29.心の奥底
「戦いを仕掛けるって………」
俺はしばし茫然として、ただルークスが言った言葉を繰り返した。
急な話で頭がうまく追いつかないのと、あまりに不穏な提案に正直驚いているのだ。
「お前、人間と戦争するつもりかよ?」
ルークスは相変わらず膝の上で両手を組み合わせたまま、視線を再び下に向けた。
「ああ。非常に乱暴な話に聞こえるかも知れない。しかし我々は本気だ」
「我々って、他に何人仲間がいるんだ?まさかたったの数人で、人間に戦いを挑むつもりか?」
「まさか。我々もそこまで馬鹿ではない。……君は知らないだろうが、この大陸には相当な数の獣人が隠れ住んでいる。人間が滅多に近寄らない森や山に身を潜めているのだ。最も獣人が多いのは北の山岳地帯だ。ドラゴンの巣があるのと魔王領が近いのとで、人間は決して近づけない地域だ」
思いがけない情報に、俺は少なからず驚いた。
そこまで多くの獣人がいるなど知らなかったし、それに昔、子供の頃に森で盗み聞いた人間の会話を思い出していたのだ。
“この世界で獣人が初めて発見されたのは、約四百年前だっけか。けど討伐されたり乱獲されたりで、ここ数十年はめっきり見なくなったと聞いていたが……”
確かあの人間はそう言っていた。
そんなに多くの獣人がいるなら、もっと人間に見つかっても良さそうなものだ。
俺がそのままを伝えると、ルークスは頷きながら説明する。
「ああ。長きに渡る人間からの被害を受けて、獣人も身を隠す術を心得たんだ。最も、我々のように運よくライアスの力を借りられた者はほんの一握りだが、それでも獣人達は自力で安全な場所を見つけては、そこで何とか暮らしを立ててきた。人間の町に行く必要があれば、頭に被り物をして尻尾を隠した。
……ここ最近は被り物をするだけで怪しまれるようだが、少し前まではそうではなかったのだ」
「けど、この国にいる全ての獣人を集めて、それで本当に人間と戦えるのか。人数で言うと人間の方が遥かに多いだろ。……いや、そんな事より、そもそも戦争なんかしたら……」
「君の言いたい事は分かっている。戦争なんか始めたら、それこそ獣人にも大変な被害が出るだろうし、そんな事をして本当にマルセルの未来が守れるのか。……それは私自身が何度も考えたことだ」
ルークスは真剣な顔つきのまま、言葉を続ける。
「それでも、私はこの結論に辿り着いた。このまま黙って人間に狩られるのを待つか、あるいは僅かな可能性にかけて、獣人の未来のために戦うか。……息子のことを考えればなおさら、私はただ手をこまねいている訳にはいかないのだ」
「でも、その戦争のせいで、マルセルが命を落とす可能性も……」
「戦わずともいずれ人間に殺されるだろう。それならば私は戦う方を選ぶ」
「その事は、マルセルの母親は……」
「妻リーシアも私と同じ意見だ。私だけではない、今この町に潜んでいるあと五人の仲間達も、別の場所に身を潜めている仲間達も、さらにはその仲間達が繋がりを持ってきた獣人達も、皆同じだ。同調する仲間は徐々に増えている」
しばらく沈黙が部屋を覆った。
すると、何も言わない俺の顔をじっと見ながら、ルークスが俺に尋ねる。
「君も、人間を恨んだ事があるだろう。理不尽に虐げられて、こんな奴らに生きる資格はあるのかと、感じたことはないかな」
その言葉に俺はすぐには返答できない。
確かにそれは、つい最近俺が感じたことそのものだった。
いや、その感情はずっと、俺の心の底にうずくまっていたのだ。
生まれてすぐ両親を殺されてから、俺は人間を恨んでいた。たった一人で森の中で野草やキノコを食いながら、何度も人間への憎悪を噛みしめたものだ。
たまたまユージに出会い、信用できる人間がいる事は分かったが、それもほんの一握りだ。
ついこの間、俺は冒険者達に捕らえられ、馬車の中で背中や足を蹴り飛ばされながら、ずっと考えていた。
あの人間達に、生きる価値などあるのか?
しかしそこまで考えた時、突然頭の中にコンコンという音が飛び込んで来て、俺はふと我に返る。
誰かが部屋の扉を叩いているのだ。
「あの、話は終わりましたか……?」
それはユージの声だった。
思ったより時間がかかっているので、どうやら心配になったのだろう。
不安そうな表情がその声から伝わって来るようだ。
そしてその声を聞いた時、さっきまで沸き上がっていたどす黒い感情が、嘘のように消えていくのを感じる。
俺はそのまま立ち上がって部屋を横切り、扉をガチャリと開けた。
すぐに安堵の表情を見せるユージを見てから、俺はくるりと振り返りルークスに目を向ける。
「悪いがここまでにしてくれ。もう話すことはない」
その答えを聞いて、ルークスは俺の考えを察したようだ。
こくりと無言で頷き、そのまま何も言うことなく俺を見送った。
「それで、ルークスさんの話は一体なんだったの?」
飯屋のテーブルで席に着くと、ユージは俺に向かって尋ねる。
俺とユージ、ナユタ、アイリーは昼飯を食べに行くという建前で一旦宿屋を離れたのだ。
なるべく人気のない店を選び、周囲に誰もいないことを確認してから俺はルークスの話について説明を始めた。
話が進むにつれ、ユージとアイリーは驚愕の表情を浮かべ、ナユタは神妙な顔つきになる。
「そんな!獣人が人間と戦うだなんて、そんなの絶対駄目だよ!」
周囲に人気はないものの、それでもユージはできるだけ声を小さくしながら訴える。
「そんな事したら大変な被害が出るだろうし、それに……僕は獣人と戦うなんて、絶対に嫌だ」
「私もそう思います。もっと平和的に、解決する方法はないのでしょうか……」
アイリーも声を落としながら弱々しく言った。
狼狽している二人に対し、ナユタは冷静さを保ったまま、それでも暗い表情で答える。
「もしかしたらそんな話じゃないかと思ったんだ。僕だって彼の立場なら、同じように考えてしまうかも知れない」
「でも、どう考えても無謀だよ。例えば国中の獣人を集めて王都に攻め入ったとしても、きっと数では敵わないだろうし、武器だって簡単には手に入れられないはず……」
ユージは何とかルークスの考えの非現実性を証明したいようだ。
しかしナユタは冷静に考えながら言う。
「僕だったら、今ほど絶好の機会はないと思うだろうね」
「ええっ!?どうして……」
「だってこの時代では、もうすぐ魔王が復活するんだ。人間は今獣人の方に気を取られていて、魔王への対策が疎かになっている。魔王が復活すると、きっと多くの人間が犠牲になるだろう。その隙を突いて王都を攻め落とすことは、全くの不可能ではないはずだ」
「そんな……。でも、仮にそれが成功したとして、獣人はどうするつもりなの?人間を皆殺しにするとか?それに魔王の問題だってある。魔王は人間の敵だけど、獣人にとっても敵なんじゃ……」
「ああ、そうだね。魔王について彼らはどう対処するつもりなのか、僕にも分からない。もう少しルークスの考えを探ってみても良いかも知れない」
ナユタがそこまで言ったところで、ちょうど料理が運ばれてきたので全員口をつぐんだ。
目の前に蒸した魚の料理が並べられると、俺はすぐにグサリとフォークを突き刺して口へと運ぶ。
しばらくはそれぞれが考えに耽り、誰も話さなかった。
「ルークスの話は一旦置いておくとして、これからマルセル達は一体どうするんだ」
俺が沈黙を破って話し始めると、ナユタがそれに答える。
「それに関しては、さっきこの魔道具を通してライアス君から連絡があったよ」
ナユタは自らの耳に取り付けた銀色の輪っかに指を触れながら言った。
「どうも複数人での通話はできないらしくて、僕に連絡してきたんだ。ファウンデン領から少し北に進んだところに小さな森があって、そこに何人か獣人が住んでいるから、合流してほしいってさ。僕らが出発した後で、その森にはギルドの手が及んでいないことを確認したみたいだ」
「なんでライアスの奴、そんな事まで知ってるんだよ?」
「どうやら彼が関わった獣人は、シーランス山岳の者達だけではないらしいね」
ナユタは感心したような、呆れたような様子でやれやれと笑った。
「とにかく、食事が済んだら宿屋へ戻ろう。マルセル君達を安全に森まで送り届けるんだ」




