No.7 信頼
「…全く……無茶が過ぎます。」
「…能力が発現したばかりであんなにも……。何かの間違いで身体が灰と化していたかも知れませんよ。」
戦闘後、律は山の中腹あたりにあるLeəЯの病院まで連れられて、応急処置を受けていた。
「痛ッ、もっと優しくやってくれ…って…の……。」
「はい。すみませんでした。」
擦り傷へのアルコール消毒が沁みたのか訴え掛けようと試みるも、不満そうにじーっと見つめてくるLeəЯの圧に負けて縮こまる。
対してLeəЯはそんな少年の様子を見ると大きな溜め息を吐いた。
「…貴方を大切に想う人が居るのですから。その想い、無下にしてはなりませんよ。」
「…え?」
ボソッと零すように言うものだから、今の言葉の真意を聞き返そうと顔を上げてみる。が、その頃には既にLeəЯの目線は患部にあり、出そうになった言葉は暫く口内を彷徨い続けた。
口を開くことすら億劫になるような静かな室内に、時計の針の音だけが聞こえてくる。
その間、本当はほんのちょっとした時間だったのかもしれない。しかし、あまりにも永く感じられてしまい、何か話題がないかと模索する。
「……あ!そういえば、レーアさんには、大切な人とか居るんですか…?」
いよいよ痺れを切らし、少年は返答されても困るような質問を自然と投げ掛けていた。
その質問に対して目の前の大男は困ったといった風に頭を掻くと、相変わらず患部から視線を逸らすことなくゆっくりと口を開き始めた。
「…大切な人ですか。そうですね。はい、居ますね。」
「どちらかといえば、少々向こうの想いの方が強いようには感じはしますが。」
嬉しいような困るような、そんななんとも言えぬ様子で苦笑を交じえながらLeəЯはそう答えた。
言葉から察するに、どうやら独りという訳ではないようだ。では、一体その相手とは誰なのだろうか。
何気なく投げ掛けた言葉ではあったものの、結果として疑問を増やしただけであった。
「へぇ。レーアさんにもそんな人がいるんですね…。あ!そういえば!あの団子ばっか言ってる男どうな……」
キィ〜……
少年がそこまで言いかけたところで何処からか音が聞こえてくる。それも室内からではなく外からである。古めかしい扉の音だ。
直前まで様々な疑問があったはずなのに、こんなところに人が来るものなのか?そんな疑念の前に意識を奪われてしまっていた。
「…遅い登場ですね。」
絶えず患部の確認をしていたLeəЯが、ここで始めて顔を上げた。
「申し訳有りません。折角の先生の頼みだというのに。」
LeəЯの様に丁寧な言葉遣いで部屋に入ってきた人物は、長く綺麗な黒髪に青いワンピースが特徴的な少女であった。歳は自分と同じか、それ以下に見える。にしてもその少女は第一印象は言葉で表すのが難しく思えるほどに可愛らしく、その美貌は芸能界に居ると言われても納得してしまいそうなほどである。
「…律さん、この方は貴方が能力が発現する前に紹介しようと思っていた方です。」
「え?!レーアさんの知り合い?!こんな綺麗な人が?!」
あまりの可愛さに目を奪われていたこともあってか、LeəЯの発した言葉全て聞き取れてはいるものの、思考がまとまらず間の抜けた返答をしてしまう。
そんな少年の状態など構うことなく少女に関する紹介は進み続けた。
「…紹介します。この方の名前は“レイナ”。私が最も信頼を置く仲間です。」
「ゥヘ買い被り過ぎです。私はただ先生のお手伝いがしたいだけです。」
少女はLeəЯに向かってニコッと可愛らしい笑みを浮かべると、流暢な口調で言葉を返した。
この一連の流れを見ただけで二人の信頼関係が如何に強いものかが見て取れる。しかし、気の所為だろうか。
謙遜する前に何やら聞こえた気がする。
試しにLeəЯの顔色を確認してみるものの、特にこれといった変化はない。
やはり気の所為だったのだろうと一応少女の顔も確認してみるが、うん、可愛い。やはりこんな子が変な声なんか出す訳が無い。なんかの間違いだ。きっと。
「えっと。あ、俺の自己紹介もした方がいいですよねっ。俺は清林 律っていいます!」
「清林くんっていうんですね。話は先生から聞いてます。とても優しい子だって。確かにそんな感じがします。」
「そ、そうかな?」
『そうかなってなんだよっ!』
情けない自分に思わずツッコミを入れてしまう。
「…仲良く出来そうで良かったです。にしても顔見知りが激しいレイナが会話をしているだなんて。永く生きていれば珍しいものが見れるものですね。」
「もう子供じゃないんですから、このぐらいはフツーです。」
「…ふふ、偉いですよ。」
少し嬉しそうに小さく笑みを零すLeəЯに対して、少女は満更でもなさそうな表情を浮かべた。
『美少女と化け物の組み合わせって本当にあるんだなぁ。』
だなんてくだらないことを考えていると、少年は遂に衝撃的な瞬間を目撃してしまった。
ガッツポーズだ。
目の前の少女が今確かに腰の横で小さくガッツポーズをしていた。あれは明らかにLeəЯから褒められたことによるものだろう。
少年は確信した。
『うん、この子はLeəЯの事がとてつもなく大好きなんだろうなぁ。』と。
そして、LeəЯと少女が会話している様子をしばらく眺めていると、ふと思い出したかのように此方へとLeəЯが次のように続けた。
「…そういえば律さん、これからはこのレイナが貴方の師匠です。」
「はぁ?!ウソだろっ?!いくらなんでもそんな急なことないよね?!」
「先生が仰るのだから間違い有りません。」
「あ、うん、え?そうなの…?」
相変わらず突拍子のないことを言ってくるLeəЯに対して思わずその場で立ち上がり、反論を述べようと試みる。が、いつもと違い、この場に全肯定少女が追加されたことによってその思惑は阻止されてしまう。そのせいでLeəЯは止まることなく語り続ける。
「…律さんのようにド派手な技が撃てる訳ではありませんが、彼女も貴方と同じく能力者です。ですので遠慮する必要はありませんよ。」
「いやっ、あの、手加減とか遠慮とかの問題じゃなくて…。」
「先生が仰られるのだから遠慮は要らないのです。」
言いたいことは山ほどあるのに一向に質問をするタイミングが訪れることはなく、話が物凄い速度でややこしい方向へと転がってゆく。何度も反論をしようと試みるも、LeəЯの言うこと全てに肯定の一言をキメ顔で返してくる少女に必ずといっていいほど阻まれてしまう。
『てかなんだよそのキメ顔。キリッ、ないんだよ。そのキメ顔のせいで言いたいこと言えないんだよ!』
頭を悩ましている間にも話は進み続けており、もちろんツッコミどころが満載過ぎて内容なんかなにひとつとして入ってくる訳もなく。
「…ということで、後はよろしくお願いします。」
「っ?!ちょ、ちょっと待ってって!なにがよろしく?!もうちょっと話し合って決めた方がいいって!」
スッキリした様子でこの場を後にしようとするLeəЯに対して、少年は反射的に腕を掴んで引き留めようとする。
しかし、次の瞬間。
少年の体は宙に浮いていた。
ほんの一瞬の出来事であった。何が起こったのかはすぐに理解出来た。LeəЯの横に佇んでいた少女に投げ飛ばされたのだ。
その証拠にLeəЯの腕を握ろうとしたはずの少年の手は、少女によってしっかりと手の甲を押さえ付けられていた。
そして、床に叩きつけられた痛みで冷静さを取り戻した頃には、LeəЯの姿は何処にもなかった。
にしても人間というものはこんなにも早く消えることが出来ただろうか。そんな疑問が頭を過ぎり、LeəЯへの謎はまた深まるばかりであった。
それはそうと、目の前に佇む少女は少年に向かってムスッとした表情を浮かべていた。何故だかそれは可愛らしくも底知れぬ威圧感のあるものであった。
「先生がよろしくと仰られたのだから、私がこれから師匠です。分かりましたか?」
「……あはは、なるほどねぇ…。」
淡々と全肯定する少女に視線をやりながら、少年は多分この少女が現れる前に見せたあの苦笑いの意味をこれから嫌でも知ることになるのだろう。そんな予感を少年は感じ取っていた。
しかし、あのLeəЯが言うのだから信頼の出来る者であるいう点においては間違いないのだろう。多分。
もう信じるしかない。でなければ次LeəЯに会った時に思いっきり愚痴ってやる。
そう思うことでなんとか少年はこのどうしようも無い苛立ちを抑え込んでいた。
「それでは、改めてよろしくお願いします。清林くん。」
そう言った後に、少女は悩みの全てがどうでも良くなりそうなほどの可愛らしい笑顔を浮かべた。
実際、この一瞬で心に巣食っていた苛立ちはどこかへと消えてしまっていた。ここまで来ると、もはやこれ自体が彼女の能力何じゃないだろうかと感じられるほどのものであった。
「返事が聞こえないのですが、これは拒絶された。そう捉えればよろしいのでしょうか?」
「あぁ、違う違う!こちらこそよろしくお願いします!」
慌てて返事をする少年に向かって、可笑しそうに少女は再び笑みを浮かべた。
「さて、それでは一旦病院の外に出ましょうか。」
「あ、はぃ、え?外?」
何故こうまでしてこの師弟共々突拍子も無いことを言うんだ。なんて思いながらも黙って着いてゆくと、LeəЯの小さな病院から少し離れたところでピタッ、と少女の足が止まる。
そして、此方へ振り返ったと思えば、徐ろに身体を半身に構えながら腰辺りに手を少し前に出し、鋭い眼差しで少年の目と見合わせた。
「…え?どうしたの?」
相変わらず突拍子も無い行動の数々に思わずキョトンとした表情を浮かべてしまう。しかし、そんな察しの悪い弟子に対して少女は冷たい表情で一言、こう言い放った。
「稽古の時間です。」
一方、同刻別所にて…。
「ヒィィイ!もうしねぇよォ。もうしねぇからよォ。許してくれよっ!」
四肢が伸びた状態で手と足に大きな杭を打たれ、大の字で壁に張り付けの状態になっている男が一人、その者の慟哭が暗い部屋の中で響き渡る。
「……貴方の犯した罪を悔いなさい。そして誇りなさい。その罪は今以て人類の糧と成るのですから。」
違う男の声が静かに部屋野中を谺する。それは全てを凍らせるような冷徹な声。そんな声の主が何度もやめろと喚き叫ぶ男の方へと近づいてゆく。
そして、泣き叫ぶ男の顔がとある者の細く長い五指覆い隠されたその瞬間、この部屋は完全なる静寂に包まれた。