No.8 稽古
「橘くん、また君に仕事が回ってきたようだ。」
「掃除当番のことか?」
多くの表彰状が飾られている部屋の中で男が2人、部屋に鍵まで掛けて内密に話を進めているようだ。その男達は蒼を基調とした軍服を身に纏い、その肩には烏のマークが刻まれている。彼らは異能を犯罪に使った発現者に制裁を下す対発現者執行部隊。通称《A.P.E》。10人ほどで構成されている少数部隊にも関わらず、日本一の武力を誇るとすら言われており、政府直属の秘密警察的存在である。任務としては大抵公に出来ない様な残忍な事件であったり、社会的地位を持った異能者の粛清が多く、正義執行の為なら手段を選ばないことがほとんどである。
「君が発現者を恨む気持ちはよく分かる。だが、その言い方はないだろ橘くん。」
小柄ながらもガッチリとした身体付きに、立派な白い髭と丸いメガネが特徴的な初老の男が溜息を吐きながら若い男に語り掛ける。彼の名前は上郷 重一郎。発現者の捕縛について大いなる貢献をしてきた人物であり、尚且つこのA.P.Eの隊長である。
「ゴミはゴミ箱に。小学生だって習うだろ?」
「橘くん!はァ、君ってやつは。」
上郷に対して反発的な態度を取るこの男は、橘 遥歩。A.P.Eの副隊長を務める人物である。つり上がった眉と目、バッチリと上げられた前髪が特徴的で、口も見事にへの字に曲がっている。体格も良く、180cmは軽く超えるであろう身長だけでなく、服の上からでも強靭な肉体を持っていることが見て取れる。つまるところパッと見柄の悪いヤクザである。
「で、今回はなんだ?生ゴミか?燃えるゴミか」
相変わらずの態度を取る橘に対して、眉間を押さえながらため息を吐く上郷。しかし、次の瞬間、とても深刻そうな目付きを橘に向けた。
「……③が現れたようだ。」
「……それはマジのやつか?」
先程から冗談半分で返していた橘の様子が一変、上郷と向き合ったと思えば、デスクに両手を着いて眉をひそめた。
「どうやらマジもマジ、大マジみたいなんだよ橘くん。しかも君をご指名とまできた。」
「……③つっても一体誰のこと言ってんだ?アイツらの中のどいつのことを言ってるんだ…?」
「私の驚きようを見れば分かるだろう?私とて諦めかけていた人物の登場のようだ。」
橘は固唾を呑み込み、冷や汗を垂らした。そして、若干震えた声を戸惑いを乗せて呟くように問い掛けた。
「…まさか、冥医か…?」
その頃、口莫山に少年の情けない声が谺していた。
「痛ぇ…。そんな強くやる必要ねぇだろ!」
「無駄口を叩けるようでしたら十分でしょう。ほら、まだ終わりじゃないですよ?」
どうやら組手の稽古を行っていたようで、状況としては少女に少年が訳も分からず一方的に投げ飛ばされ続けているようだ。
地面に叩きつけられるのがあんまりにも痛いものだから、少しは手加減をして欲しいと少年の方から何度か申し立ててはみるものの、キッパリと却下されまたまた地面に叩きつけられる。
既に少年の顔や腕には複数の痣ができており、息も荒くなっていることからそろそろ限界のようだ。
しかし、対して少女はというと呼吸が乱れていないどころか、辺りに1つたりとも足跡を作っていないことから、どうやらまず動いてすらいない様子。
そのことには少年も薄々勘付いており、明らかな実力差に嫌気が差し始めていた。
「こんな稽古になんの意味があるんだよ。能力育ててくれるとかそういう展開を期待してたんだけどさ。」
「なぜ組手だけを永遠にやり続けるのか?という質問でしょうか?その質問に対する回答は既に用意してあります。」
「色々説明したいことはありますが、清林くんのように派手な技が使える者もいれば、私のように能力を無効化する者もこの世には存在する。まずそれが1つの理由です。」
少年はその言葉を聞いた瞬間酷く驚きはしたものの、妙な納得感を得られていた。
その経緯として、まず少年はこの稽古において異能を使おうとしなかった訳ではない。使えなかったのである。最初に手加減無用と言われてから存分に能力を使おうとはしていたものの、何者かに抑え付けられたかのように一切能力を使うことが出来ず、結局肉弾戦を行うしかなくなっていた。
それに加え、あの小柄な少女は実力の底が見えぬ程に戦い慣れしており、実際にLeəЯと行動する内に幾度となく死線を乗り越えてきたのだろう。
結果として少年が一方的に投げられ続けるという図が完成していたという訳だ。
にしても、たった一人の少女の力で高校男子の身体をこんな軽々と投げ飛ばせるものだろうか。これが能力によるものなのか、はたまた武術によるものなのか。何もかもが分からない状態に更なる危機感を覚えたのか、少年は戦略を見直そうと一旦距離を取った。
「今、何を考えているのかは凡そ想像は着きますが、そこまで気付けたのであれば上々です。特別に投げ飛ばすのをここで止めてあげますね。」
クスクスと悪戯に笑みを浮かべながら此方へと近づいてくる少女を見て、少しの苛立ちを覚えながらも今ここで口答えしたところでこの実力差は変わるものではない。そう感じたのか、グッと頭に浮かんだ言葉を口の中でどうにか抑え込んだ。
「で、結局教えたかったことは純粋な肉弾戦も強くなれってこと?」
「半分正解と言ったところですね。」
「じゃあ残りの半分は?」
不貞腐れながらも返答をする少年に対して、少し考える素振りを見せたあと、暫くして少女はまた口を開いた。
「その質問を返す前に、発現者の異能について少し深堀りしてみましょうか。」
「清林くん、貴方がその異能を使った時、今まで平凡な人生を送っていたとは思えない程に身体が動きませんでしたか?」
それを聞いた途端律は鳩が豆鉄砲を食らったに唖然としてしまっていた。
考えたこともなかった確かにそうだ。高火力の灼熱砲を掌から放ったり、身体の発熱効率を上げて代謝を促進させることでの身体能力の向上。これら全てを今まで素でやっていたものだからすっかり忘れていた。当たり前のことではあるものの、今までこんなことやったことすらなかったのだ。では何故、彼女の言うとおりこんなことがいきなりできるようになったのだろうか。
「それらは発現者の能力の構造に理由があります。発現者は感情の爆発力を糧に異能を開花させています。つまり、能力発動時は思ったように身体が動いた。ではなく、思ったようにしか身体が動かなくなる状態に陥っている訳です。」
「おいおい、ちょっと話が難し過ぎて頭が追いつかないって、もう少し噛み砕いて説明できたりしない?」
「そうですねぇ、つまり異能解放中は考えるよりも先に身体が先に動いていた!そんな状態が常時発動中。そんな感じですね。」
「なるほど。つまりなんかスポーツとかで呼ばれるゾーンに入った状態になるってこと?」
「近からず遠からずです。」
なるほど、原理はわかった。しかし、肝心な組手での稽古の必要性と、利点にしか感じられない発現者の異能がまるで欠点かのように語られている理由が一向に見えてこない。一体何故わざわざ組手であったのか、一体その異能のどこが悪いのだろうか。謎は増えるばかりの状態に少年は思わず頭を悩ませていた。
「思ったように身体が動く、これはとても便利なように感じられますよね?しかし、そこが盲点。そこが弱点なんです。」
「いやっ、弱点じゃないだろ。緊張で体が動きませんでしたとか、ドジって転んじゃいましたとかないってことだろ?弱点なんか…」
「その返答に対する回答は既に用意してあります。」
少女がいきなり食い気味に返してくるものだから、少年は思わず顔を引き攣らせてしまう。だが、少年はしっかりと少女の回答を真剣な眼差しで待ち構えていた。
「思ったようしか身体が動かない。つまりそれは、状況判断による思考の余地が無いということです。」
「いわゆる本能に任せて動くのみの状態。そこに深い読み合いや心理戦などは存在せず、お互いの感情をぶつけ合うしかなくなってしまう訳です。」
そこまで聞いてやっと自分でも納得しうる答えを導き出すことができたのか、少年は顔を上げて真正面から少女と目を見合せた。
「残り半分の答え、それは感情なしで戦える状態を作る訓練。ってことか?」
「その通りです。」
答えを導き出せた弟子に対して、喜ばしそうに少女は満面の笑みを浮かべた。そして、嬉々として少女は更に語り進めた。
「そして、先程までの清林くんが私に何度も何度も倒されていたのには理由があります。それは…」
「状況を読み取る点に欠けていて、感情に任せて殴り掛かっていたから。かな?」
「っ!その通りです。」
先程、食い気味に返された分と言わんばかりに少年は少女の台詞を奪い、ドヤ顔で少女に返してみせた。
しっかりと話を聴いた上で着実に成長する少年に対して、微かにLeəЯが律を認めた意味の片鱗を感じ取っていた。
「にしても厳し過ぎない?もう身体中アザだらけなんだけども…。」
「気付くのが遅い方が悪いので。」
やっと全てが紐解けた影響で今までの不満が垂れ流しになる弟子を前に、少女はそっぽを向いて見事に回避してみせた。
「さて、最終目標としては感情を完璧にコントロール出来るようになるところにありますが、まずは無感情で行動することを覚えましょう。」
「それでは清林くん、稽古の続きを…」
「俺もそれ習いてぇな、途中入校は可能か?」
少年へ次の指示を送ろうとしたその時だった。ドスの効いた声が2人の意識を一気に掻っ攫った。
その声した方向へ視線をやると、そこには肩に烏のマークが添えられた蒼い軍服を纏ったガタイの良い男性が立っており、右拳にはなにやらメリケンサックのようなものを嵌めている。
「随分面白そうな授業をしていたようじゃねぇかガキ共。」
『一体いつから!気配なんて微塵も感じ取れなかったのに!』
「清林くん危ない!一旦離れて…」
そこまで言いかけたところで、パァァン!という何かが強くぶつかった様な激しい音が辺りに響き渡るのと同時にいきなり少女の姿が消え、気が付いた頃には元々少女が立っていた場所に軍服の男が立っていた。
「おい…一体何を…。」
「アァ?軽く吹っ飛ばしただけだろ、死んじゃいねぇよ。」
震えた声で少女の居場所をなんとか聞き出そうとする少年に対して、軍服の男は親指でとある場所を指差しながらそう答えた。
そして、その示された場所に視線をやると、そこには何本かの折れた木々と血だらけの少女が横たわる光景が広がっていた。