No.6 憎悪
森の中に響き渡る木々の軋む音。そして、空気を揺るがすほどの灼熱がお互いの想いを突き通さんとぶつかり合う。
飛び散る火花、それらを包み込むように捻れ縮む空間。その激しさは収まることを知らず、勢い良く燃え広がる木々が全てを物語る。
「団子ッ!団子ッ!だんごぉぉぉ!!!」
不審な男が奇妙な言葉と共に腕を振り上げれば、それに連動するかのように空間が歪み捻れ、樹木は倒れ、地は抉れる。
しかし、狙っている対象に上手く標準が合わないのか、狙いの定まらぬ掌の向こうで数多の木々が捻じ倒れる。
その時の形相はまさに死に物狂いといったところで、その様子はまるで小屋の角に追い込まれた鶏のようである。
それに対して、その男の周りを何かが目にも留まらぬ速度で通り過ぎる。傍から見ればその何かは男の暴力から逃げてるようにも見えるだろう。しかし、その何かは次第に距離を詰めてゆく。ジリジリと、ゆっくりと、獲物を捕らえんとする肉食獣かのように。
そして、その正体が視界を過ぎり、それが人間であるという情報が男の脳へと伝わる頃には、片頬に激しい痛みが走り、視界は弧を描きながら回転していることだろう。
その後、連鎖するようにとても硬いものに衝突した感覚がもう片頬に襲い掛かる。男はそこでやっと自身が地面に叩きつけられたいうことを理解した。
「痛ぇよぉ…あぢぃよぉ…。」
「どぉして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ…。」
少年の拳によって焼き爛れた左頬、地面に引き摺られ擦り切れた顔の右半分。もはや原型を留めておらず、見るに堪えないものとなっていた。
「ごめんな。」
「俺さ、ここまで人のことぶん殴ったり甚振ったりしたらさ、少しは罪悪感を感じる人間だと思ってたんだ。」
「……でもよ、違ったみたいだ。」
ガチガチとぶつかり合う上下の歯が自身の感情を物語る。俺は今恐怖しているのだ。この自分の半分も生きてるかも分からないこの少年に。
募り募った感情はいずれ憎悪へと変換され、少年が居るであろう方向に向かって眉を歪ませ睨みつける。
「お前なんか大人しく団子になっちまえばいいんだ…!醜い醜い肉団子に…!」
哀れみすら感じさせるような男の抵抗に対して、少年はこちらはこちらで募り募った想いがあるのだと応えるように、辺りに立ち込める蒸気の中からいよいよ姿を現した。
「もう何言ってんだか分かんねぇよ。ったく、最後の最後までイラつく奴だなぁ。」
男が口を開けば開くほど抑え切れぬ怒りがフツフツと無限に沸き立ち続ける。
何か困ったように頭を掻き毟りながら顔を俯かせたかと思えば、それと共に少年の目尻から涙が溢れ出す。しかし、それらは流れる前に水蒸気となり虚空へと霧散する。
「俺の親友ぶっ殺しといてのうのうと生きてんじゃねぇよこのゲス野郎ッ!こちとらっ…!ッ。人の命舐めてんじゃねぇよクソがっ!」
少年の慟哭に応えるように紅みを増してゆく少年の拳。それに対抗せんと構えられる団子男の掌。
「ヒヒッ、やっと捉えた!動くんじゃねぇぞぉ。おめぇの身体ぶっ潰してやっからさぁ!」
「ほんっとにうるせェヤツだな!お前の声聞く度にどうにかなりそうで堪らないんだよッ!」
轟々と唸りながら紅に燃え盛る拳から溢れ出した熱気が空気すらも焦がしてゆく。その激しさたるや地獄の業火でも纏っているかのようであった。
睨み合う両雄はお互いに起こりを探り合う。そして、次に均衡を破ったのはまたしても少年の方であった。
拳を構えたかと思った次の瞬間、男の視界から少年は消え去った。
しかし、それを待っていたと言わんばかりに背後へ構えられる掌と共にその方向に合わせて捻じ潰れる虚空。
木々が捩じ切れ、ザカザカという音をたてながらこの場に横たわる。しかし、そこには少年の姿は見られない。
「コッチだよクソ野郎。」
右耳の方から少年の声が入ってくるのとほぼ同時に視界に捉えたものは、振り被られた真紅の拳と読みが外れたという残酷な現実であった。
そして次の瞬間、ボシュゥゥゥウ!!!という激しい音と共に熱気が辺りを包み込み、木々を揺らし地を焦がす。
こうなるのであればもっと沢山の人を団子にすれば良かった。こんな小僧に拘らずもっと違うところへ逃げればよかった。だが、全ては後の祭りである。何をどうしたってもう遅いのだ。
しかし、暫くしたあと男の頭上にひとつの疑問が生まれた。
それは終わりを告げる轟音が鳴り響たにも関わらず、何故今自分は思考することが出来ているのかというものであった。
それは単純明快、生きているからである。
では、何故あの一撃で死ぬはずであった自分は生きているのだろう。
答えは単純明快であるはずなのに、肝心なその過程の方がどうしても分からない。
どうしても気になった男は恐る恐る閉じていた瞼を開く。するとそこには顔面スレスレで停止した少年の燃え盛る拳の姿があった。
「ひぃぃぃぃ!っぶね!あひっ!」
泣き怯えながらその場で腰を突かせる男。それに加えて腰が抜けてしまったようで、脚がガタガタと震えてしまい立つことすらも出来ず、ただただ惨めにじたばたと手足を動かす。
「なんでだよっ!オカシイだろ!ずりぃぞ!殴らせろコノヤロウ!」
空気の壁に何度も何度も殴り掛かる様子を見るに、どうやら少年の慈悲によって助かったようではなさそうだ。
混乱が混乱を呼ぶような事態に思考が追いつかず、出来ることとすれば少年の殺気立った表情に怯えていることで精一杯であった。
「…律さん。もう十分です。」
どこからともなく声が聞こえてくる。落ち着きのある男性の声だ。
「…まさか、本当にこれほどまでの速度で完全な発言者になってしまわれるとは…。」
「…どれほど彼の心を掻き乱したのですか?連続殺人犯さん?」
男がその声の主に向かって視線を移せば、そこには2mは超えるであろう身長に、灰色の白衣を身に纏った謎の男が佇んでいた。それに加えてその大男の頭部は古めかしい包帯が満遍なく巻かれている。まるで見られたくないものを隠すようにだ。
あまりの情報力の多さに男の思考は完全に停止してしまい、ポカーンと口を開けたままその場で完全に動かなくなってしまった。
「レーアさんっ…!今ここで!ここで倒しておかなきゃダメだッ!コイツはッ!このクズはッ!」
「…律さん。貴方の気持ちは痛い程によく分かります。しかし、現実から目を背けてはなりません。」
「現実ってなんだよ!このクズを放っとくことのどこに現実的なことがあるって言うんだよ!」
返答しながらも絶え間なく見えない壁に向かって炎を纏った拳を振り翳す律の様子に、仕方ないといった風にLeəЯは深い溜息を吐いた。
「…今、そのまま続けていればこの罪人を殺していましたよ?」
「そ、それがどうしたんだよ!殺したってこんなやつ…」
「いい訳が無いでしょう。」
LeəЯにしては珍しい、いや、後にも先にも有り得ないであろう大きな声が森の中に響き渡る。
その声は怒りに満ち溢れていながらもどこか虚しさを感じさせるようなものであり、心の底から出たものであることが聞いて取れる。
「…すみません。取り乱しました。」
「…ですが、律さん、それは聞き捨てなりません。」
「…いいですか律さん、人に致命傷を与えることと死に至らしめること、そこには想像し得ない程の天と地の差が存在します。そんなこと貴方が一番理解出来ているはずです。」
「…現に貴方は逃げている。自分の言動を今一度思い返してください。心の底から本当に貴方は咎人ならば殺せるなどとお思いですか?」
そこでやっと拳は動きを止め、自身を呼び止める者へと視線を合わせた。
だが、少年の意思が曲がることはなく、未だにその眼は激しい憎悪を映し出していた。
しかし、そんな少年に対してLeəЯは徐ろに距離を詰めたかと思えば、そっと頭を撫でた。
すると少年の目がじんわりと潤み始め、仕舞いには決壊したダムの様に大量の涙が溢れ出す。
「じ…実際こんな奴死んでも構わねェだろ。だってよ。俺の…。俺の大切な友達を…。コイツ。それを。」
徐々に身体を纏っていた蒸気が消えてゆき、仕舞いには糸の切れた人形のように両膝が地に着いた。
この時点で彼の元に闘争心は残されていなかった。その両手に残されたのは果てしない虚無感と僅かばかりの憎しみの感情であった。
「…律さん、その全てを理解出来るとは言いません。ですが、私も伊達に長い年月を生きてきた訳ではありません。その痛みがどれほどのものか、そして、その先にしてはならない行動も充分に経験してきたつもりです。」
「…なのでどうか…。ここは矛を収めては貰えませんか。」
少年は静かに未だ強く握られていた手を解き、LeəЯの腕を力なく掴んだ。
「…善い判断です。」
「…あと……律さん、安心してください。」
「…この大罪人を放っておく気はさらさらありませんから。」