45.暴動
兵舎に戻るまでの道すがら、俺はナユタに向かって尋ねる。
「おい、一体何がまずいんだ。魔物の襲撃以外に、何か問題でもあるのか?」
ナユタは前を向いたまま、足早に森を突っ切っている。
俺も遅れないようにほぼ駆け足になりながら、ナユタの隣で歩を進めていた。
ここから森を抜けるのに少なくとも四十分はかかる。
森を抜けるとエド町北側の門が見えて、そこから兵舎に到着するまではどんなに急いでも小一時間はかかる見込みだ。
一切速度を緩めないまま、ナユタは俺に向かって答える。
「ああ、ごめんね。これはあくまで僕の推測にすぎないんだけど………」
そうしてナユタは、自らの推測について語り出した。
同じ頃、兵舎の一室でベッドに横たわるアイリーを、ユージはじっと見つめていた。
「アイリー、気分はどう?少しは良くなった?」
ユージが声をかけても、アイリーは反応しない。
ただ蒼い顔をして、目を閉じて横たわっているだけだった。
ユージははあっと息をつき、その顔を覗き込みながら呟く。
「どうしちゃったんだろう。ただ疲れただけには見えないし……。もしかして、何かの病気とか……」
アイリーはユージと共に兵舎へ戻るや否や、気分が優れないからと自分の部屋へと戻り、そのままベッドに潜り込んだのだ。
最初は疲れているだけかと思われたが、アイリーはなかなか目を覚まさなかった。
「おかしいな、途中で回復薬も飲んだのに、あまり効き目がないみたいだし……」
ユージが心配そうに呟くと、その時、アイリーが薄く目を開けた。
「アイリー!良かった、目が覚めたんだね。気分はどう?少しは良くなった?」
アイリーが目を覚ましたことで、ユージはひとまず胸を撫で下ろした。
しかしアイリーは、ユージの問いかけに一切反応しない。
ただ薄く開かれたその目は、焦点の合わないまま無表情に天井に向けられている。
「アイリー?……あの、大丈夫………?」
再び不安になったユージは、アイリーに向かって問いかける。
すると数分の後、やっとアイリーはゆっくりと目を動かしてユージの顔を見つめた。
「………ユージ、さん………」
喉から搾り出たその声には、不思議なことに一切の感情が込もっていない。
「うん、僕だよ、アイリー!ねえ、本当に大丈………」
そこまで言って、ユージはふと言葉を止めた。
アイリーが突然体を動かし、ゆっくりとベッドから起き上がったのだ。
「アイリー、まだ無理しない方が………」
焦ってその背に手を添えながら、ユージが声をかける。
しかしアイリーは聞いていなかった。
完全に上体を起こすと、未だに表情を一切変えないまま、ゆっくりとユージの方へとにじり寄る。
そしてそのまま両手をユージの背中に回し、ぎゅっとその体を抱きしめた。
「あの、アイリー………?一体どうし………」
突然抱き着かれたユージは、訳が分からないままアイリーに問いかける。
自らの両手をどこに置けば良いか分からず、アイリーの肩にそっと手を添えた。
『どうしたんだろう。魔物の襲撃が続いて、怖がってるのかな……。でも、何だか様子が………』
そこまで考えたところで、ユージは思考を止めた。
突然背中に走った激痛に、考え続けることができなくなったのだ。
「ア、アイリー………どうして………」
ユージは椅子から滑り落ち、ドサリと床に倒れ込む。
その拍子に椅子が倒れ、ガターーンと大きな音を響かせた。
アイリーは手にした短剣で、ユージの背中を後ろから貫いたのだった。
「おそらくアイリー君やあの護衛隊員達は、何等かの精神干渉を受けているはずだ」
森を抜け、北側の門へと近づきながらナユタは早口に説明する。
「突然人が変わってしまうというのは、闇魔法による精神支配の典型的な症状だ。そしてこれも僕の推測だけど、おそらく大陸南部出身者の方が、闇魔法による影響を受けやすい」
そういえばアイリーは、王都よりもずっと南にある南部の町、ベンガルの出身だ。
俺とユージは大陸全体で言うと北側の村の出身だし、ナユタはエド町出身なので、アイリーほど影響を受けていないということなのか。
「精神干渉には何等かの媒介が必要だ。エド町の場合は、それは魔物の襲撃によって触発された人々の不安感や焦燥感だろう。そういった負の感情を媒介にして精神支配は広がる。そしておそらく、王都や他の町が獣人に固執しているのも、精神支配の一環なんだろう。これまで確証がなかったけどね」
「なら、突然全国的に獣人狩りが盛んになって、小さな村や集落が襲われ出したのも、精神干渉が原因なのか?」
「何度も言うけど、これは推測に過ぎない。だけどそう考えるのは合理的だ。今思うと、魔王復活間近にも関わらず、獣人に執心すること自体が元々不自然だったんだ。精神干渉というのはじわじわと広がるからね。突然村を襲うという暴挙に出たのは、おそらく精神干渉が進行した結果だろう」
「だがその精神干渉ってのは、一体誰が元凶なんだ。魔王はまだ復活していないんだろ」
「ああ、そのはずだ。……だけど正直、それについても確証はない。……本来は魔王復活前に、魔物群の侵攻が起こるはずなんだ。それはどの時代でも変わらない。これまでにも例外はなかったはずなんだ」
ナユタはほとんど独り言のようにそう言った。
まるでこれまで何度も、魔王復活を経験してきたかのような口ぶりだ。
そうしてやっと兵舎へと辿り着いた俺達は、そこで信じられない光景を目にする。
「ユージ君!!!」
ナユタはその光景を目にして一瞬絶句する。
床に倒れ込んだユージ、その上に跨っているアイリー。
ユージの背中からは、血が滝のように流れ出ている。
そしてアイリーは両手で短剣を握りしめ、それを大きく振りかざし、今にも最後の一撃を与えようとしていた。
ガキイイイィィン!!!
ナユタの放った土魔法の弾丸が、アイリーの短剣を弾き飛ばす。
短剣は両手から吹っ飛び、大きな音を立てて床の上に落ちた。
アイリーは不思議に無表情な目をこちらに向けた。
俺とナユタの方向を見つめているが、目の焦点は合っていない。
すると再び視線を落とし、今度はユージの首に両手を添えて、今にも締め上げようとした。
俺はその場から思いっきりジャンプしてアイリーの傍に降り立つと、そのまま後頭部に軽く蹴りを入れた。
小さくウっと声を発したアイリーは、そのまま意識を失い、ユージの上にバタリと倒れ込む。
「……良かった、まだ息はある。急いで回復しないと………」
駆け寄って来たナユタはそっとユージの体を持ち上げ、ライアスから教わった治癒魔法陣を展開する。
それだけでは間に合いそうにないので、俺も回復薬を取り出し、ユージの背中の傷口に注いだ。
「……これも、精神支配のせいなんだろうな」
俺がアイリーの体もそっと持ち上げながらぼそりと呟くと、ナユタはこくりと頷いた。
「ああ。そうでなければ、アイリー君がこんな事をするはずがない。……どうやら彼女は人一倍影響を受けやすいらしい」
「これからどうする。いっその事、今すぐにでも魔王領へ行けないのか。このままじっと手をこまねいて待ってるのは御免だぞ」
その時、ユージが小さく呻き声を上げた。
どうやら一命を取り留めたらしい。
「………あれ、ナユタさん、しょこら………。僕は、どうし………」
ほっと息をついたのも束の間、その時、部屋の外から誰かの叫び声が聞こえて来た。
兵舎の中で、どうやらまた何事かが起きているらしい。
「チッ、今度は何だ。おい、そいつを任せたぞ!」
俺はナユタに向かってそう言い捨てて、走って部屋を飛び出した。
「しょこら君、気を付けるんだよ!」
走り去る俺の後ろから、ナユタの声が追いかけてくる。
俺はアイリーの部屋を飛び出し、声のした方向へと駆け出した。
騒ぎはどうやら、普段兵士達が会議を行う部屋で起きているらしい。
俺が会議室に飛び込むと、目に飛び込んで来たのはとんでもない惨状だった。
隊員達は皆武器を持ち、互いに憎しみを込めた目で睨み合っている。
数人の隊員は既に背中や腹を突き刺され、血を流して床にうずくまっていた。
「お前らが悪いんだ!この町がこんなになったのも、皆お前らのせいだ!!」
「それはこちらの台詞だ!今ここで貴様を始末してやる!!」
ウオオオオオという叫びを上げて、剣や槍を振りかざして隊員達は互いに飛び掛かる。
武器の触れ合う音の合間から、突然俺に向かって声が飛んできた。
「あいつは冒険者だ!冒険者なんざ皆、役立たずの穀潰しだ!あいつもここで成敗してくれる!!」
剣を振り上げて飛び掛かって来る隊員の攻撃を、俺はさっと避けてかわした。
床に打ち付けられた剣は、ガイイイイィィンと鈍い音を響かせる。
「ったくお前ら、どいつもこいつも正気を失ってんじゃねえよ!!」
俺は苛立ち、大きくジャンプして隊員の後頭部を蹴り上げた。
アイリーと同様に意識を失った隊員は、その場にぐしゃりと崩れ落ちる。
ふと気が付くと、騒ぎはどうやら兵舎の中だけではないようだった。
窓の外からは同じように、互いに罵り合い、攻撃を仕掛ける音が響き渡って来る。
急いで兵舎の外へ駆け出すと、そこはまさに隊員達や冒険者同士の戦場と化していた。
「おい………これは本気で、まずいだろ」
目の前の惨状に唖然として、俺は思わず大きくため息をついた。




