No.5 日常
騒動の後、LeəЯの指示の元下山し、少し歪み帯びた日常を取り戻すこととなった。
その日、帰りが遅くなったことに関して親には叱られてしまったが、特にそのあとは何も変わりなく一日を終えた。
しかし、寝る時にふと亡き友の顔が浮かんできた。
それと共に襲い来る友を失ったという喪失感、助けられなかったことによる無力感に潰されそうになった。
命を落とす瞬間は確認することは出来なかったが、LeəЯとの会話から推測するにはもう既にこの世には居ないのだろう。
あらゆる複雑な感情が混ざりあった結果、少年の頭上に浮かんできた言葉、それは日常とはなんだろう。であった。
LeəЯとの約束、能力に関しては使ってはならない上に考えてもいけない。そして毎日口莫山に足を運ばなくてはならない。それらを厳守しながらの生活、親にすら伝えられない程の隠し事の発生、一体これのどこに日常があるというのだろうか。
以前の自分であれば当てようのない苛立ちに頭を抱えてしまっていたことだろう。
しかし、今では不思議とそれがない。奇妙に思えるほどに怒り、苛立ちという感情が抜け落ちているのである。
これもLeəЯの仕業なのだろうか。この時の少年には頭を悩ませる素材があまりにも多過ぎた。
ここまで多いと寝てる暇すら無さそうに感じられるが、不思議なことにそれでも睡魔はいつも通りそっと瞼を包み込む。いつしか数ある考え事など差し置いて、気付けば深い眠りについていた。
「くだらんな。所詮小僧っ子一つの命だろう?何故そうまでして抱え込む?」
「うるさい!黙れ!お前達には分からないだろうな!人の命の大切さとか!自分の子供を救いたいって気持ちとかなぁ!」
二人の大人が言い合っている。一人は年老いた男の声。もう一人は比較的若い成人男性の声が聞こえてくる。
不思議なことに目の前が真っ暗で何も見えない。そして、それと共にどこからともなく尋常じゃない恐怖が襲いかかってくる。暗いというだけでここまで恐ろしさを感じるものだろうか。そう思えるほどの圧倒的恐怖がだ。
「いいから離せ馬鹿者。おぬしまで喰ってやろうか?」
「むしろ!むしろ俺でいいだろ!病気だってない!怪我だってないぞ!何故わざわざその子を連れてこうとするんだ!」
「煩い奴だ。離せと言っているだろう?」
「離すものか…!ここで離せば俺は二度とこの子の父親でなくなってしまう…!」
老人の力が強すぎるのか、それともその周りに取り巻きでもいるのだろうか、成人男性の引き摺られているような音が聞こえる。
その音は次第にこちらへと近づいて来ている。
しかし、何も見えない。怖い。恐い。こわい…。
「うわぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」
ひたすらに鳴り響く心臓の音、身体中から這い出てくる汗、焦点の定まらぬ瞳。この全てが自身の現状を物語っていた。
しかし、不思議なことにその原因は全くと言っていいほど分からない。理解出来たとしても悪い夢でも見た気がする程度である。
だとすればどんなに恐ろしい夢を見たのだろうか。気になりはするものの、全く思い出すことが出来ない。まるで頭の中に靄が掛かったかのように。
LeəЯと出会ってからというもの、寝る度に恐ろしい夢を見ている気がする。実際は全て記憶に残されていないため真相は定かでは無いものの、魘されて起きていることに変わりはない。
一体何が起こっているというのだろうか。
「りっちゃ〜ん!まだ寝坊助さんなの〜?」
ドアの向こうから聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。どうやら今見えているものは夢ではないらしい。
「あ、うん、今下降りるよ」
ベッド近くのデジタル時計を見てみると、そこには11:30と映し出されていた。いつもよりもかなり早めに寝たつもりであったが、どうやら思っていたよりも疲労が溜まっていたらしい。
パジャマから着替え、それなりに身嗜みを整えてからリビングに向かうと、母親の姿と綺麗に用意された昼食がそこにはあった。
もちろん変わったところは見られない。やはり今おかしいのは自分の精神状態と自分自身なのだろう。
母の作ってくれた料理を食べ終われば、いよいよ本題に差し掛かる。
「母さん、これから毎日友達と自由研究があってさ、夏休みの間毎日出掛けてもいいかな?」
「別にいいけど〜、誰と行くの〜?お母さんの知らない子?」
「いや、武だよ。いつも遊んでる奴だよ。」
「たけるくん?そんな子居たかしら〜?」
この瞬間、戦慄が走った。
母は武を知らない訳が無い。武は幼稚園から幼なじみで、何かと遊びに出るといったらコイツ以外有り得ない。それほどの仲であった。
そんな存在を母親が知らない訳もなく、寧ろ母親同士もかなり仲が良かったはずだ。知らないなんてことはまず有り得ない。
「いやいやいや、ンなわけないだろ。」
「武だよ!武!」
想いが溢れんばかりに、口調や声量も荒々しさを増してゆく。
「そんなこと言われてもぉ…。お母さん知らないってばぁ。最近出来たお友達なの〜?」
いよいよ言葉が詰まってしまった。
急に飛び出てきた車を目の前にすると咄嗟に動けなくなってしまうとよく聞くが、恐らく今まさにその状況なのだろう。
現に手足を全く動かすことが出来ない。まるで何かに縛られているかのように。
「…嘘…だろ…。」
絞り出して出た言葉はそれだけであった。
その瞬間、少年は家を飛び出していた。
何か母からの呼び掛けがあったような気もするが、それ等は一切少年の耳に入ってくることは無かった。
気付けば約束通り口莫山に足を運んでいた。
もう頭の中は大混乱、全て訳が分からない。
昨日の出来事だけでも実感が湧いてこないぐらい訳が分からないのに、武は。武は。
「良い顔だねぇ。」
聞いたことのある声が聞こえてくる。嫌な声だ。聞きたくもない最悪の声だ。
「お団子は…好きかい…?」
反射的に声のする方へ視線をやれば、友を殺した張本人がそこに姿を現した。
「おまっ…生きてたのかよっ…!」
「危うく死ぬところだったよ。」
「でも大丈夫…ボクの能力はお団子を作ることだから。」
「お団子…?もう何言ってんだかわっかんねぇよ!」
これまでの情報量の多さと、男の意味不明な言動の数々でいよいよ眠っていたはずの感情が蘇り始める。そして、フツフツと沸き立つようなこの感情は、少年の身を蝕むように焦がしてゆく。
「お団子…わかんない…?こういう事だよ…。」
バギャァ!
男が広げた掌を勢いよく閉じるのと同時に、少年の右隣にあった木の幹がいきなり捻じ曲がり悲鳴を上げる。
律がその様子に呆気に取られていると、男は続けて語り始めた。
「こうやってね…お団子にするんだ。ぜぇんぶ圧縮してさ…お団子を作るんだよ…。」
そう語り終えたところで、少年の足元に何かが転がってくる。そう、それは今まさに圧縮された木の幹が団子状に丸められたものであった。
それが目に入ってきた途端に少年の何かがプツン…と音を立てて崩れ去った。
「……そういうことかよ。」
男の話を聞いて少年の心は更に燃え上がった。確信してしまったのだ。友の死を。ここで。
親友はこの男に圧縮されて死んだ。それもコイツの言う通り肉団子になって死んだ。
それがどうしても許せなかった。
こんな異常者のために武は命を落としたのか?
こんな下衆のために今まで生きてきたってことか?
そう考えれば考えるほど赦せなかった。赦せるはずも無かった。
「丁度良かった…昨日から現実味ってものがなくってさぁ。実感のあるものを探してたんだよ。」
「お前をここでコテンパンにやっつけりゃ実感が湧くってもんだよなぁ!」
大きく見開かれた目に、食いしばられた上下の歯の隙間から溢れ出す蒸気。そして、身体中から溢れ出す蒸気が霧と成り少年の身を覆い隠してゆく。
そんな少年の様子を目の当たりにして男の表情は強ばり、頬には嫌な汗が滲み滴る。
「やっぱりだ…!やっぱりこいつは俺と同類なんだ…!」
「お前こそお団子になるためにいるんだ…!」
何故か嬉々として叫び散らかす異常者を目の前に、少年の冷静さに変化は無かった。
身体中に駆け巡る焼けるような激痛が、心の乱れを許さなかったのだ。
「いつまでも意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ…!」
「お前のためにこの場で肉団子になれだって?」
「答えはNOに決まってんだろうがッ!」
男への返答と共に身体中から勢いよく溢れ出す過熱蒸気。その熱量は少年の立つ地面を焦がすほどのものであり、辺りに立ち込める蒸気は完全に少年の身体を覆い隠し、いよいよ影のみの存在へと変えさせた。
刹那、少年の影すらも男の視界から完全に消え去った。
驚きを隠せず辺りを必死に見渡す団子男。しかし、変わらず少年の姿はどこにも無い。
「何処だァッ!どこいった小僧ッ!逃げるなんて卑怯だ…」
そこまで言い掛けたところで男の背中に訪れる激痛。それと共に身体が大きく前に吹き飛び、前方に構えていた大木に身体を激しく打ち付ける。
「グベェッ…!痛ぇ……痛ぇよぉ…アイツ蹴りやがったァ…。」
いよいよ団子男はしゃくり上げながらべそをかき始める。しかし、その目は依然として正体も見えぬ少年へと向けられていた。
「不思議なもんだよな…。友達が殺されたってのにさ…。お前をやっつけたって何にもならないって分かってんのにさぁ。」
蒸気のカーテンに身を隠し、一切姿の見えぬ少年の声が霧の中から乱反射して聞こえてくる。もはや場所を特定することすら不可能だろう。
そして、その声は猛り震えており、如何に少年の意志と感情が強いものかを物語っていた。
ここでやっと男は察した。次は無いということに。
「こんなところで死ぬなんで嫌だァ!もっともっとお団子を作るんだ!みんなお団子になっちゃえば!幸せなんだから!いいだろ!みんなをお団子に…」
語り終える前にまたしても制裁が下る。次は頬を焼き溶かすかのような灼熱の鉄拳が叩き付けられる。
それ共に頭部から地面に激突すると、余った勢いでそのまま何メートルか地面に引き摺られ、殴られてない方の頬が擦り傷で埋め尽くされる。
あまりの激痛に森中に響き渡るほどの悲痛な叫びを上げるものの、次に男に耳に入ってきたものはその叫びすらも静寂へと豹変させるものであった。
「ごめんな。」
その一言だけで、一人の少年から出たとは思えないほどの殺気が男の身体を突き刺した。そして、男の身体は恐怖のあまり実際に凍りついてしまっていた。
この瞬間、男は人生で初めて確実な死を感じ取った。