、である。
「きゃーっ! アルトワ王子、今日も輝いてますぅーっ!」
開廷前。
傍聴席の前列には、貴族令嬢から平民女子、果ては商家の奥様まで――推定年齢12歳〜80歳の“王子ファンクラブ員”がずらりと並んでいた。
法廷、というよりほとんどライブ会場。
なのに、裁判の内容は。
「本日の審理は、原告・フィオナ=セリュス嬢が、“王子の微笑みが自分への恋のサインだった”と主張し、それを裏切った王子を“不当感情損害”として訴える件です」
……。
「……ちょっと、なにそれ」
「先生、これはとても重要な“愛の訴訟”なんです!」
背後からドサリと積まれた書類が、俺の机を占拠した。
提出者は、もはやおなじみとなった“推し活原告”のリリアン嬢。
「これは王子が私に投げた“視線の角度”を記録した図面ですの!」
「それ傍聴席から勝手に測ったでしょ」
「次は“口角上昇比率”に基づいた恋愛反応チャート!」
「そっちも非科学的!」
……いや、非魔法的か?
アルトワ王子は、証人席に立つと、微笑んだ。
それだけで、会場が揺れた。
いや物理的に――令嬢たちが椅子から一斉に立ち上がり「ウゥッ!」と悶えたから。
「王子殿下、あなたは意図的に原告に対し、特別な微笑を向けた事実はありますか?」
「ございません。私は常に、国民の皆様に平等な笑顔を心がけております」
「くぅううう……! やっぱりお優しい……!!」
「そっけなさも……素敵ですぅ……!」
……おい、原告。逆に喜んでないか?
「では証拠資料の確認に入ります」
俺の目の前には、以下の提出物が並んでいた。
王子の視線角度分析グラフ(1年分)
微笑み時の唇の湾曲測定写真集(全40枚)
“あの時のあの笑顔”に対する原告の心拍数推移グラフ
「これは、証拠というよりファンブックでは……」
「いいえ! これは感情損害の実証ですの! 乙女の期待を裏切った罪は重いですわ!」
「……俺の乙女心が削られそうだよ」
そしてスラーディア裁判官が、粘液をぐにゅっと震わせて判決を言い渡した。
「この裁判において、“微笑み”が法的拘束力を持つとは認められません……が」
が、とは何だ。
「王子殿下の笑顔が、多くの市民に精神的幸福を与えていることは事実。よって、当裁判所は“感情配慮義務”を緩やかに認定するものとし、“推し活対象者に対する心的配慮”を助言として通達します」
「勝ったー! 判例出たー!!」
「記念グッズ作ろう!」
「感情配慮義務バッジ、法廷バージョンで!!」
――その日、“推しの微笑み”は、判例になった。
裁判終了後。
「先生! 次は“王子の愛馬に踏まれた夢”に関する損害賠償訴訟を!」
「やめてくれ……もう俺の理性が保てない……」
でもなぜか、ちょっとだけ思ってしまった。
(……この世界、案外悪くないかもな)




