16.不穏な話
俺達が遭遇したそのドラゴンの名は、マトリカというらしかった。
なぜドラゴンに名前があるのか不明だが、ドラゴン自身がそう名乗ったのだ。忌々しいことにそいつの言葉を理解できるのはなぜか俺だけなので、俺はドラゴンの言葉を通訳するはめになる。
「名前はマトリカだとよ。メスだ」
〈女って言ってくださる?全くあなたは品性の欠片もないんだから〉
「てめえ、ただの鳥のくせに何が品性だ!その鱗引っぺがしてやろうか!」
〈まったくもう、野蛮ねえ。四百年前から全然変わってないじゃない〉
「だからその四百年前ってのは一体何なんだよ!訳の分からないことを言うのはやめろ!」
俺とマトリカのやり取りを、ユージもナユタも興味深そうに眺めていた。
二人ともマトリカの言葉は理解できないものの、俺達の様子から何となく会話の内容を察しているようだ。
「へえ、マトリカっていうんだ。誰が名前をつけたんだろうね?」
ユージはしげしげとマトリカを見つめながら、不思議そうに呟いた。
「それに、どうして僕達に敵意がないんだろう。テイムしてる訳でもないのに……」
〈あら、名付けたのはあなたじゃない。それに、私をそこらの野蛮なドラゴンと一緒にしないでほしいわ。私は無暗に人間を攻撃したりしないもの。……ちょっとあなた、さっさと通訳しなさいよ〉
マトリカは俺の方に頭を向けて指示する。
「てめえ……それが人にものを頼む態度か?」
俺はギロリと殺気立った目で睨み返した。
やはりこいつと話していると無性に腹が立ってくる。
ナユタはしばらく可笑しそうにやり取りを眺めていたが、やがてマトリカに向かって言った。
「それで、マトリカは僕達を、目的地まで乗せてくれる気はないんだろうね?」
まるでマトリカの性格を見抜いているかのような質問だ。
マトリカはツンとした態度でグルグルと答える。
〈もちろんないわ。私は高貴なドラゴンなのよ、安易に人を背中に乗せたりしないわ〉
その言葉は分からないものの、答えを察したようにナユタはやれやれと笑った。
「仕方ない。歩いて旅を続けるしかなさそうだ」
「でもマトリカ、もしもの時は、僕達の力になってくれるかな……?」
ユージがマトリカを見つめながら言うと、マトリカはツンとした態度を和らげて喉を鳴らした。
〈気が向いたら助けてあげるわよ、ご主人様〉
結局マトリカはしばらくすると、やたら演技がかった態度でバサッと翼を広げ、空へと飛び立って行った。本当に俺達と話をするためだけに舞い降りてきたようだ。
全く謎なドラゴンだった。
俺達はしばらく、マトリカについてあれこれ話しながら歩を進めた。
「でも、本当にどうして僕達に友好的なのかな。それにしょこらに向かって言った、四百年前って言葉も、どういう意味なんだろう……」
「にしても何で俺だけ言葉が分かるんだ。七面倒くせえな」
「上位の魔物には知能があると聞いているけど、言葉が分かるケースというのは初めてだ。しょこら君にはたまたま、魔物の言葉が分かるスキルでもあるのかも知れない」
しかし、俺達は同じ疑問を何度も繰り返すだけで、肝心なところに触れようとしなかった。
その時、はっきりとは口にしなかったが、俺もユージも、そしておそらくはナユタも、同じことを考えていたのだ。
俺にだけ言葉が分かるというのは、おそらく俺が獣人であることが関係している。
しかしもし獣人と魔物が会話できるのだとすると、獣人も魔物の部類であるという証明になってしまうのではないか。
魔族であると断定されてしまえば、人間はいよいよ躍起になって獣人を見つけ出し、虐殺しようとするだろう。
その不穏な考えは俺達全員の頭によぎっていたが、とにかく今は先に進むしかない。
俺達はそれからはしばらく黙り込んで、ただ目的地へと向かって足を運んだ。
それから二日後、俺達はベンガルの町に到着する。
目的地のシーランス山岳までの道のりでは、このベンガルが最後の大きな町だ。
数日振りに町を取り囲む壁と門衛の姿を目にして、俺達はやっと一息をつく。
「さすがに野営続きで疲れたね。今日はここの宿に泊まろう」
ナユタがそう言うと、俺もユージもすぐに頷いた。
ベンガルの町はバルバトスと同程度の規模だが、町全体がクリーム色で統一されて理路整然としたバルバトスとは雰囲気を異にしていた。
その町はどの建物も赤いレンガ造りでこぢんまりとしており、異国のような雰囲気が漂っている。そしてどこか町全体にのんびりとした雰囲気が漂っていた。
町の中心部には川が流れ、小さな木でできた小舟に乗って人々は川を渡っている。
そして何より俺達を驚かせたのは、そこかしこで野良猫の姿を見掛けたことだった。
「すごい……。猫ってすごく珍しい動物なのに。僕、本物の猫なんて初めて見たよ」
ユージは目を輝かせてそこらを見回していた。
「ああ、すっごく触ってみたい……」
「すごいね、僕も本物を見るのは初めてだ。それにいろんな種類がいるみたいだ」
ナユタも感心して、ちょうど路地を颯爽と歩いている茶色い豹のような柄の猫を見つめた。
俺ももちろん猫を見るのは初めてだ。
今気づいたのだが、俺は生まれてから猫の絵すら見たことがない。
ただ自分に付いている耳と尻尾が黒猫のそれだということは、本能的に感じ取っていたのだ。
俺達は猫を見つけては指を指しながら、まずは今日泊まる宿の部屋を取ることにした。
小さな赤レンガ造りの建物に入ると、すぐ正面に受付カウンターがある。
するとなんとその上にも、茶色い縞模様の猫が座り込んでいた。
「わあ、こんなところにも猫が……」
ユージは触りたくて仕方がないと言うように、猫をちらちらと見てはそわそわしている。
受付係は若い女で、見た目からすると俺やユージと同い年ぐらいだ。
肩まで伸びた髪は珍しい金髪で、にっこり笑って俺達に向かって声をかける。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか」
ナユタがいつものように二部屋分の支払いを済ませると、受付係は俺達を見つめながら言った。
「あなた達も、もしかしてシーランス山岳へ向かわれるんですか?」
質問されると思っていなかったナユタは、少し意表を突かれた気味で答える。
「ええ、そうです。……僕達も、ということは、他にもシーランス山岳に向かった人達がいるんですか?」
すると受付係は、なぜか少し表情を曇らせた。
「ええ………実はずいぶん前に、複数の冒険者グループがシーランス山岳へ向かいました。噂では、彼らはしばらくそこで野営して、麓の集落を見張っているそうです」
「そうですか。……おそらく彼らも、王都で依頼を受けた冒険者達でしょう。そういえばギルドから話を聞いたな。依頼を受けたまま戻っていないグループが複数いるって。彼らは棄権したと考えられているようだけど……、今の話だと、どうやら棄権した訳ではないみたいですね」
「はい。彼らはまだ執拗に、調査に当たっています。たまに野営での食料が尽きると、この町へ戻って来られるんですが………」
どうも何か言いたげな受付係の様子に、俺は横から口を出した。
「おい。なんで俺達にそんな話をするんだ。何か気になることでもあるのか」
受付係は俺を見て、それからナユタとユージを順に見つめた。
しかし、しばらく逡巡した様子を見せた後、小さく首を横に振る。
「………いえ、何でもありません。どうぞ、これが部屋の鍵です」
その後、宿を出て町を歩きながら、俺達は先ほどの会話について話し合う。
「さっきの人、何か言いたそうだったよね。シーランス山岳で、何か良くない事でも起きてるのかな……?」
ユージが心配そうに言うと、ナユタも考えながら口を開く。
「どうだろう。魔物が多い場所でもないし、危険はないはずだ。さっきの人の様子からして、どうもその冒険者達に問題があるようにも思えるね」
結局結論の出ない俺達は、そのまま町を歩いて適当な飯屋に入り昼飯を食べることにした。
その夜、宿の部屋へと戻ると、俺はすぐにベッドに横になり眠りに落ちる。
同じく横になっていたユージはしばらく何事かを考えていたが、やがてゆっくりとベッドを抜け出し、そのまま服を着て部屋を抜け出した。
ユージは階段を降り、受付のカウンターへと歩を進める。
そこには昼間俺達に応対した女性が、眠そうな目をして座っていた。
女性はユージを見るとハッとして立ち上がり、慌てて笑顔を作る。
「どうかされましたか?部屋の備品に何か問題でも……」
「い、いえ、そういう訳では。………えっと、あの………少し、その猫を、触らせてもらっても、良いですか……?」
ユージはおずおずと、カウンターの上に丸くなっている茶色い縞模様の猫を指差した。
すると女性はふっと自然な笑顔になり、すぐに頷いた。
「もちろんです。眠っているので、起こさないようにしてください」
しばらく猫をそっと撫でていたユージだが、もちろんただ猫を触りに来た訳ではなかった。
やがて意を決したように、ユージは女性に向かって尋ねる。
「あ、あの。昼間話してた、冒険者達のことなんだけど。……彼らに、何か問題でもあるんですか?」
女性は不意な質問に驚き目を大きくするが、すぐに神妙な顔つきになる。
「……ええ。貴方には話しても大丈夫そうだから、お話します。……シーランス山岳に滞在している冒険者達は、何と言うか、その………獣人の捜索をしているようですが、すごく穏やかでない雰囲気なんです。食料を求めにこの町に戻った時も、町人を突然捕まえては獣人の嫌疑をかけてきたり、獣人に対する差別的な発言を繰り返したり……」
ユージはぐっと息を呑む。
それはユージが最も心配していたことだったからだ。
「……それに、彼らは獣人への敵対心が高ぶるあまり、この町の猫たちを傷付けるんです。正直、早くこの地を去ってほしいのですが………」
そこで女性は伏せていた目をユージに向ける。
「あの、貴方たちも、獣人の捜索に行かれるんですよね……?」
「そうです。……でも僕達は、獣人を捕まえたいなんて思っていない。……何ができるか分からないけど、僕達が、その冒険者達を何とかします」
ユージは伏せた目を茶色い猫の上に注ぎながら、はっきりとした口調で答える。
怒りを秘めた強い言葉と眼差しに、受付係の女性は思わず頬を赤らめた。
「……ありがとうございます。……そうだ、私はアイリーと言います。よろしくお願いします」
「あ、えっと……ユージです」
それからユージは部屋へと戻り、やがて眠りにつく。
そして翌日、俺達はついにシーランス山岳へと向かって出発するのだった。




