21.頭のおかしい研究者
王室から解放されたユージとアイリーは、研究所を目指して走っていた。
まっすぐ東に向かえと言うミーシャの助言通り、二人はただひたすらに足を動かし続ける。
「す、すみませんユージさん、私もう限界で……」
しばらく走り続けた後、アイリーはぜえぜえと息を切らしながら喘いだ。
「よろしければ、先に、行ってください……」
その時、既に日は沈み周囲は暗くなっていた。
ユージはアイリーを振り返り、自らも息を切らしながら速度を落とす。
「そうだね、僕も疲れたし……少しだけ歩こうか……」
二人は並んで歩きながら、荒い息が落ち着くまで沈黙する。
するとアイリーは、突然今の状況を意識して我に返った。
『そ、そういえば、今はユージさんと二人きり……。どどどうしましょう、私、男の人と二人で出歩いたことなんてないのに………。い、一体こういう時、何を話せば良いのかしら………』
くだらぬ考えに囚われながら、アイリーはちらりと横目でユージを盗み見た。
しかしユージは真剣な顔つきで視線を落としたまま、何事かを考えている様子だ。
『い、いけない、私ったら、こんな時に何を考えて………』
アイリーが思わずパアンと自らの両頬を手ではたくと、ユージはビクっと飛び上がりアイリーを見つめた。
「え、アイリー、大丈夫……?」
「ええ。問題ありません。さあ、ユージさん、走りましょう!!」
恥じらいを燃料に変えるかのようにアイリーは突然俊足で走り出す。
ユージも慌てて速度を上げて、アイリーを追いかけた。
その頃、俺は謎の男に引き取られ、おそらくは男の個人的な研究室だと思われる建物に運ばれていた。
住居にしては小さく無機質で、外観はただグレーの石づくりの四角い建物だ。
中に入ると、作業場のような部屋が空間の大半を占めていた。部屋の真ん中には大きな机があり、その上は雑多な魔道具や大量の紙で溢れ返っている。
その部屋の隣には、申し訳程度に小さな洗面所と台所が据え付けられている。
男は俺を椅子に座らせると、俺を縛っていた黒い縄を一瞬で解いてしまう。あれだけ引っ張っても千切れなかったものが、まるで紙を破るように簡単に裂けてしまったのだ。
「………おい、大丈夫か?ったくあの冒険者達、危害は加えるなって言ったのに……」
俯いて顔を上げない俺をじっと観察していた男が、やがてブツブツと何事かを囁き出す。
それは聞いたことのない言語のようで、何かの呪文のようだった。
すると次の瞬間、俺の体にできていた痣が、なんと綺麗になくなった。痛みも完全に消え去っている。
それだけでなく、長時間馬車に揺られて溜まった疲労までもがどこかに吹き飛んでいた。
「……お前、何をしたんだ」
その時俺はやっと顔を上げ、男の姿を正面から見た。
男は珍しい真っ青な髪色をしていた。その髪は寝ぐせなのか生まれつきなのか、あらゆる方向に跳ね上がっている。
研究者だからか、その体には長い白衣を纏っていた。
しかし研究者にしては若く、俺やユージとほとんど歳は変わらないように見える。
そして最も意外だったのは、男が椅子に座る俺を見下ろしながら、二カッと微笑んでいたことだ。
それは、あの冒険者達が浮かべる邪悪な微笑みとは違う種類の笑みだった。
「へへっ、すごいだろ。俺には生まれつき、僅かだが魔力があるんだ。それを応用して、治癒魔法を使ったんだぜ」
治癒魔法というものについて、俺はユージから話で聞いたことしかなかった。
それは遥か昔に失われた魔法であり、今の時代では夢物語のようなものだ。治癒魔法を使えるのは、勇者だけだと言われている。
「まあ、軽い怪我しか治せないんだけどな。……そうだ、自己紹介がまだだったよな。俺はライアス、一応研究者だ。とは言っても、あの頭のおかしい研究所には所属してないがな」
そう言ってライアスは改めて二カッと笑った。
俺は特に言うことがないので、ただぼーっとそいつの顔を見つめ返す。
すると、ライアスは俺の頭にくっ付いている猫耳に目を向けて、しげしげと眺め出した。
気のせいか、興奮で目が輝いているように見える。
「すげーーーー………猫耳だ………!!猫耳の獣人は初めてだぜ!!」
ライアスはうずうずと両手を伸ばし、俺の猫耳に触れようとする。
俺はそれを手でパーーーーーンと叩き返した。
「おい。気安く触るな。耳を触られるのは嫌いなんだ」
「ええっ、ちょっとぐらい良いじゃねえか……」
残念そうに肩を落とすと、ライアスは机をはさんだ向かいにある椅子にドサッと腰かけた。
どうもこいつからは悪意を感じないが、研究者ということには変わりない。
俺は警戒を緩めずライアスに尋ねた。
「で、お前、俺を研究するつもりか。一体何をするんだ」
「ああ、まあ、研究ってか………そうだな、生態には興味あるから、いくつか質問に答えてくれりゃ有難いな。でも俺はあの研究所みたいに非道な人体実験はしないぞ。あいつら、獣人を捕らえては魔力回路の有無を調べるとか言って体を切り刻んだり、頭をこじ開けたり、魔物と同じ檻に放り込んで反応を見たり、滅茶苦茶やってるんだ。考えただけで反吐が出る」
ライアスは心底気分が悪いといった様子で、一瞬顔を曇らせる。
「んなことしたって、獣人が魔族かどうか分かる訳ないんだ。ただ他に方法が分からないのと、獣人をいじめたいのとで、好き勝手やってんだよ」
「でもお前も研究者なんだろ。国から勅命を受けてるって言ってただろ」
「ああ、まあな。実際、獣人達から聞き取った情報はいくつか国に報告してる。害のないものばっかだけどな。……でも俺の目的は獣人が魔族かどうかを調べる事でも、国から報酬をもらう事でもない。俺は……」
するとまたライアスの目に輝きが帯びた。
害意はないのだが、何となく危険な感じのする輝きだ。
「俺はただ獣人のことが知りたいんだよ!その耳ってどうなってんだ!?どうやって頭蓋骨から生えてんだ!?なんでそこだけ動物の毛が生えてんだ!??耳の種類によって習慣や性格も異なるのか!??とにかくその全てを隅々まで知り尽くしたいんだ!!!」
興奮して思わず椅子から立ち上がり、ライアスはキラキラと光る目を俺に向けた。
「俺さ、獣人がすげー好きなんだよ!!だって人間なのに動物の耳と尻尾があって、動物の身体能力も備えてるって、すごすぎないか!??すげー恰好良いじゃねえか!!」
どうやら害はないがただの変態のようだ。
俺ははあっとため息をつき、椅子からすっと立ち上がる。
「悪いが俺は連れのところへ戻らなきゃならないんだ。お前の変態的な趣味に付き合ってる暇はない。帰らせてもらうぞ」
「待ってくれよ!!ちょっとで良いから質問に答えてくれよ、頼む!!協力してくれたら、俺もお前にすげー良いこと教えてやるからさ!!」
「良いことって何だよ!離せ、俺は帰るんだ!!」
俺はがしっと右腕にしがみ付いて来るライアスの頬を、左手でぐぐぐぐと押し返した。
研究所に到着したユージとアイリーは、門の外から中の様子を伺っていた。
門衛こそいないものの、門扉はがっちりと閉じられ、建物の扉も完全に施錠されている様子だ。
窓からは明かりが漏れているので、研究員が中にいることは間違いない。しかし侵入する方法が二人には分からなかった。
「しょこらはきっと中にいるはずだ……。早くしないと、変な実験でもされちゃうかも知れない……」
ユージは歯を食いしばりながら研究所の窓を見つめた。
「だけどユージさん、この門扉を開けるにも鍵が必要なようです。どうしましょう、剣で叩き割れば壊れると思いますが、それではすぐ見つかってしまいますし……」
するとその時、研究所の扉がガチャリと開き、一人の研究員が中から姿を現した。
扉を閉めるとそのまま門へと歩いて来て、内側から門扉を開く。
ユージとアイリーは思わず目を見合わせ、こくりと頷いた。
研究員が門から離れて歩き出すと、二人は背後からそっと忍び寄る。
そしてすかさずユージが剣を引き抜き、その柄で研究員の後頭部を思いっきり殴打した。
ドサリと地面に倒れた研究員を見下ろしながら、ユージは呟いた。
「人を気絶させる方法、ナユタさんに教えてもらったんだ。役に立って良かったよ……」
アイリーはすぐに研究員を黒い縄で縛り上げた。
そして懐に入っていた鍵束を取り出すと、二人は研究員の体を近くの茂みの奥へと隠す。
「この人が目を覚ます前に、早くしょこらを連れ出そう」
ユージが言うと、アイリーはこくりと頷く。
そして二人は研究所の門を開き、扉へと向かって走り出した。




