31.村長の孫娘
「人間の皆様。願わくば、少しの間この村に留まってはいただけないだろうか」
村で夜を明かした翌朝、改めて集会所に顔を出した村長ラーデンは俺達に向かって言った。
「シーランス山岳での騒動の後、マルセルの姿まで研究所から消えたことで、王都では今大変な騒ぎだと聞きました。いつこの村にも調査の手が及ぶか分からない。人間の冒険者や調査員が現れた時、貴方達がいてくれると非常に心強いのです。この村には戦力になる者も、まともな武器もありませんから」
俺達は村の集会所で、昨日と同じ椅子やソファに腰かけていた。マルセルと両親、カナンは、昨日のうちに新しい住居へと移ったのでそこに姿はない。
俺達が座っている大きな部屋の隣には小さな調理場があり、そこで誰かが何かを切ったり焼いたりする音が聞こえてくる。
その音を背景に、俺達と村長はテーブル越しに向き合っていた。
村長の願いを聞いて、最初に返事をしたのはナユタだった。
「そうですね。昨日僕もライアス君から聞きました。僕達が王都を離れてからマルセル君の捜索が本格化して、王都のギルドはついに全国のギルドに緊急指令を発したらしい」
「緊急指令!?それって、よっぽどの事がないと発令されないんじゃなかったっけ……。すごい凶悪犯が逃げ出したとか、災害級の魔物が現れたとか……」
驚くユージに目を向けて、ナユタは小さく頷く。
「ああ。だけど王宮に取っては、マルセル君の失踪はそれらに匹敵する緊急事態らしい。今では全国の冒険者ギルドが強制的に捜索を強いられている。ファウンデンも例外ではない」
「てことはマルセルはもうこの村から出られないのか」
俺が質問するとナユタはこちらに視線を向けた。
「事態が収まるまでは、出歩かない方が良いだろう。だけどラーデンさんの言う通り、いつこの村にも調査が及ぶか分からない」
「なら、しばらく僕達はここにいようよ。何かあった時に、マルセル君を守らないと……」
ユージがそう言うと、ナユタは再びユージに視線を戻し、微笑んで頷いた。
「ああ。そうだね」
「でも、良いのでしょうか。あまり村の方々からは、歓迎されていないようにも思えますが……」
アイリーが不安げに呟くと、その時、隣の部屋で料理をしていたと思われる誰かが、盆を手にして姿を現した。
それは若い女の子で、俺やユージよりも二歳か三歳は下に見える。その頭には茶色いうさぎの耳がくっ付いており、背中まで伸びる長い髪は同じく明るい茶色だ。
「あら、私は皆様のことを歓迎していますよ。村の人たちも、きっと分かってくれるはずです」
「こら、村の中でも常に魔道具を身に着けるようにと言ったであろう。今ではいつ何が起こるか分からんのだぞ、ミラ」
村長のラーデンが「ミラ」と呼んだその女の子は、ラーデンの孫娘とのことだった。
わざわざ朝早くこの集会所に出向き、俺達のために朝飯を作っていたのだ。
「いいじゃない、おじい様。ずっと耳を隠すなんて私は嫌よ」
しっかり者で小生意気そうな娘はラーデンに向かってそう言って、くるりと俺達に向き直る。
「さあ皆様、朝食をどうぞ。よろしければこの後、村をご案内いたしま…………」
その時、ミラは突然言葉を詰まらせた。
全員が不思議そうにミラを見つめたが、ミラの目はなぜかナユタに釘付けになっている。
「あ………あの、えっと………」
さっきまでの余裕の態度はどこへ行ったのか、突然ミラは顔を真っ赤にしたかと思うと、ガシャンと手に持った盆をテーブルの上に置いた。
盆に乗っていた朝飯(パンと卵とミルクだ)がその上で跳ね上がり、ミルクは僅かにテーブルの上に零れ落ちる。
「あ、あの………とにかく、ご案内します!!」
それだけを言い残すとミラはくるりと踵を返し、そのまま脱兎のごとく(兎だけに)部屋から出て行った。
「……ど、どうしたのかな……」
ユージは多少面食らってその姿が消えた辺りを見つめた。
ナユタも訳が分からないというように、多少困惑した様子でラーデンの方に視線を向ける。
ラーデンは落ち着いた様子を崩さず、ただ可笑しそうに笑って言った。
「気にしないでください。ただ多感な年頃なのでしょう」
朝食を終えた俺達はミラが提案した通り、村の中を見て回ることにした。
集会所の扉を開けて外に出ると、そこにはちゃんとミラが立って待っていた。
先程は普段着にエプロンをしていたが、いつの間に着替えたのか、多少小奇麗な灰色のワンピースを着ている。
俺とユージ、ナユタ、アイリーが近づくと、ミラは下を向いていた顔をぱっと上げた。
「皆様、お待ちしておりました!えっと、さ、早速村をご案内します!!」
張り切り過ぎてやや空回りした様子で、ミラは明るい声で叫ぶ。
しかし、「皆様」という言葉とは裏腹に、その目は完全にナユタしか見ていなかった。
「どうぞ、こちらです!!」
そう言ってミラはナユタの腕をぐいっと引っ張り、ずんずんと先に歩いて行った。
「ちょっと、君……」
ナユタは困惑しながらも、ミラに引っ張られてやむなく歩調を合わせている。
残された俺達はミラとナユタを追いかける恰好で、急いで後へと続いた。
「おい、あいつ完全にナユタしか眼中にないぞ。もうあの二人はほっといて、俺達は別行動にした方がいいんじゃないか」
俺が呆れてそう言うも、ユージとアイリーはなぜか反対した。
「しょこらさん、あの二人を追いましょう!私、これからどうなるのかが気になります!」
なぜか興奮した様子のアイリーは、好奇心でうずうずしたようにナユタとミラの後ろ姿を見つめている。
ユージもこくりと頷き、じっと二人の様子を背後から窺っていた。
「僕達も付いて行こう、しょこら」
興奮しているアイリーとは違って、ユージはどこまでも真剣な面持ちだ。
俺はやれやれとため息をつき、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ユージ達と共にナユタとミラの後を追った。
どんどん先を歩く二人だったが、張り切ったミラの大声は少し離れて追いかける俺達の耳にも届いて来る。
「ここはご存知の通り獣人の村ですが、この村には名前がないんです!下手に名前を付けて人間達に知れ渡ってはいけませんし、それにそもそも、人口百人以下の集落は村名を持たないものなのです!それは人間の村でも同じです!」
キラキラと輝く目でナユタをじっと見上げながら、ミラは説明を続ける。
ミラは俺やユージよりも背が低いので、ナユタとは二十センチほどの差があった。
「この村は野菜や麦はほぼ自給自足、魚は川で獲れますし、肉は森で狩りをして調達しています!それでも食料が足りない時は、人間の町に買い出しに行きます。もちろんライアス様の魔道具を付けてですが!見てください、ここが村で管理している野菜畑です!」
ミラはそう言って両手を広げ、集会所の周囲を取り囲む畑を示した。
赤いトマトやナス、きゅうり、それに見たこともないような奇抜な色の果物など、様々な種類を育てているようだ。
畑で作業していた何人かの獣人達は、ミラの大声でこちらに目を向け、ナユタや俺達にじっと不審の目を向けた。
その視線に気づいたミラは、張り切って獣人達にナユタを紹介する。
(もはや俺とユージとアイリーは存在していないようだ)
「皆様!ご紹介します、このお方がマルセルを研究所から救い出された英雄、ええと……失礼、お名前はなんと仰るのでしたっけ……」
今の今まで、ミラはナユタの名前すら聞いていなかったのだ。
ナユタはやれやれという様子で、微笑しながら答える。
「ナユタです。後ろにいるのがしょこら君、ユージ君、アイリー君だよ。ちなみにマルセル君を研究所から救い出したのは、ユージ君とアイリー君だ」
作業の手を止めてこちらをじっと見ていた獣人達は、しばし視線を俺達の上に届めた後、何も言わずにしゃがみ込んで作業に戻っていった。
そんな獣人達の態度は気にも留めずに、ミラはナユタの腕をぐいっと引っ張り次の場所へと向かった。
「ここが住宅地です!小屋は全て丸太でできています。住居は全て同じ大きさですが、村民が共用で利用する小屋は一回り大きくなっています。あそこは子供達が集まって勉強する小屋、あっちは食料を保存する小屋、あれは書庫、そっちは武器の保管庫……」
ミラは勢いを緩めず次の場所へと移る。
「ここはお花を育てている区画です!人間の町から少しずつ種を買い集めて、ここに植えているんです!とても綺麗ですよね!」
色とりどりの花畑を通り過ぎ、また次へと移る。
「この川では魚を獲ったり、水を汲んだり、身体を清めたりしています!」
そして最後に、村の外れに立つ一際大きな木の前でミラは足を止めた。
「これはこの村のシンボルとされる大樹です!これに上って夜に星を見上げるととても綺麗なんです。ここで一緒に星空を見ることが、この村の恋人同士での定番で……」
そこまで言ってミラは顔を赤くして、やっと燃料が切れたかのように言葉を止めた。
ずっとナユタの腕を掴んでいたことに今更気が付き、ぱっと両手を離す。
「……す、すみません。私、一方的に……」
少ししゅんとして俯くミラを見て、ナユタはふっと笑みを漏らした。そして右手をミラの頭に載せて優しく答える。
「ありがとう、村を案内してくれて」
ミラはそっと目を上げてナユタを見た。
その顔は、先程よりもさらに真っ赤に燃え上がっていた。




