【第16話 】『異世界シェアハウス騒動、ルームメイトが魔王だった件』
俺の名前は高野誠一。かつて現代日本で弁護士をやっていたが、今は異世界で法律相談所を開いている。
ある日のこと。相談所の扉が勢いよく開いた。
「すみません! 契約トラブルで……助けてください!」
飛び込んできたのは、やたら汗だくの青年だった。名前はライル。聞けば、いわゆる“シェアハウス”に住んでいたら、ルームメイトが“魔王”だったというトンデモ案件だった。
「最初はただの物静かな黒髪の青年だったんです! でも……夜中になると、魔導陣を描き出して、召喚とかしてるし、冷蔵庫の中に“生きた心臓”があるし!」
ライルは声を震わせながら言う。
「しかも風呂の湯が……赤黒いんですよ!? あと“お湯”なのに、氷の気配がするんです!」
……怖い。それは確かに怖い。
早速、持参された“同居契約書”を確認してみる。細かい魔文字がギッシリと書き込まれており、「これは現代日本のブラック企業でも見ないレベルだな……」と俺の弁護士魂がざわつく。
「……この契約書、“共用スペースでの魔導儀式は可”って書いてあるぞ?」
「はい! でも、そんなの契約の時に小さな文字で書かれてて、読めなかったんです!」
「まさかの“異世界あるあるフォント詐欺”か……!」
仕方ない。直接、魔王と話をすることにした。
翌日、俺とライルは問題のシェアハウスへ向かった。
玄関を開けると、そこには黒髪で美形、目つきがやたら鋭い青年が立っていた。黒いマントをひるがえし、悠然と座って紅茶をすするその姿──どう見ても魔王である。
「おや……法律家殿がわざわざ? これはこれは」
「高野誠一、弁護士だ。同居契約に不備がある可能性がある。ちょっと話を聞かせてもらおう」
魔王──名をヴァルゼ・ノクターンと言った──は意外と協力的だった。曰く、「人間社会に馴染もうと努力している」らしい。
「しかしどうにも、“風呂に他人が入っている”という事実が受け入れられなくて。つい、湯を凍らせたり、煮立たせたりしてしまうのです」
「いや、それは努力の方向を完全に間違えているだろ……」
話し合いの末、俺は“契約条項の見直し”を提案した。
具体的には──
・共用スペースでの魔導儀式は禁止
・風呂の使用時間は事前申告制
・冷蔵庫の中身は人間基準で無害なものに限定
・「地獄ゲート開門」は月2回まで
この修正案を提示すると、魔王は不満そうに眉をひそめつつも、渋々了承した。
「……人間社会とは、なかなか面倒なものですね」
「それでも、共に暮らすにはルールが必要だ。お前がこの世界で平穏に生きたいならな」
しばしの沈黙のあと、魔王はふっと笑った。
「……いいでしょう。契約、更新いたしましょう」
数日後、ライルから手紙が届いた。
“おかげさまで、魔王様とは“まあまあ仲良く”やってます。
たまに風呂が黒いけど、挨拶するようになりました。あと、今月は地獄ゲート、1回で我慢してくれたので助かってます”
どうやら、異世界にも“歩み寄り”の精神は存在するらしい。
俺は六法全書・改をパタンと閉じた。
「シェアハウスも、契約書も、ルールがあれば世界は回る」
そして今日もまた、相談所の扉がガタンと音を立てた──
「すみません、風の精霊に訴えられまして……!」
……休む暇もないな。
■
我が名は、ヴァルゼ・ノクターン。かつて七つの大陸に恐怖を刻んだ大魔王である。
……とはいえ、今では“下界の片隅に暮らす一般市民”などという、実に不名誉な肩書に甘んじている。
きっかけは、高野誠一──異世界法律相談所の主にして、面倒くさい人間の代表格──が口にした一言だった。
「ヴァルゼ、お前も“町内会”に出てこい。シェアハウス住民なんだろ」
──町内会? 自治会?
それは、新たなる統治組織か?
「参加しないとゴミ捨て場のローテに入れてもらえないぞ」
……ゴミすら捨てられぬとは、なんという世界。
かくして私は、王の誇りを捨て、自治会なる謎の儀式に挑むこととなった。
会場は小さな集会所。床はギシギシと音を立て、空気は濃い茶の湯気に満ちていた。
住人は十数名──ほぼ老齢の人間ばかり。杖をついた婆が言う。
「んまぁ、あんた……随分、黒くて立派なマントだこと。オシャレねぇ」
……“立派”は誉め言葉だろうか。油断ならぬ。
自治会長の挨拶が始まった。内容は、回覧板の遅配、ゴミ置き場の掃除当番、カラオケ大会の予算について。
魔界では一切扱わぬ類の議題ばかり。
私は必死にメモを取りながら、心の中で呟く。
(これは……政争ではない。忍耐の戦場だ……!)
そして、回覧板が回ってきた。
「……なんだこれは。板に紙が挟まっておる」
「読むんだよ、それ。順番に見て、名前の横にハンコ押して、隣の家に回せ」
「“隣の家”とは……どこだ?」
「だから、あの角の……ほら、犬がうるさい家だよ」
──この空間、情報が全て“主観”だ。
法律よりも曖昧で、混沌としておる。
私は……私は今、“常識”という魔術に挑んでいるのか……?
終盤、茶菓子タイムとなった。
すると隣の婆が、ニコニコとこちらを見ながら言った。
「若いの、あんた、いい魔力してるねぇ。うちの孫に見せてやりたいわ。あんた、婿に来る気はあるかい?」
「…………」
沈黙は肯定と解釈されたらしい。次の回覧板には、私の“見合い候補”として書き込まれていた。
家に帰ると、高野が笑いを堪えて言った。
「どうだった? 初自治会は」
「この世で一番恐ろしいのは、“老婦人の圧”だと知った」
「ようこそ、市民社会へ。契約書もないが、口約束は法より強い世界だ」
ふん、と鼻を鳴らしながら、私は今日もゴミ袋を持ち、定刻通りに出す。
地獄門は封印されたが、燃えるゴミは週二回。
──魔王の社会適応修行は、まだ続く。
■
日差しがまぶしい昼下がり。
私は商店街にいた。
理由? 特にない。人間社会に慣れるには、まず歩くことからだと誠一に言われたからだ。
「モヤシと豆腐と……これは、白い謎の液体……“牛乳”?」
目を細めて陳列棚を眺めていた時、
唐突に、どこかから耳障りな鐘の音が響いた。
「大当たり〜! 出ました一等賞〜!」
──それは、商店街の中央に設置された、見た目からして不吉な“ガラポン抽選器”からだった。
「はい! おめでとうございます、お兄さん!」
手には買い物カゴ、頭にはフード、肩にはマント。
……そしてガラポンを回した覚えのない私。
「待て、私は回していない」
「でも、この赤玉、あなたの真下に落ちましたから! はい、異議ありは不可です!」
まさかの法の暴力。ここ、法治国家じゃないのか?
「賞品はですね〜、こちら! ペアで行ける極楽温泉旅館『湯けむり幻夢館』一泊二日プラン!」
──温泉。
──旅館。
──ペア。
「同行者、必要……なのか」
「もちろん! ふたりで行くって決まってますから!」
「……ぐぬ」
こうして、私は温泉旅行を“押しつけられた”のだった。
帰宅後。
「なあ誠一……同行者になれ」
「断る」
「なぜだ!」
「裁判六件溜まってるんだよ! てか、なんでお前が当ててんだ!」
「わからぬ! 気がついたら“当たっていた”!」
俺は魔王だぞ!? と言いかけて、すぐ飲み込む。
今の私は、市民だ。魔王より、住民番号のほうが効力を持つ世界に住んでいるのだ。
結局、シェアハウスの住人、スライム族の青年ナメさんが同行してくれることになった。
「いや〜ヴァル兄、まさか僕が温泉初体験になるとは……てか、入っていいのかな。液体が増すと膨張して出られなくなるかも……」
「お前が選んだのだろう、ナメさん」
そして翌日──。
旅館はまさに“幻夢”のようだった。
木造三階建て。瓦屋根から湯けむりが立ち上る、異世界らしからぬ和風情緒。
「ナメさん、浴衣は……」
「えっと、サイズが……ダボダボで……」
「いや、それ“着る”意味あるのか?」
風呂は男湯と女湯に別れていたが、ナメさんには無意味だった。
むしろ“湯と一体化して溶け込んでいた”せいで、他の客に「これ、入っていいのかな……?」とざわつかれる始末。
夕食時──
「では、本日のお品書き。地元産のキノコ、イノシシ肉の陶板焼き、そして──“幻のドラゴン魚”の刺身でございます」
「……これは、かつて我が配下だった種族だが……まあ、うまいな」
「やっぱり“昔話”が重いッスね……」
夜、風呂上がりに縁側で風に吹かれながら、ナメさんがぽつりと漏らす。
「ヴァル兄、こうやって普通に旅行できるって、不思議ッスよね。
俺たち、モンスターだったのに……今、旅館に泊まってるんスよ?」
私は、少しだけ笑った。
「人間社会は厄介だが……悪くない」
「次は、“抽選なし”で行きたいスね」
「ふ。では、その時は誠一を無理やり連れて行くか」
「……法的にどうなんスか、それ」
月明かりの下、二人の“元・モンスター”は、湯冷めも忘れて笑った。
帰宅後、誠一の机の上には“湯けむり幻夢館ご利用アンケート”が置かれていた。
そこにはナメさんの文字でこう記されていた。
「最高でした。でも、湯温はもう少し低めで。あと“同行者が魔王”と書くと、受付で二度見されるので勘弁してください」




