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25.再出発

「おいお前、いつまで俺の耳をじろじろ見てんだよ」


ライアスの研究室に滞在して二日目に、俺はついにマルセルに向かって言った。

マルセルは暇さえあれば俺の耳をじっと見上げて、今にも手を伸ばして触りたいというようにうずうずしているのだ。


「お前にも犬の耳が付いてんだろ。自分の耳を触っとけよ」


するとライアスは面白そうに笑いながら言った。


「猫の獣人ってすげー珍しいもんな。俺も見たのはしょこらが初めてだぜ。……その気持ち分かるぜ、マルセル……一度で良いから触ってみてえよな……」


「絶対駄目だよ、僕だって触ったことないのに!」


ユージがすかさず横から口をはさみ、再び二人はあれこれと言い合いを始めた。




マルセルは非常に無口な子供だった。


俺がその声を聞いたのは、シーランス山岳の村人達が全員殺されたと知った時の、あの小さな泣き声だけだ。

普段は話しかけられてもこくりと頷くだけで、マルセルは一言も話さなかった。


それは言葉が分からないからではなく、単に恥ずかしがっているようでもあり、人と話すのに慣れていないようでもあった。



「マルセル君は、どうもユージ君が一番好きみたいだね。それにしょこら君にも興味深々だ」


ナユタはマルセルの頭を手で撫でながら言った。

頭に付いている犬の耳は真っ白な毛で覆われているが、マルセルの髪色は白と茶色が入り交じっている。


そんなマルセルの姿をじっと見つめながら、ライアスは腕を組んだまま何事かを考えていた。


「……考えてたんだけどさ。エド町がこれから先も安全だとは限らねえだろ。王都みてーに獣人に拘る奴らが出てくるかもしれねえし、そうでなくても魔物の危険がある。どうにかして、マルセルに取って絶対安全な居住地を作りたいんだが……」


「ああ、そうだね。だけもそもそもこの国が考えを変えない限り、どこへ行っても同じことが繰り返されるだけだろうね」


ナユタもマルセルを見下ろしながら、考え込んで言った。


「国王その人が反獣人の立場を取っているから一筋縄ではいかないけれど、やはりそこを何とかするべきだ」



するとナユタはふと目を上げてアイリーを見つめる。

アイリーは机を挟んで斜め向かい側に腰かけていた。



「そういえばアイリー君。君はあの王室にいた臣下と、何か関係があるのかい?」


その臣下、ミーシャから最後に言われた言葉を思い出しながら、ナユタはアイリーに尋ねる。

しかしアイリーは全く思い当たらないという顔をした。


「私ですか?いいえ、何も……。そもそも私は冒険者といってもずっとベンガル周辺で活動していて、王都には数える程しか来たことがありませんし……王宮には近づいたことすらありませんでした。……でも、一体なぜそのような事を聞くのですか?」



その答えに、今度はナユタがゆっくりと首を振る。


「……いいや、心当たりがないなら良いんだ。気にしないで」





その日の夜、ライアスの研究室の扉を叩く者があった。


来客に心当たりのないライアスは、その目に警戒の色を浮かべて扉の方をじっと見る。


「なんだ、こんな時間に……まさか研究所の奴らじゃねえだろうな。いやしかし、もしあいつらなら警報機が作動するはずだし……」



どうやら警報機という魔道具もライアスが作ったものらしい。

それは小さな絵画の枠の中に真っ赤な石がはめ込まれたような見た目で、入り口すぐ横の壁にかけられている。


研究所や王室の人間、もしくは魔道具に情報を読み込ませた冒険者達が来訪すると、赤い石が光り警告音のようなものを発するのだ。



ユージも警戒して思わず息を呑み、俺とマルセルの手をそれぞれぎゅっと握りしめた。

椅子からやや腰を浮かせて、何かあればいつでも逃げられる体勢だ。



ライアスは扉の前まで歩いて行き、そこで立ち止まって注意深く返事をした。


「……誰だ?」



すると扉の向こうから、くぐもった声が返って来る。


「ライアス、私です、カナンです。どうか中に……」

「なっ……い、生きてたのか!?」



ライアスは驚いてすぐに扉をガチャリと開けた。


そこに立っていたのは、古びた洋服を着た一人の若い女性だった。

最も、俺やユージよりは年上で、おそらく二十代半ばといったところだろう。



ライアスはさっと脇に避け、カナンを中に通すとすぐにまた扉を閉めた。


カナンは研究室の中を見回し、マルセルを見つけるとすぐに両手で口元を覆った。


「マルセル!良かった、生きていたのね……!!」



「えっと……ライアス、この人は……?」


まだ警戒を怠っていないユージが、ライアスに向かって尋ねる。


「ああ、この人はシーランス山岳に住んでたカナンだ。村人は皆殺しにされたって聞いたから、てっきりカナンも死んじまったと思ってたんだが……」


するとカナンは改まって、俺達の顔を見回した。


「初めまして、皆様。驚かせてしまい申し訳ありません。今は魔道具で、兎の耳と尻尾を隠しているのです。私はあの時、たまたま村から買い出しに出ていましたので、冒険者達による襲撃を免れたのです。……私だけではありません、あの場にいなかった者はまだ数名います。今は皆、ライアスの魔道具を使って別々に身を隠しています……」


「おお、他にも生き残りがいるのか!?おい、もしかしてマルセルの……」



期待を込めた目でライアスが尋ねると、カナンはこくりと頷いた。



「ええ。ライアスの両親も、運良くあの場にはいませんでした。今はファウンデン領に身を潜めています」

「そうなんだ……!良かったね、マルセル君!本当に良かった……」


そう言ってユージが隣にいるマルセルに微笑みかけると、マルセルも無言のまま目をキラキラさせた。



「だけど、このまま人間達の中で怯えながら暮らすことはできません。だから私はここへ来たのです、またライアスの力を貸していただきたくて……」


「当たり前だろ、俺にできる事なら何でもするさ!新しい魔道具も開発したんだ、それも良かったら使ってくれ。……とにかくマルセルは、早く両親の元に送ってやるべきだな」


「ええ。ライアス、本当にありがとうございます。……あ、それで、あそこにいる方は……」



カナンは俺に目を向けて言った。初めて見る猫の獣人が普通に人間達と一緒に座っているので、少なからず驚いている様子だ。


「おう。俺はしょこらだ」


俺は必要最低限の挨拶をする。特に他に言うこともないのだ。


「しょこらさん。初めまして。……あなたも獣人なのですね。よろしければ、あなたも私達と共に暮らしませんか?」



一瞬、部屋の中に沈黙が降りた。


「しょこら……」


ユージはまだ俺の手を握ったまま、ちらりとこちらに目を向けた。俺がどう答えるのか気になっている様子だ。


「えっと、もししょこらがそうしたいなら、僕は……イタッ!!」



俺は空いている方の手でユージの顔を軽く猫パンチした。


「前に言っただろ、俺は他の獣人には特に興味ない。なんで知らない奴らと一緒に住まなきゃならないんだ」

「でもしょこら、これからずっと隠れて旅をしていたら、また危険な目に遭うかも……」

「まあまあ、ユージ君」


そこで口をはさんだのはナユタだった。


「君だってしょこら君と離れたくないだろう。ここは自分に素直になりなよ。しょこら君に何かあったら今度こそ僕達が守るんだ。最も、二人とももっと強くなるように特訓は必要だけどね」



にっこりと笑うナユタを見て、特訓に思いを馳せたユージは一瞬たじろぐが、しかしやがてにっこりと笑った。


「……うん。そうだね。ありがとう、ナユタさん」


「ああ。それに、世の中がずっとこのままだとも限らない。何とかして良い方向に向かうかも知れないしね」





何はともあれ俺達は翌日、マルセルを両親の元へと送り届けることにした。


両親が身を潜めているというファウンデン領は、シーランス山岳からまっすぐ北向きに進んだ海岸沿いに位置している。その領地内で最も大きな町は、例に漏れずファウンデン町と呼ばれている。



「シーランス山岳やベンガル周辺では、まだ冒険者達が厳しく見回りをしているはずだ。だけどファウンデン領主は話の分かる人だと聞いた事があるし、あそこのギルドは獣人狩りの依頼なんて出していないだろう」


「ええ。まさにその理由で、マルセルの両親はその町を選んだのです」


カナンはナユタに向かってそう言った。

魔道具の効果が消えている今、その頭には真っ白な兎の耳がくっついていた。


「ですが、本当にあなた達も共に来てくださるのですか……?」


カナンは今度は俺とユージに向かって尋ねる。

俺達もナユタと共にマルセルを送り届けることにしたのだ。


「ファウンデンに入ればある程度は安全かも知れませんが、それでもあの地域に再び近づくのは……」



もちろんカナンの言う通りだった。

いくら魔道具で耳を隠しても、俺は既に冒険者達に獣人であることを知られている。


もし再び見つかったら、今度こそ頭のおかしい研究所送りにされるだろう。


「ああ。ずっとこんな所でコソコソしているのは御免だ」



俺はカナンに向かってそう言った。

しかし実際は、マルセルがユージと俺の手をなかなか離そうとしなかったことが一番の理由だった。


ここからファウンデンまではまた長旅になるので、不安なのだろう。


ユージも不安を拭いきれないようだったが、それでもマルセルのことは放っておけないようだった。



「うん、僕達も行くよ。……大丈夫だよ、ちゃんと送り届けてあげるからね」


ユージがそう言うと、マルセルはその手をしっかりと握りながらこくりと頷いた。



ライアスは研究室を離れられないので、一人そこに残る事となる。


出発前、ライアスはいくつかの魔道具を俺達に向かって差し出した。


「しょこらにも渡しておくぜ。これを首からかけておけば、耳と尻尾は隠せる。一種の幻影魔法だ」


それは首飾りのようなものだった。

その先端には小さな青い魔石のようなものがぶら下がっている。


「効果は持って数か月だ。青い色が薄くなってきたらまた俺の所に来てくれ。……で、これは皆に渡しておくぞ。最近やっと完成した魔道具だ」


そう言ってライアスは、俺達全員に小さな銀の輪っかのようなものを手渡す。

輪っかは完全に閉じておらず、僅かに隙間が空いている。


「少し隙間があるだろ。それを耳にくっつけるんだ。こう、耳をはさむようにして……。そうすれば離れた場所にいる相手に声を届けることができる。……けど、効果は長くて三週間ってとこだな。もっと改良が必要なんだが……」


「す、すごいですね……。離れていても、会話ができるだなんて!相手の声も聞くことができるのですか?」


アイリーは感動したように、その銀の輪っかをしげしげと眺める。


「ああ、もちろんだ。相手の声が聞こえなきゃ会話になんねーだろ」


この世界では画期的な発明品のはずだが、ライアスは何でもなさそうに答えた。



そうして俺達はライアスの研究室を後にして、ファウンデン領へと向けて再び旅立ったのだった。

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