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35.交響曲第9番「新世界より」第2楽章(ドボルザーク)

 今日は体調が悪い。

 いつもの事だけれど、今回は貧血がきつい。

 朱音はクラスメイトに連れられて保健室で休むことになった。

 薬を飲んでベッドに横になり、やがて眠りに落ちた。


ーー


(今回も名前を呼ばれなかった……)

 朱音はコンクールメンバーを決めるオーディションに落ちた。

 しばらく何も考えられなかったが、個人練習になってクラを吹いているとホロホロと涙がでて止まらなくなり、慌てて教室を出た。

 人気のない階段の陰で泣いた。

(あんなに練習したのに)

 涙が止まらない。

 オーディションに向けて頑張った日々が走馬灯の様に思い出される。

 朱音は一人むせび泣き続けた。


 その日はどうやって家に帰ったのか記憶がない。

(どうしよう。もう二年生なのに。あと一回しかチャンスがなくなっちゃった)

 朱音の高校は吹奏楽の名門女子高である。

 二年生でオーディションに落ちたのは朱音一人ではない。

 そもそもオーディションに通る人の方が少ないのだ。

 それはわかっている。

(何が足りなかったのだろう)

(オーディションでミスはなかったはず。落ちた理由がわからない)

 理由がわからなければ次回の合格がが見えてこない。

 去年のオーディションに落ちてから朱音なりに自分に足りないと思うことをクリアすべく一生懸命に練習した。

 それでも落ちた。

 朱音は真っ暗な暗闇の中でもがいている。

 絶望で泣けてくる。

(私には高望みだった。この吹奏楽部の代表としてコンクールに出ることが)

 悔しい。

 涙が次々溢れ出る。


 日々家に帰っては涙を流す日々は続いた。

 オーディションに落ちると、合格メンバ以外は個人練習が多くなる。

 否が応でも落選したことを思い知らされる日々。

(もうやめようか)

 何度考えたことだろう。

 悩みながら練習に参加していた。


 コンクール地区予選の一週間ほど前、今年卒業した先輩たちが差し入れを持って来てくれた。

「先輩、お元気そうでなによりです」

「そうね、楽しくやってるわ。男子も居るし」

 その先輩はにっこりと微笑えんだ。

 少しあか抜けた感じがした。

「でも、あなたオーディションに落ちたのね。あなたは通るだろうと思っていたのに」

「ありがとうございます。自分でも残念です。落ちた理由もわからなくて……」

 朱音は涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。

「ねえ、もし良かったらだけど」

「はい」

「うちの大学のトレーナにレッスン受けてみない?」

「レッスン、ですか?」

「そう」

「あなたが一生懸命練習していたの知っているし。何かをつかむきっかけになるかもよ」


 朱音は父親にレッスンの話をした。

 もうこれ以上は自分ではどうにもできないと思っていることも伝えた。

 反対されるだろうと思っていたが、すんなり賛成してくれた。

「良かったわね、朱音」

「こんなにすんなりいくなんて思ってなかった」

「あなた、最近様子がおかしかったから」

「え?」

「お父さんとも話していたのよ」

「やっぱりオーディションに落ちたのがショックだったんでしょう?」

 表に出さないように、泣くのは部屋で一人きりになってからにしていたのに。

「お母さん」

「なあに」

「ありがとう」

「ふふ。お父さんの方がよっぽど心配してたのよ。頑張りなさいね」

「うん」

            ◆


「とりあえず音を聞かせてもらっていいかな」

 朱音の準備が整うのを見計らって先生は言った。

「はい」

 朱音はオーディションの課題の部分を吹いてみた。

「うん。悪くないね。ミスもないし、フレーズの感じも良いと思う」

「先生、でも」

「そうだね。ちょっと音が細いというか、そういう感じがする」

「おそらくだけども、あなたの学校くらいの名門だからコンクールも全国を目指すのだろうから」

「……」

「音のダイナミクスという点がちょっと物足りないかな」

 考えていないわけではない。

 自分なりにつけているつもりだが。

「見ていて、息の支えがうまくできていないというか、息が少し浅く感じる」

「息の支え……」

 盲点だった。

「どうだろう。音の改善に取り組んでみては」

「是非、よろしくお願いします」


 翌日から朱音は呼吸の練習とロングトーンの練習を増やした。

 呼吸は横隔膜が体のどこにあるのかを意識して、それが上下することで呼吸が成立するという当たり前のことを意識する。

 呼吸の空気は肺にしか入らない。

 肺の中にたくさんの空気を取り込もうとすると横隔膜が内臓を圧迫して骨のないお腹がよく膨らむ。

 吐くときは楽器に圧のある息を流し込むことを意識する。

 楽器の中を自分の息で満たしてしまう様に。


 一か月ほど経った頃のことだった。

 朱音が一人で練習していると声を掛けられた。

「朱音だったんだ」

「ん?」

「誰の音かと思って覗いてみたら朱音が吹いてた。すごい音が変わったね」

「そお?」

「あんまりいい音だから、全然別人が吹いてると思った」

「い、いや、私だから」

「そうみたいだね。じゃあね」

 コンクール出場メンバの彼女は、朱音を一度じっと見た後立ち去った。

(何だったのかしら)


 朱音はレッスンの時にこの一件を先生に話した。

「僕もそれは感じていたよ、音が変わって来たなということは」

「そうなんですか」

「うん」

「よかった。成果が出てきたんですね」

「本当にいい音になって来た。息の支えができると音の質が良くなるんだ」

「音の質が」

「よくなったよ。もう少し続けてみようか」


 朱音はそうして翌年のオーディションに合格し、その年は全国大会出場を決めた。


ーー

 

 目が覚めると、秋良が朱音のベッドの横の椅子に座って朱音を覗き込んでいた。

「大丈夫?」

「うん。だいぶ良いみたい」

 朱音はほっとしたのと、嬉しいやらで笑顔になった。

「そっか、良かった。起きれそう?」

「うん」

 秋良に手を貸されて朱音は起き上がった。

「すっきりした。でもどうして?」

「君のクラスメイトが教えてくれた」

「そう」

「帰ろうか」

「練習はどうするの?」

「定演終わったし、休んでいいでしょ」

「そっか」

「じゃあ帰ろう」

 秋良と朱音は家路についた。

 手をつないで歩く二人のオレンジ色の空には無線放送のスピーカーから「家路」が流れていた。


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