20.王室に仕える者
俺の猫耳を目の当たりにした冒険者達は、完全に興奮していきり立っていた。
ドスッ!!!
できるだけ危害を加えるなとの指示すら無視して、例の野蛮な冒険者の男は、ご丁寧に俺の腹や背中に足蹴りを何度か食らわせる。
他の冒険者達も直接手を下しこそしないが、誰も男の所業を止める者はいない。
「ああ、できれば俺の手で処刑したいぐらいだぜ……。おら、あと一発で勘弁してやるよ!!」
最期にドカッと重い一撃を腹にお見舞いされ、俺は思わずゲホっとえずく。
怒りを通り越して脱力した俺は、それからはじっと荷台に横たわって馬車に揺られ続けた。
その長い道のりで、俺の頭にはただ一つの疑問が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
あの人間達に、生きる価値などあるのか?
しかしそれ以上思考は働かず、俺は馬車が速度を落とし、研究所の門前に停止した時も、ただボンヤリと荷台に横たわっていた。
「おら、起きろ。中に運び込むぞ」
荷台に足を踏み入れた冒険者の男は、ぐいっと俺の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
そのまま肩に担がれ、俺は門の内側へと運び込まれていった。
途中、ちらりと見えた看板には、「魔術研究所」との文字が見える。
多くの人間が魔法を使えた時代は、純粋に魔法だけを研究する場所だったのだろうか。
今はおそらく魔物や獣人を連れ込んで、生態解明のための研究や実験を行っているのだろう。
冒険者の男は、建物の扉の前でピタリと立ち止まる。そこには白衣を着た研究員と見られる男がいて、俺はその男の手に引き渡されるようだった。
しかしその時、背後から何者かの声が響く。
「おい!その獣人は俺が引き受ける約束だろ!」
それは聞いたことのない男の声だった。俺は相変わらず脱力してボンヤリしたまま、何となく会話に耳を傾ける。
男は続けて、研究員に何かを訴えていた。
「前に捕らえた獣人の子供は、研究所が引き取っただろう。次は俺のほうに回してくれる約束だろ、忘れたのかよ!」
「しかしこれは重要な成人の被検体ですので、研究所の方で預からせてもらいます。次に捕らえた者はそちらへ回しましょう」
「そんな事がまかり通るかよ!こっちだって王室から勅命を受けてんだ、何なら国王に直訴したって良いんだぞ!」
「しかし研究所の方が設備も整っていますし、より精密な実験が……」
「その研究所が、ここ数年で俺以上の成果を上げたことがあるのかよ?」
そこで辺りは一瞬静まり返る。
すると研究員と思われる者は、はあっと小さくため息をついた。
「良いでしょう。この被検体は貴方にお渡しします。ですが実験に失敗しても次はありませんよ」
俺を抱えていた冒険者は、研究員ではない別の男へと、俺の体を引き渡した。
引き受けた男の手はそっと俺を受け止め、苦労しながら背中に背負う。乱暴な冒険者とはまるで違う手の感触だった。
そうして俺を背負った男はそのまま、研究所の門を出て行った。
ユージとアイリーが王宮を離れた後、後に残されたナユタは、ただ地下牢の中でじっとしていた。
そこへミーシャが戻ってきて、ナユタに向かって声をかける。
「お二人は解放しましたよ。今頃研究所へと向かっているでしょう。さあ、貴方は私と一緒に来てください」
ナユタはミーシャを見上げて、すっと立ち上がった。
「ありがとうございます。僕はこれから国王に謁見するんでしょうか?」
「ええ。国王自らが話を聞きたいとのことです」
しばらく無言で二人は歩を進めた。
地下牢を出て回り込み、宮殿の正面に来たところで、ナユタは再びミーシャに声をかける。
「聞いても良いでしょうか。どうして僕達に協力してくれたんですか?」
ミーシャはちらりと後ろを振り返ってナユタに視線を向けた。
「協力したつもりはありません。貴方が情報を提供すると言うので、交換条件を呑んだだけです」
「だけど、あの二人が研究所に行く事は止めなかったのですね?」
ミーシャはそれ以上は答えようとしなかった。
ナユタもしつこく追及する事なく、二人はやがて謁見の間の扉の前へと辿り着く。
開け放たれた扉の奥には、国王その人が玉座に鎮座していて、ナユタとミーシャを見つめていた。
その周囲には臣下と思われる者が二人、騎士団員が数十人肩を並べている。
手首を後ろ手に縛られたまま、ナユタは国王の前に跪く。
役目を果たしたミーシャはナユタの傍を離れ、国王の傍らへと歩み寄り、他の臣下達に並んで立ち止まった。
国王が口を開く代わりに、ミーシャの隣に立つ臣下がナユタに向かって声をかける。
「我々は取引に応じた。お前からは重要な情報を得られることを期待している」
臣下の話し振りは、まるで感情のこもっていない人形のようだ。ただ無機質に、淡々と台詞を読み上げている。
「分かっているとは思うが、陛下の前で虚偽の発言は許されない。発言内容によってはこの場で処罰が下される。では聞こう、お前がシーランス山岳にて、獣人の集落を管理していたというのは本当か」
ナユタは頭を下げたまま答える。
「本当です。見張りをしていた兵士達からお聞きかと存じますが、私は先日そこで囚われた獣人の子供の名を承知しています。名はマルセル、五歳になる男の子です」
周囲がざわざわとざわめいた。
どうやらナユタが言っていることは正しいらしい。
今や国王含め、その場にいる全員の視線がナユタの上に注がれている。
「良いだろう。しかし王室に隠れてそのような行為に及ぶことは重罪だ。本来であれば即座に極刑に処されるところだが、釈明があるのであれば聞こう。情報の内容によっては情状酌量の余地も……」
そこで臣下は言葉を止めた。
突然、国王その人が、玉座から立ち上がったからだ。
ナユタがふと視線を上げると、国王は立ち上がったまま、ナユタをじっと見下ろしている。
これまでナユタに注がれていた視線が、今は全て国王に向かって注がれていた。
「陛下?どうされましたか……?」
すると、しばらく沈黙していた国王が、突然大きな声を上げた。
よく響き渡る低音で、魔道具も何もなしにその声は謁見の間に響き渡る。
「もう良い。その者の無実は余が承知している。今すぐ解放するのだ」
「ええっ、陛下、しかしそれは……」
「これは王命だ。早くせよ」
何が何だか分からないまま、臣下や騎士団員達は互いに顔を見合わせる。
すると国王のすぐ傍に控えていたミーシャが、さっと前に進み出た。
「承知いたしました。私がこの者を宮殿の外へ送り届けましょう」
ナユタは茫然として、跪いた恰好のまま、近づいて来るミーシャを見上げた。
ミーシャはナユタの腕を取って立たせ、そのままさっさと謁見の間を後にする。二人の背後を、困惑した臣下達のざわめきだけが微かに追いかけてきた。
「あの、これは一体どういうことですか……?」
急ぎ足で王宮の扉から出て、正面の門へと歩を進めるミーシャに、ナユタは背後から声をかけた。
「国王は一体なぜ急に……。あなたが国王に何か話したのですか?」
門を出てしばらく進んだところでミーシャはやっと足を止め、くるりとナユタに向き直る。
そしてユージやアイリーの時と同じように、ナユタを縛っている黒い縄をいとも簡単に解いた。
「時間がないので詳しい説明は省きますが、私は魔族です。この王室には四百年以上仕えています。非常に微力ですが闇魔法が使えますので、触れた人間を一時的に操ることができます。これだけ言えば理解したでしょう。
さあ、怪しまれないうちにここを去ってください。国王が無実を宣告したことをあの場の全員が見ていましたので、しばらくは誰も貴方達を追う者はいないでしょう。ですがこの方法はそう何度も使えません。今後何かあったら自分の面倒は自分で見てくださいよ。それと……」
ミーシャは早口でまくし立てたかと思うと、最後に一言付け加える。
「貴方と一緒にいたあの少女……。あの子のこと、頼みますよ」
それだけを言うと、ミーシャはナユタの手に黒い縄を押し付けて、身を翻して去って行く。
ユージやアイリーと同じように、ナユタもまたただポカンとして、その後ろ姿を見送ったのだった。




