53.終局
深い眠りの中で、俺は夢を見ていた。
普段俺はあまり夢を見ない。見るとすればそれはほとんど、女神が俺に何かを伝えようとしている時だった。
四百年前、俺はたまにその予兆のような夢を見せられたものだ。
しかし今、夢の中には女神の姿も、未来の予兆もなかった。
ただ暗い空間で、走馬灯のようにこれまでの人生 (前世では猫生だ)の映像が目の前に流星のように流れている。
俺はそこに座り込み、夜空を見上げるような恰好で、その流星を見つめていた。
自分が今猫の姿なのか、獣人の姿なのか、俺にはよく分からない。
改めて振り返ってみると、四百年前も今も、俺は神から良いように使われているだけだった。
女神の失態により勇者となり、魔王を討伐したかと思うと、また異世界へと飛ばされる。
異世界の魔王と和解したかと思うと、次は過去へと飛ばされ、再びハジメと共に魔王に対峙する。
やっと解放されたかと思いきや、今度は未来から魔王がやって来て、異国の地で戦う羽目になる。
そして生まれ変わってもなお、一時的な勇者として都合よく使われているのだ。
しかしそんな日々もさすがにもう終わりのようだ。
もしまた生まれ変わらなければならないなら、今度こそ神とは無縁の人生を送りたいものだ。
そこまで考えたときに、ふと俺のことを呼ぶ声に気が付く。
「しょこら、しょこら」
それは非常に弱弱しい声だ。
小さな虫の鳴くような、今にも消え失せそうな、か弱く震える声だった。
今にも息絶えそうなその声は、しかし、それでも俺のことを呼び続けた。
「しょこら、しょこら」
声の主が咳き込む音が聞こえる。
その雰囲気からして、どうやら血を吐いているようだ。
俺は心のどこかで、この声が消える前に起きなければならないと感じた。
すると何もなかった空間に、周囲に立ち込める煙霧と、血生臭さが突然戻ってくる。
「しょこら、しょこら」
俺はそこでやっと目を開けた。
そこはまだ魔王城の一番大きな棟の大広間で、壁や天井は崩れ落ち、空が完全に露わになっている。
どんよりとしていた空の雲間からは、僅かに光が差し込んでいた。
俺は何度か瞬きをして、状況を把握するためゆっくりと視線を動かす。
体中に痛みはあるものの、潰された内臓や砕けた骨は、どうやら僅かに修復している。
そして、隣で意識を失っているユージの姿が目についた。
まだ体中がボロボロで、不自然に曲がった足を何とか引きずり、床を這いながら俺の元へとやって来たと見える。
そしてユージの周囲には、空になった回復薬の瓶が何本も転がっていた。
どうやらありったけの薬を俺の体に注ぎ、必死に呼びかけた後で、ついに気を失ったらしい。
そうと分かればやるべき事はただ一つだ。
俺は治癒魔法を発動し、自らの体を完全に回復させる。
そしてすぐユージに向き直り、手をかざしてその体を癒した。
全ての傷が癒え、足が元の角度に戻り、ユージの息が安定したことを確かめると、俺はすぐに立ち上がる。
崩れた天井の下敷きになっているナユタの元へと駆け寄り、瓦礫を持ち上げて放り投げ、治癒魔法を施す。
流れ出る血は止まり、止まりかけていた息は何とか吹き返した。
そこまですると、俺は再び床にへたり込み、大きくため息をついた。
とにかく、魔王に代わる存在を倒したのだ。ラファエルとロベルトの魔力は昇華され、人間の神の力となったはずだ。
これでこの世界線は滅びることなく、今後も未来へと向かって伸び続けることができるだろう。
しかし俺はどこか違和感を覚えていた。
本来であれば、魔王を討伐すると、あのへっぽこ女神が再び俺を呼び出すはずだ。
子供のように泣き喚き、よくがんばったと言いながら、特に欲しくもない謝辞を述べ立ててくるはずだった。
しかし今、俺が再びあの空間に呼び出される気配はなかった。
女神は一週間限定と言ったが、何なら勇者にされてから一日で決着をつけたのだ。
魔王を倒せば、一時的な勇者としての力はその時点で消えるという訳でもないのだろうか。
もしくは神は、まだ俺に何かさせようとでもしているのだろうか。
そこまで考えた時に、俺は小さな呻き声を聞いた。
ユージとナユタがそれぞれ目を覚まし、ゆっくりと体を起こしているところだった。
「しょこら………。ありがとう、助けてくれて………」
ユージは俺を見てにっこりと笑う。
「おう。こっちこそどうもな」
俺はフンとした調子で答える。
あの時、ユージとナユタが来なければ、俺はとっくにラファエルの闇魔法により亡き者にされていただろう。
「ありがとう、しょこら君。無事に、あの二人を倒せたんだね」
ナユタも同じように、穏やかに微笑んで俺を見つめて言った。
「今回は皆助かって、本当に良かったよ」
俺はナユタをじっと見返した。
そう、今回は全員助かったのだ。
対峙する相手は違えど、俺達のためにハルトが命を落とすことも、ハジメのために俺達が犠牲になることもなかった。
にっこりと意味深な笑みを浮かべて、ナユタは立ち上がる。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
それから俺達は、再びユージを通してマトリカを呼びつけ、エド町へと戻ったのだった。




