36.二度目の誘い
「アイリー、大丈夫かな。ずっと意識が戻らないけど……」
ユージはアイリーのベッド脇の椅子に座って、じっと顔を覗き込んだ。
その日は火事の騒動から二日後だった。
翌日には目を覚ました俺達と違って、アイリーは未だに目を覚ましていない。
「どうしてアイリーだけ、なかなか目が覚めないんだろう?」
「おそらく煙を吸い込んだ量が多かったのと、体も一番小柄だから影響を受けたんだろう」
ナユタもベッド脇に立ち、アイリーの顔を見下ろしている。
「でも大丈夫だ、気絶していると言うより、ずっと眠り続けている状態みたいだから。体力は確実に回復しているはずだ」
結局、俺達が村をいつ去るかについての決断は保留になっていた。
そもそもアイリーが回復しなければ動きようがないし、それにマルセルの事も気になったからだ。
「ライアス君から昨日も報告があったけど、まだ王都はマルセル君捜索の手を緩めていないらしい。全く、諦めの悪い人達だよ」
ナユタは腕を組みながら、はあっとため息をつく。
俺達は騒動の後、ずっと診療所で寝泊りしていた。
アイリーを放っておくこともできないし、俺達自身も完全に回復している訳ではなかったので、外出もせず部屋の中に留まっている。
さすがに今回の事態を重く見たラーデンは村人の中でも戦闘力が比較的高い者を何人か選び、診療所の見張り役に任命していた。
見張り役の獣人達は昼夜問わず交代で、診療所の前に槍や剣を持ち立ち尽くしている。
「しかしあの見張り役は信用できるのかよ。俺達が寝静まった後に襲われないとも限らないだろ」
俺はフンと鼻を鳴らしながら言った。
もはや村人の中でも誰が信用できて、誰が信用できないのかが分からない。
ナユタも考えながら頷いた。
「ああ、そうだね。最も、彼らはミラと一緒に鎮火を手伝ってくれた人達のようではあるけれど。自分の身は自分で守ることを忘れてはいけない」
その日の午後、診療所に数人の獣人達が訪れた。
それは俺達が良く見知った顔で、マルセルと両親、そしてカナンの四人だった。
マルセルは部屋に入るや否や、俺とユージの方へ駆け寄って来る。
「マルセル君!なんだか久しぶりな気がするね。元気だった?」
ユージがマルセルの頭をポンポンと撫でると、マルセルはこくりと頷いた。
マルセルの父ルークスと母リーシア、そしてカナンは、突然深々と俺達に頭を下げる。
「このような形で、恩を仇で返すことになるとは。誠に申し訳ない」
ルークスは真面目にそう言って、腰かけているユージや俺よりもさらに低い位置まで頭を下げた。
「二度と貴方達に危害は加えないよう、私が村人達に徹底すると約束しよう」
「皆様、本当に申し訳ございませんでした……!」
リーシアとカナンも頭を下げたままそう言った。
謝罪が済むとルークスはこの村での生活について、一通り世間話を始めた。
俺は特に興味がないのであまり聞いておらず、ユージはマルセルの相手をしているので、ほとんどナユタが一人でルークスの話し相手をしていた。
しかしふと俺は、ルークスが俺に度々目配せしてくることに気付く。
どうやらまた、獣人同士で話したいことがあるとでも言いたげだった。
俺ははあっとため息をつき、アイリーのベッド脇の椅子から立ち上がる。
「しょこら、どこ行くの?」
「洗面所だ」
俺はそう言って一人で部屋を後にする。
部屋を出て左に曲がると突き当りに洗面所があるが、その手前には小さな空き部屋があった。
案の定、俺の後に続いて部屋を出てきたルークスは、その部屋を示しながら言った。
「少し話をしよう」
部屋の中は薄暗く、木の机と椅子が二脚、本棚とベッドが一台置かれただけの殺風景な部屋だ。事務作業をする部屋か、もしくは隔離すべき患者が寝泊りするための部屋なのだろう。
正直、前回話をして以降、俺はこれ以上ルークスの話を聞くつもりなどなかったのだ。
俺は椅子にドカっと腰を下ろし、素っ気ない調子で言った。
「言いたいことがあるなら早く言え。前と同じ話は不要だぞ」
ルークスも同じく椅子に腰かけ、じっと俺の顔を観察した。しばらく何も言わなかったが、やがて神妙な顔つきで口を開く。
「まずは改めて謝罪だ。今回のことは、この村の一部の過激派の仕業だ。誠に申し訳ない」
「それはもう聞いた。他に言いたい事はあるか」
まるで取り合う気のない俺の様子を見て、ルークスは小さくため息をつく。
「……君も身を持って分かっただろう。獣人がどれだけ人間を憎んでいるかを。今回事を起こした者達はいわゆる過激派だが、それ以外の村人達も、君達を心から信用してはいない。今はただ村長の命令があるから、大人しくしているだけだ」
「なら、また他の連中が俺達を襲うかも知れないってことか?」
「今すぐ何かを起こすことはないだろう。一応この村にだって秩序というものはあるし、獣人だってそう好戦的な者ばかりではない。むしろ暴力的な行為には皆反対している。だがここに人間がいる限り、いずれまた衝突は起きるだろう。……悪い事は言わない。できるだけ早く、人間達はこの地を離れた方が良い」
俺はルークスの「人間達は」という言い方について、じっと考えた。
「その“人間達”には、俺は含まれてないようだな」
ルークスは神妙な面持ちを崩さないまま頷く。
「ああ。やはり君はここに残るべきだ。今この村の外では、人間の冒険者達が躍起になってマルセルを探している。君だって奴らに見つかると、今度こそ無事ではいられないだろう」
「けどマルセルの事はどうなんだ。もし冒険者達の手がこの村にまで及んだら、ナユタ達がいなけりゃまたシーランス山岳と同じ結果になるぞ」
「しかし君の仲間達だって、いつまでもこの村に留まる訳にもいくまい。今回の事件で、村を離れるという話も出ているのだろう」
そこまで言われて俺はしばし黙り込む。
「だからマルセルのことは我々獣人に任せて、人間達はここを出るんだ。君は自らの安全のためにもここに残り、我々と共に戦力増強に努め、いずれここを訪れるであろう冒険者達を迎え撃つ。あるいは先制攻撃を仕掛けるんだ」
どうやらルークスの、人間相手に戦いを仕掛けるという考えに変わりはないらしい。
俺はフンと鼻を鳴らし、腕を組んでそっぽを向いた。
「何度誘われても断る。俺がここに一人で残ることはないし、人間との戦いに協力する気もない。あいつらにここを出てけと言うなら、俺も一緒に出て行くまでだ」
俺がそう言い放つと、部屋の中はしばらく静まり返る。
話が済んだようなので俺は椅子から腰を浮かせると、ルークスは視線を窓の外に向けて言った。
「君はこの先ずっと、あの人間達と一緒にいられると思っているのか?」
俺は立ち上がったままその場から動かず、ルークスの方を見た。
ルークスはこちらを見ず、まだ窓の外をじっと見つめている。
「どういう意味だ」
「そのままの意味だ。人間と獣人はそもそも別の生き物だ。君は幼い頃からあの少年と一緒だと言っていたが、その旅はいつまで続けられるのだ。……今後、人間と獣人の間に争いが起きなかったとしてもだ。
人間はいずれ皆、人間同士で契りを交わし子孫を残す。あの少年だって例外ではない。君達の旅はいずれ終わりを迎えるだろう。そうなった時、君はまた一人で生きて行くのか」
真剣に何を言い出すのかと思えば、全く馬鹿げた話だ。
俺は再びフンと鼻を鳴らした。
「そんな先のこと知るかよ。とにかく俺はお前らに協力する気はない。それだけだ」
もはやこれ以上話すことはない。
俺はそう言い残し、部屋の扉へと向かった。
俺が扉に手をかけた時、ルークスはまだ窓の外を見つめながら言った。
「きっと君は、後悔する事になるだろう」
俺は小さな部屋から出て、改めてベッドの置かれた大部屋へと戻った。
俺とルークスが再び姿を消したことで、心配性のユージはまた気を揉んでいるかもしれない。
ぼんやりとそう考えながら大部屋へと足を踏み入れた瞬間、俺ははたと動きを止めた。
マルセルやナユタ達はどこかへ行ったようで、部屋の中にはユージしかいない。
先程までと同じようにアイリーのベッド脇の椅子に腰かけている。
そしてその腕の中には、いつの間にか目を覚ましたアイリーの姿があった。
しっかりと抱き合っているように見える二人を遠目に見て、何となく邪魔しない方が良いと感じ、俺はそのまま部屋を後にした。




