32.ミラの想い
村に来てから三日目、ナユタは俺とユージ、アイリーに対して再び特訓を開始していた。
村人たちの住居から少し離れた森の中で、ナユタはアイリーにすら容赦なく土魔法の弾丸を打ち付け続ける。
「いやあああああ!!ナユタさん、もう少し手加減を……」
「魔物は手加減してくれないよ。またゴブリンやゾンビの集団に出くわしたら、少しは戦えるようにならないと」
「ですが段階というものが………いたいいたい、痛いです!!」
最初こそ両手に持った短剣で土の弾丸を跳ね返そうと試みていたが、あまりの勢いにアイリーは完全に音を上げて両腕で頭を覆っている。
既に完膚なきまでにしごかれた俺とユージは、近くの木にもたれかかりボンヤリとしてその様を見つめていた。
もはやアイリーを庇う気力すら俺達には残されていない。
「ナユタさん、訓練になると本当に、鬼のようだ………」
まだ僅かに息を切らせているユージが、ぽつりと呟いた。
ナユタの訓練は、土魔法による攻撃だけではなかった。
再び順番が回って来た哀れなユージに対し、ナユタは自らの剣を取り出して構える。
「僕は剣技もある程度鍛えている。無論、実戦では魔法を使うことの方が多いけどね。さあユージ君、手合わせしよう」
「は、はい………」
何とか回復薬を飲むことを許されて多少体力を取り戻したユージは、まるで強大な未知の魔物に対峙するような雰囲気でナユタに向き合った。
『ナ、ナユタさん、剣も強いのかな……手加減してくれますように……』
ユージは頭の中で無駄な祈りをした。
俺が開始の合図に手を上げると、次の瞬間、ナユタは見えなくなった。
一瞬の後にユージの目の前に現れたかと思うと、既にその喉元に剣を突き付けている。
「ユージ君、もたもたしてちゃ駄目だよ。僕よりも早く動く魔物はたくさんいるんだから。特に北の地域にはね」
「…………は、はい…………」
僅かに体を反らせ、喉に触れる剣先を見下ろしながら、ユージはぶるぶると体を震わせた。
朝から休みなしで特訓を続ける俺達の元に、昼時になるとミラが現れた。
どうやら昼飯を届けに来てくれたようで、手にした巨大な籠にサンドイッチを詰め込んでいる。今日はライアスの魔道具を付けているようで、兎の耳は見えなかった。
「皆様、お疲れ様です!食事をお持ちしましたので、どうぞ休憩なさってください!!」
相変わらず、「皆様」と言っているものの、その目はナユタしか見ていない。
その他の者については顔もまだ覚えていないのではないかとすら思われる程だ。
地面に大きな布を敷き、その上に座るよう全員を誘導すると、ミラはちゃっかりナユタのすぐ隣に陣取った。
ナユタの方は平然としており、ミラのあからさまな態度にも一切反応しない。
そんな二人の姿を、アイリーとユージはじっと見つめていた。
「……えっと、君達、僕の顔に何か付いてるかい?」
あまりにナユタの顔を凝視するアイリーとユージに向かって、ついにナユタは尋ねた。
しかし二人とも、直接的な質問をぶつける度胸はないようだ。
「ええと、あの、いえ、特には………。あの、ナユタさんとミラさんは、とても仲良しになったんですね」
アイリーは少し焦りながらも、それとなく問いかける。
しかしそれに反応したのはナユタではなくミラだった。
「そんな、仲良しだなんて!!……そ、そんな風に見えますか……?」
ミラは少し顔を赤くして隣にいるナユタをちらりと見上げた。
しかしナユタは既に別のことを考え出しているようで、ただ独り言のようにブツブツと呟いていた。
「……午後は剣技の訓練を重点的にした方がいいかな。ユージ君もアイリー君も反応速度を上げた方がいい。剣の使い方にもクセがある。しょこら君は武器を持たない分、やはり数で押されると不利だ。反射神経は優れているから攻撃力をもっと強化して……」
どうやらまだ俺達をしごくつもりらしい。
そのナユタの様子に何となくアイリーも勢いを失った気味で、それ以上ナユタとミラについて触れることはしなかった。
ミラは昼飯が終わった後も木陰に座り込み、俺達の訓練を見物していた。
その光を帯びた目はもちろんナユタをずっと追っている。
ナユタが剣で攻撃し、俺とユージが同時に相手している間、アイリーは同じく木陰でミラの隣に座り込んでいた。
ナユタに熱い視線を向けるその様子をチラリと見て、アイリーはついにミラに話しかける。
「……あの、ミラさん」
「は、はい!?……あ、すみません、えっと……なんでしょう、アイリー様!」
どうやらナユタ以外の人物も、名前は一応覚えていたようだ。
「えっと、まだお会いしたばかりでこんな事を聞くのは、差し出がましいかも知れませんが……ミラさんは、ナユタさんのことが好きなんですよね?」
アイリーにそう言われると、ミラはみるみる顔を赤くした。
「えっ、そ、それは………あの、…………はい…………」
膝を抱え込んで座った格好で、ミラはしゅんと下を向く。その顔からは今にも湯気が立ち上りそうなほどだ。
「ま、まだ出会ったばかりですし、変に思われるのは当然ですが!!………でも、一目惚れで………」
ミラは膝の上で組んだ腕の中に顔を埋める。
「もちろん見た目だけではなく、とてもお優しいですし、それにすごく強いですし……。や、やっぱりこんな事言うの、変でしょうか!!」
ミラは助けを求めるようにアイリーの顔を見る。
残念ながらアイリーにも、人に助言できるほどの経験は皆無なのだが、それでもミラの気持ちはよく分かるようだ。
「いいえ、変ではありません。私だって出会ってすぐに、人を好きになったことがありますから……」
アイリーはナユタの剣を必死に受け止めているユージに目を向けた。
「そ、そうなのですか!?それで、あの、アイリー様のお気持ちは伝えたのですか!?」
食い付いて来るミラに、今度はアイリーが顔を真っ赤にして答える。
「いえ、とんでもない!!わ、私はまだ、片思いでして………。えっと、ミラさんは、ナユタさんに気持ちを伝えるのですか?」
アイリーがそう問いかけると、ミラの顔に多少不安の陰が落ちる。
そして、それは単に気持ちを伝えることに怯えているからではなかった。
「……分かりません。私は獣人で、ナユタさんは人間です。私は生まれてからずっと、人間は信用できないと周囲から教えられてきました。だけど私は自分で見聞きしたことしか信じません。ライアス様だってそうですし、人間の中にも信じられる人達はたくさんいると思います。でも……」
ミラは再び、顔を半分腕の中に隠した。
「でも、獣人の私がナユタ様に気持ちを伝えることで、多大なご迷惑をお掛けするかもしれません。運よく気持ちが通じ合ったとして、周囲はきっと大反対しますし、結婚だってできません。それに獣人と人間の間に、子供ができるのかも分かりません………」
「け、結婚に、子供、ですか………」
そんなに先のことまで考えているミラに、アイリーは少なからず驚いた。
しかしその想いに心を打たれたようで、アイリーはミラの両手をがしっと掴んだ。
「先のことはともかく、その気持ちだけは、伝えた方が良いと思います!」
アイリーが真っ直ぐな目で見つめると、ミラもそれに呼応するように目に力が入る。
「そ、そうですよね!!私、きっと………皆様がこの村にいる間に、ナユタ様に気持ちを伝えます!!」
「何の話をしてるんだ、ミラ?」
突然誰かが二人に問いかけ、アイリーとミラはビクっと飛び上がる。
二人が声の方へ顔を向けると、そこには獣人の子供達が六人ほど立っていた。マルセルも端の方にひっそりと立っている。
五歳のマルセルは最年少で、後は八歳から十歳程度の子供達、女の子も二人混じっている。全員、魔道具で耳と尻尾は隠しているようだ。
「カイザー、ルイス、それにマルセルや皆も……どうしてここに来たの?」
ミラはさっと立ち上がり、スカートに付いた土を手でパッと払った。
カイザーと呼ばれた活発そうな十歳ぐらいの子供は、二カッと八重歯を見せながら笑みを見せる。
「人間達がどんな技を使うのか、見に来たんだよ!それに魔法だって見たことないしさ!……って、うわあ、すげえ!!」
剣の触れ合う音に気付いたカイザーは、俺とユージ、ナユタの方へ目を向けて顔を輝かせた。
ちょうどナユタが剣戟から魔法攻撃へと転換し、土魔法の弾丸を再び打ち込み始めていた。
「すっげええ、魔法ってあんな攻撃ができるのか!!」
「なあ、もっと近くで見てみようぜ!」
「ま、まって、私も行く!!」
子供達は興奮して、さっとその場から駆け出す。
そして俺達の近くで拳を振り上げ、まるで試合を見物する観客のようにわあわあと声を張り上げた。
「すげえや!!なあ、もっかいさっきの魔法見せてくれよ!」
訓練が一段落して木陰に戻ると、子供達は俺達を取り囲み騒ぎ立てた。
「剣の攻撃もすごかったよ、すごくかっこよかった!」
「そっちの姉ちゃん、パンチの力すっげえ強いんだな!」
「おい、今は疲れてるんだ。そこをどけ」
俺がぜえぜえと息をしながら子供達を振り払うしぐさをすると、なぜか子供達は大きく笑った。
「いいじゃんかあ、もっと見せてよ!」
「うるせえな、休憩したらまた見せてやるから、大人しくしろ!!」
「やったぜ!約束だぞ、姉ちゃん!」
やれやれと腰を下ろしたナユタに、ミラはさっと水筒を差し出した。
ナユタは汗をぬぐいながら、にっこり笑ってそれを受け取る。
「ありがとう、ミラ」
「い、いえ!!……あ、あの、すみません子供達が、騒がしくて!!」
ナユタは笑って首を振り、水筒から水を飲んでから息をついて言った。
「いや、むしろ嬉しいよ。この三日間、村の人達とまともに交流できなかったから。話しかけようにも、どうも避けられているみたいで。……けど、子供達が心を開いてくれたら、村の人達とも仲良くなれるかも知れない」
そう言って笑うナユタの顔を、ミラは頬を染めて見つめ返した。
しかし、そのナユタの期待は決して叶わないことを、その時の俺達は誰も予想していなかった。




