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28.マルセルの父

「きゃあああああ!!わ、私、こんな高いところ初めて………いやああああ!!」

「うるせえなお前、ちょっとは静かにしろよ!」


耳をつんざくような叫び声を上げるアイリーに、俺は思わず叫び返す。

マトリカは高々と空に舞い上がり、その背に乗った俺達はたった今歩いていた森を遥か下方に見下ろしていた。



マトリカは体長二十メートルほどの巨体なので、六人全員で乗っても十分に余裕がある。

しかしドラゴンの背に乗って飛ぶなど初めての経験なので、高所恐怖症らしいアイリーはユージの腰の辺りに腕を回してピッタリとしがみ付いていた。


「イタタタ、アイリー、ちょっと苦しい………」


締め付けられながら呻いたユージは、自分も高いところは不得手と見える。

若干青い顔をして、硬直しながら眼下を見つめていた。



まだ俺の背中にくっついているマルセルは、ゾンビの襲撃でも目を覚まさなかったが、今は目を開けてこれまでになく楽しそうな表情をしている。

どうやらドラゴンに乗れることが嬉しいようだ。



「おいお前、どさくさに紛れて何やってんだ」


いつになく嬉しそうなマルセルは、背後から俺の猫耳を両手でぎゅっと掴んでくる。ライアスの魔道具を身に着けているので耳自体は見えないが、それでも触れることはできるのだ。


俺はそんなマルセルに氷のように冷たい視線を向けた。


「お前………ガキだからって何をしても許されると思うなよ、それ以上触ったらここから叩き落すぞ」


しかし、俺が怒る事が逆に面白い様子のマルセルは、その言葉を聞いてキャッキャッと笑い出す。

そして再びがしっと俺の両耳を握りしめた。


「ほう、良い度胸だな。地上に戻ったらそれ以上笑えないほど捻り潰してやる………」


俺が威圧的なオーラを放ちながら見下ろすと、マルセルはさらに楽しそうに笑った。




ファウンデン領に到着したのはそれから丸一日後だった。


やっとファウンデンの町が遠くに見えてきたところで、カナンが指を指しながら言う。


「皆様、あそこです。マルセルの両親はあの町に身を潜めています。まだ彼らの魔道具の効果が切れていないと良いのですが……。これまでは交代で王都に向かい、ライアスから新しいものを受け取っていたのですが、最近の騒ぎでそれもできなくなりましたし……」


「大丈夫だよ、すぐに新しいものを届けてあげよう」


ナユタはそう言い、そのうちマトリカは高度を徐々に下げていく。


地上に降り立つと、マトリカはグルグルと唸って再び翼を広げた。


〈ああ、疲れた。やだわ、背中の鱗が乱れちゃった。これだから誰かを乗せるのは嫌なのよ。じゃあねあなた達、帰りは自分の足で歩きなさいよ〉


そう言い残すと、マトリカはバサッと上空に飛び立ち、一瞬にして見えなくなった。

その姿を何とか目で追いながら、ユージは手を振って大声で叫ぶ。


「ありがとう、マトリカ!!」





ファウンデンの町は、全ての石造りの建物が淡い水色に塗り上げられた、美しい町だった。


海岸沿いにあるので魚料理が有名で、観光客も多い。

しかし俺達は観光は後回しにして、すぐにマルセルの両親が身を潜めている宿屋へと向かった。


どこに滞在しているかは、カナンが事前に知らされていたのだ。




「マルセル!良かった、無事だったのね!!」


町の南門から最も近い位置にある宿屋で両親と対面したマルセルは、すぐに母親の元へと駆け出して行った。

母親は涙を流しながら、その姿をぎゅっと抱きしめる。母はマルセルと同じ、白と茶色が入り交じった髪色をしていた。


「本当にありがとう。君達が息子を助けてくれたのか」


父親は濃い茶色一色の髪だ。息子の頭に手を載せながら、俺達に向かって礼を言う。


二人ともライアスの魔道具の効力は切れていないと見えて、その頭にあるはずの犬の耳は完全に姿を隠していた。



そして驚いたことに、その宿に身を潜めているのは、マルセルの両親だけではないという。

今は皆外出しているが、同じように虐殺を免れた五人の獣人達がそこに集まっているらしい。


「仲間の一人がよくこの町に来ていて、たまたまここの店主と知り合いだったんだ。それでしばらくここに滞在させてもらっている。最も店主は俺達が獣人であることを知らないが、それでも偏見のない男だから大丈夫だ」


マルセルの父親はそう言いながら俺達を順番に見つめていき、最後に俺の前で視線を止めた。


「……君達の中にも、獣人はいるのかな」



一瞬ユージがちらりと俺の方を見る。

今は魔道具で耳が見えないので、一見すると誰が獣人かは分からない。


特に隠す必要もないだろうと思い、俺は父親を見返して答える。


「この中で獣人は俺だけだ」

「そうか………」



マルセルの父親はじっと俺の目を見つめた。


「申し遅れたが、私はルークス、妻はリーシアだ。よろしく」


俺に向かって突き出された手を握り返すと、ルークスは俺の目を覗き込んだまま落ち着いた声で言う。


「……早速で申し訳ないが、少し君と話がしたい。皆、すまないが少し彼女を借りても良いだろうか」

「えっ、話って………」


思わずユージが横から口を出す。


「それなら、僕も一緒に……」

「いいや。申し訳ないが、私は獣人である彼女と話がしたいんだ」


「つまり、人間である僕達がいたら、話しにくいことなのでしょうか?」


今度はナユタが尋ねると、ルークスはそちらに視線を移した。


「すまない。だが安心してくれ、そう時間はかからないだろう」



ユージとナユタ、アイリーは揃って俺を見つめた。


ルークスの話が一体何なのか、もちろん俺には見当もつかない。しかし考えても仕方ないので、俺はため息をついて答えた。


「分かった。おい、聞いての通りだ、少し外すぞ」

「でも、しょこら………」



心配そうなユージを残し、俺はルークスに連れられて部屋を出て、そのまま隣の部屋へと誘導された。


「ここは私の友人が借りている部屋だ。今は出かけているから気にしなくて良い」



そこはさっきまでいた部屋と全く同じ造りだった。

殺風景な部屋で、石造りの壁に沿って机と椅子、ベッドだけが置かれている。


ただ灯りは点いていないので、先程までより数段薄暗かった。



「呼び出してしまってすまない。そこへ座ってくれ」


言われるがまま俺は椅子にドカッと腰かけ、ルークスはベッドに腰かける。そのまま少し前かがみになり、膝の上で両手を組み合わせたルークスは、しばらく言葉を発しなかった。


「おい、言いたい事があるならさっさと言ったらどうだ」



深刻さの欠片もない俺の言い様に、ルークスはそこでやや態度を崩した。僅かに微笑しながら、伏せていた視線を俺の方へと向ける。


「ああ、すまない。……まずは改めて礼を言おう。我が息子を助けてくれたこと、感謝している」

「研究所から助け出したのは俺じゃない。礼なら隣の部屋の奴らに言うんだな」



俺がそう言うとルークスはやや目を丸くした。

しかし、すぐに分かったというように頷く。


「……そうか。分かった。後で改めて礼を言おう。……しかし今は、先に君と話をしよう。まず第一に、君は獣人の未来について、どう考えているのかな」



突然大きな問が来たので、俺はしばし逡巡しなければならなかった。

しかし正直、あまり真剣に未来のことなど考えたことがない。考えたとして、せいぜいエド町に行って刺身を食うぐらいだ。


「知らん。考えたこともない」


俺がはっきりそう言うと、ルークスはまた僅かに笑みを漏らした。


「そうか。……そうだな、君はまだ若い。今を生きるのに精一杯なのだろう。自分のことで忙しい時に、獣人全体の未来など、確かに考えようもない。すまない、私は若者の心をすっかり忘れていた」



謝られるような事でもないので俺がそのまま黙っていると、ルークスは話を続けた。


「……しかし私は違う。マルセルという子を持ってから、この子の将来は一体どうなるのだろうかとずっと考えていた。このまま一生魔道具に頼り、人間の目を盗んで辺鄙な村に身を隠し続けるのか?そもそもライアスの力がなければ、それすら叶わない状態だ。正直、このままでは獣人の未来はない。遅かれ早かれ、皆いずれシーランス山岳で殺された者達と、同じ道を辿るだろう」



言われてみれば確かにそうかも知れない。


俺はたまたまユージやナユタに出会えたからこれまで運よく生きて来られたが、もし人間の味方が誰もいなければ、獣人はこの世界では生きてはいけないだろう。



「人間の味方を見つければ良いんじゃないか」


思ったままを口にすると、ルークスは神妙に頷いた。


「ああ。君の仲間達はどうも信用できる者達らしい。しかし、人間の大半は獣人を敵視している。君はたまたま幸運だったのだ。もはやこの世界を根本的に変えない限り、獣人に未来はないだろう」



俺はナユタがライアスの研究室で、同じようなことを言っていたのを思い出す。

そもそもこの国が考えを変えない限り、同じことが繰り返されるだけだと。


「じゃあお前はどうしたいんだ。何か考えでもあるのか」



今度は逆に俺がルークスに尋ねると。ルークスまた伏せていた目を上げて俺をじっと見つめた。


そしてその口から出てきた言葉は、思いもよらぬことだった。



「……ああ。君、我々獣人同士で手を組むつもりはないかな。この世界にいる獣人全員で、人間に戦いを仕掛けるのだ」

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