3.名前
ユージとの三回目の再会は、思いがけないものだった。
二回目の再会以降、どうやら思った通り再度出禁をくらったらしいユージは、それから何年も森に姿を現すことはなかった。
そして五年後、俺が十歳になった頃に、ひょっこりとまたその姿を見せたのだ。
その時俺は、思いがけず数体のフェンリルに遭遇し、退治するのに苦労していた。
普段なら猫パンチを食らわせて、相手が怯んだところですぐ俊足で逃げ出すのだ。
しかしその時俺は、運悪く右足を負傷していた。
いつの間にかフェンリルの縄張りに入り込んでいた俺は、その鋭い牙で右足に噛みつかれてしまったのだ。
「くそっ、普段ならこんな場所近づかねえのに……油断したな」
俺はちっと舌打ちをして、自らの不注意を窘めた。
血が流れ出す右足を庇いながら、俺は何とか逃げ出す隙を見つけようとする。
グワアアアア!!!
しかしその時、一体のフェンリルが俺に向かって牙をむき出し突進してくる。
敵意をむき出しにして吠え猛り、再びその牙を俺の体に食い込ませようとした。
ドカッ!!!!
突進するフェンリルの体に向かって、その時、横から何かが飛んできた。
それは人間の冒険者が使うような剣で、鈍い音を立ててその狼の体に激突する。
「ぼ、ぼくが相手するから、きき君は早く逃げて……!!!」
必死に叫んだその人間は、まさにユージだった。
俺が襲われている姿を見て、無我夢中で剣をぶん投げてフェンリルの気を引こうとしたらしい。
どう見ても怯えている表情で、ガクガクと震えながら俺に向かって再び叫ぶ。
「は、はは早く逃げて!!僕まだそこまで強くないんだ、ずっと食い止めるのは無理だ……!!」
たった今剣を投げてしまったので、ユージはもはや武器を持っていない。
全く、後先考えずに行動するからだ。
しかしお陰でフェンリル達の注意がユージへと逸らされたので、俺は三体のうち一体に背後から近づき、思いっきり頭に猫パンチを食らわせる。
長年森で暮らしてきたお陰で、パンチの威力はだいぶ上がったのだ。
それを食らったフェンリルは、死にはしないが完全に白目をむいて気絶する。
すると残る二体の敵意が再び俺に向けられた。
こちらに牙をむき出して迫って来る背後から、今度は剣を拾い上げたユージが近づき、すかさずその剣先をずぶりと背中に突き刺す。
二体目も戦闘不能になると、残る一体は低い唸り声を上げながらゆっくりと後ずさりして、さっと身を翻してその場から逃げ去った。
「あ、ああ、よよ良かった……!!し、死ぬかと思った………」
その場にガクリと崩れ落ち、はあっと安堵のため息をつきながらユージは言った。
しかし、すぐにはっと何かに気付き、抱えていたカバンから小さな瓶を取り出した。
「これ、足の傷にかけると良いよ!すぐに治るはずだから。ほら、ちょっとここに座って……」
そう言ってユージが俺の右足に水色の液体を注ぐと、フェンリルに噛みつかれた傷は綺麗になくなった。
俺はその場に座り込んだまま、じっとユージの様子を伺う。
「お前、何だってまたこんなとこまで来たんだよ」
十歳になったユージの黒い髪を、吹き抜ける風が揺らしている。
小瓶をカバンにしまい込んでいたユージは、俺が質問するとぱっとこちらに顔を向けた。
「聞いてよ、僕、冒険者になったんだ!十歳になって、要件をクリアすれば登録できるんだよ!!それで、やっと親の許可なしで森に入れるようになったんだ!!」
ユージはキラキラと目を輝かせ、俺の姿をじっと見ながら言った。
「だから、これからはいつでも会いに来られるんだ!!」
俺はハアっとため息をつく。
こいつ、この勢いだと毎日でも森を訪ねて来そうだ。
「前にも言ったが、ここに来ても何もないぞ。一体何が目的なんだよ」
「何って、君に会うことに決まってるじゃないか!」
「だから何でそんなに俺に会いたいんだよ」
「だって、それは……。最初は、獣人に会ってみたいっていう好奇心だったけど……。今はほら、何て言うか……。僕、君と友達になりたくて……」
ユージは多少赤くなりながら、しどろもどろになる。
「まだ今日で三回目だぞ。そんな簡単に友達になれるかよ」
「で、でも……、僕は君と友達になりたいんだよ。ねえ、僕、君がここにいること絶対秘密にするからさ。それに、もし誰かが侵入したら、僕がやっつけてあげるから!だからさ、友達になってよ……」
ユージは必死で訴えかける。
全く、なんだってそこまでして友達になりたいのだ。
まあしかし、ユージが来なければ俺はフェンリルにやられていたかも知れないのだ。
怪我まで治してもらったことだし、俺はもはや気にしないことにした。
「ここに来たけりゃまた来ればいい。しかし俺には友達なんていたことがないからよく分からん」
「そ、そうなの?……と言っても、実は僕にも、人間の友達はいないんだけど……」
聞くところによると、ユージはどうも引っ込み思案で、うまく自分から話しかけられないらしい。
それにしては俺に対してぐいぐい来るこの態度は一体何なんだ。
「ぼ、僕にもよく分からないんだけど、僕、君とはどうしても………」
ユージの言葉は、そこでふと途切れる。
静まり返った森の中で、ユージの腹が一際大きくグウウウと音を鳴らしたからだ。
「腹が減ってるのか?」
「う、うん……。今朝は何も食べずに、家を出ちゃったから……」
ユージはまた赤くなって答える。
俺はため息をついて立ち上がり、くるりと振り返り歩き出した。
「俺もちょうど食料を探してたんだ。一緒に探した方が早い。行くぞ」
「う、うん!!」
ユージはパッと笑顔になり、嬉しそうに立ち上がって俺に付いて来た。
その日を境に、ユージはほぼ毎日のように、俺に会いに来るようになる。
森に来るときは必ず一人だった。もはや両親を連れてくることもなければ、他の冒険者にも見つからないよう、人目を盗んでは俺に会いに来る。
ある日、俺とユージは苦労して焚火を作り、そこで捕らえた猪の肉を焼いていた。
香ばしい匂いに目を輝かせながら、ユージは俺に向かって尋ねる。
「ねえ、君には名前がないんだよね。……ずっと君って呼び続けるのも、なんか変だと思うんだ。自分で名前を付けないの?」
俺はじっと肉に目を注ぎ、クンクンと匂いを嗅ぎながら答える。
「いや。俺は一人で生きてるんだ、名前なんて必要ないだろ」
「でも……。僕は君のことを、名前で呼びたいよ」
「ならお前が適当に付けろよ」
俺がそう言うと、ユージはパッと顔を輝かせた。
「えっ、いいの!?じゃあ僕が考えるね!!……えっと、うーん……何にしようかな……」
そうこうしているうちに肉が焼けたので、俺とユージは骨の部分を持ちながらそれを頬張った。
「ああ、美味しい……。ねえ、友達と一緒に食べると、もっと美味しいんだね!」
「フン、俺は一人で食ってても美味いぞ」
「そんなあ……。それより名前だ、どうしようかな……」
しばらく俺達は無言で肉を食べていたが、ふいにユージが思いついたように言った。
「そうだ!この世界で言い伝えられている、伝説の猫の名前にしよう。その猫も黒猫だったみたいなんだ。君のその耳と尻尾も、黒猫のものだよね。名前は、しょこらだよ!ねえ、どう思う?」
「どうでも良い。別に悪くないんじゃないか」
「やったあ!じゃあ今日から、君はしょこらだね!!」
そのようにして俺は「しょこら」になったのだった。