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29.愛の悲しみ(クライスラー)

2024年最後の更新になると思います。

皆さんよいお年をお迎えください。

「ここにしよう」

 秋良は車を砂利舗装の駐車場に止めた。


 古ぼけた建物の食堂に年季の入った暖簾が掛かっている。


 秋良と朱音は今日はドライブに出かけたのだが、SNSのナビに従って走っていると山道に入ってしまい、すっかり昼食を食べ損ねてしまった。

 そうしてやっと現れた食堂。

 決しておしゃれでも、きれいでもない。というか古ぼけている。

 しかし、もう2時に近い。

 空腹も限界に近かった。


「ごめん。ここでいいかな」

「もちろんよ」

「きれいなお店がよかったよね」

「だいじょうぶ」


 秋良と朱音は暖簾をくぐって店に入った。

 中には、常連と思しき男性が一人テーブル席で食事を終えて一息ついていた。

 壁には手書きの縦書きメニューが貼ってある。

 縦長の赤い縁取りがされた紙に、かわいい字で料理が書いてある。

 女性が来ることは全く考慮されていないガテン系のメニューが並んでいた。

 建物とは違い、そのメニューは新しく、ごく最近作られたものの様だった。


 二人で眺めていると、割烹着を着たかわいいおばあさんが現れた。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは。あの、早く出てくる料理はどれですか。たとえば、とんかつ定食はどれくらいでできますか」

「とんかつは、時間がかかります……。一人になってしまったもので」

 おばあさんはささやくように言った。

 秋良と朱音は顔を見合わせた。

「この、ホルモン定食はどうでしょうか」

 秋良が尋ねる。

「とんかつよりは早いです」

「じゃあ。それを2つお願いします」

「分かりました」

 おばあさんはそう言うと、奥の厨房へ戻って行った。

 秋良と朱音は、空いているテーブルに座った。


 どうやら前のお客が帰ってからテーブルが拭かれておらず、点々とスープのようなものがテーブル全体についている。

 秋良は周りを見渡して、ティッシュを見つけて数枚抜き取ってテーブルを拭いた。

 朱音はそれを見て、奥の厨房に行きおばあさんに布巾を借りて来てテーブルをきれいにした。

 それから、周りを見渡して座敷席のテーブルも拭き始めた。

 一通り拭き終わると、布巾を返し、秋良の前に座った。


 目の前のテーブルもなかなか使い込まれている。

 数年ではなく、数十年単位であろうことは秋良にも分かった。

 おそらくこのテーブルの方が秋良よりはるかに年上で、このお店と同い年だろう。


 お冷がないことにふと気が付いて、秋良は水を取りに行った。

 冷水器の横にあるコップは、最近は見かけないサイダーのマークの入ったコップだった。

 足元は土間で、蛍光灯はついているが、薄暗い。

 外から見ると中が暗いので、営業していないように見えたが、暖簾が出ていたので入ってみたのだ。


「こういう所って、私、絶対一人で入れなかった」

「ごめん。こんなことになって」

「ううん。違うの、わくわくしてるの。秋良と一緒じゃないとこのお店に来られてないもの」

 朱音は楽しそうに店内を見まわしている。


 厨房からはいい匂いが漂い始めた。

「すっごくいいにおいがするね」

 秋良が言うと、

「うん。きっとおいしいと思う」


 そのうちにおばあさんが、出来上がったホルモン定食を運んできた。

 朱音はすかさず立ち上がると、もう一人分の定食を運んできた。

「あ。すみません。ありがとう」

 おばあさんは恐縮していたが、朱音はにっこりと微笑むと

「気にされないでください」

 と言った。


 出てきた料理は思っていたものとは違っていた。

 もっとこってりしたものかと思っていたが、全然違っていた。

 ポークチャップのホルモンバージョンのような料理だった。

 味は、バランスよく、上品だった。

 ケチャップは入っているのだが、ケチャップ味ではなかった。

 調味料のひとつとして使われている。

「おいしい!」

 秋良は思わず声を出した。

「うんうん」

 朱音もうなずいている。


「みそ汁もすごくおいしい。箸が止まらなくなる」

 二人は空腹だった事もあり、すぐに食べ終わった。

 秋良は二人分のトレイを一つにまとめて厨房に向かい、支払いを済ませた。

「ご馳走様でした。すごく美味しかったです」

「片づけまでお手伝いいただいてすみません。ありがとうございました」 

 おばあさんはぺこりと頭を下げた。


「美味しかったね」

 車に乗り込んで朱音が話し始めた。

「うん。すごく美味しかった。びっくりだね。もっと濃いつけかと思ったら上品だったから」


「おじいちゃん、いなくなっちゃったんだね」

「そうみたいだね。おばあちゃん、結構歳だった」

「それでも頑張って一人でお店を続けてるんだね」

「壁のメニュー。新しかったし、字が女性的でかわいらしかったから、おばあちゃんが書いたのかな」

「今日食べた料理ね、私に出せる味じゃないわ。きっと何十年も旦那さんと二人で工夫して作って来たんだと思う」

「だから、お店を無くしたくなくて、一人で続けてるんだと思うの」


 あのお店はご夫婦の愛の姿そのものなのだ。

 決しておしゃれで、きれいで、豪華ではない。

 しかし、地味ではあるが誠実で愛に満ちた料理が提供される。

 今、おばあさんは愛する人を亡くした悲しみに暮れている。

 でも、前を向いて、悲しくても、一人でお店を続けている。

 愛するが故に。


 私も肉体を持って生きている以上、いつか秋良とお別れを迎えるだろう。

 そのとき、私もおばあさんの様に愛の悲しみを味わえるだろうか。

 秋良も、愛の悲しみを味わうだろうか。

 二人で過ごした日々を糧に前を向けるだろうか。


 朱音は車を運転する秋良を助手席から見つめた。

 秋良と出会うまでは、こんなこと考えもしなかった。

 あのおばあさんと出会わなければ。


 私たちが歳をとってお別れの時が来た時、あなたを失ったら、私は悲しみのどん底に落ちるでしょう。

 きっと私を失ったとき、あなたもそうなるのでしょう。

 そして、それは、とてもとても悲しくて辛い事でしょう。

 でも、それはきっととても幸せな事でもある。

 失ってしまうと悲しみのどん底に落ちてしまう人と出会えたということなのだから。

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