赤ずきんちゃんの謹慎
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
十一月にもなると、新鮮だった高校生活も当たり前になってくる。なにも考えずに知らない人ばかりの高校に入学してしまい少し不安だったけれど、友だちもできた。
「おはよう」
「おはよう。そのパーカー初めて見る」
朝の教室で、学生服の下にシャツの代わりに落ち着いた赤色のパーカーを着て登校してきた江本を見て言う。
「初めてのバイト代で買ったんだよ。いいだろ」
俺の言葉ににっこりと反応して、江本が自慢げにお気に入りらしいブランド名を口にした。
「うん、かっこいい」
俺は頷く。この高校の校風は比較的自由で、制服があるものの、スラックスやスカートさえ規定のものを着用していれば他の服装についてはなにも言われない。
「大上も、こういうの着たらいいのに」
「俺は、根がダサいから着こなす自信がない」
俺は、規定の制服をそのまま一式着用していた。これがいちばん楽だし、せっかく買ってもらったのだから着ないともったいないという気持ちもある。
「根がダサいってなんだよ」
俺の言葉に江本が笑う。
「そもそも、シャツよりパーカー着てたほうがあったかいんだよな」
江本の言葉に、
「確かに、それは魅力的だ」
俺は頷いた。瞬間、チャイムが鳴り、江本は自分の席に戻っていった。先生が教室に入ってくる。
「起立」
俺の号令で、みんなが立ち上がる。クラス委員長なのだ。決して人望や人気があったわけではなく、くじ引きによる公平な選出だ。
放課後、各クラスの委員長が集まって、生徒会からの連絡事項を確認する会議が行われた。それが終わるころには、空はすっかりオレンジ色に染まっており、部活動で残っていた生徒もほとんど帰ってしまっていた。
さっさと帰ろうと、足早に教室に戻る。いっしょに会議に出席していた女子委員長の吉田さんは、鞄を持参しており、会議が終わると急いで帰ってしまった。塾の日だったらしい。俺のほうは急ぐ用事はべつにないけれど、自分も鞄を持ってきていればすぐに帰れたな、などと思いながら、教室の扉を開ける。
自分が最後だと思っていた教室の窓際に、赤いフードをかぶった後姿があった。江本だ、と思う。もしかして待っていてくれたのだろうか。
「そうしてると、赤ずきんちゃんみたいだよ」
後ろから声をかけ、振り返ったその人物を見て俺は固まってしまった。人ちがいだ。江本じゃない。振り返ったその人物は、紅林了だった。紅林は、いわゆるイケメンと言われるような整った顔立ちをしており、性格も明るく、クラス内でも目立つほうのグループにいる。地味な俺とはタイプがちがいすぎて、同じクラスではあるものの、なにか用事がない限りほとんど話すことはない。そういえば、紅林も今日は赤いパーカーを着用していたような気がする。怒られるかもしれない、という不安が脳をよぎる。べつに怒られるようなことではないのだが、紅林のチャラチャラした感じの雰囲気を、俺が勝手に怖がっているだけだ。
「そっか、赤ずきんちゃんか」
紅林はそう言って、少し情けないような表情で笑っただけだった。
「じゃあ、委員長はオオカミくんってこと?」
唐突に紅林がそんなことを言う。
「え、うん」
名前を呼ばれたのだと思い頷いたのだが、
「そういえば委員長って、名前なんだっけ」
続けてそう言われ、名前を呼ばれたわけではなかったのだと気づく。赤ずきんちゃんと狼というペアを連想した冗談だったらしい。
「ごめん。いつも委員長って呼んでるから、ど忘れしてるわ」
「大上和希」
「まじか。本当にオオカミくんなんだ」
紅林は楽しそうに呟いて、「ねえ、メッセージ交換しよ」とスマートフォンをこちらに差し出してきた。断る理由もないので、俺は素直に連絡先を交換した。
それ以来、紅林から話しかけられることが増えた。おはよう、バイバイ、のあいさつは当たり前で、ちょっとした瞬間に、「なんの話?」と俺と江本との会話にぬるっと入ってきたり、「なに食べてんの?」と俺が休憩時間にこっそり食べていたミントタブレットを数粒、「ちょうだい」と言って奪って行ったりもする。急に距離を詰められて、俺は戸惑っていた。しかし、いじられているという感じでもなく、普通にクラスメイトとして仲良くしようとしてくれている感じがしたので、俺の戸惑いはすぐに消滅した。
メッセージもほぼ毎日やりとりをしており、好きな音楽やおすすめの動画なんかの他愛のない話をこまごまとしている。紅林のおすすめ動画は、猫がメインのものが多く、紅林の家にも猫がいるらしい。さらには、その猫と紅林の自撮り写真がやたらと送られてくる。そのたびに、俺は猫をかわいいと褒めるのだ。実際、猫もかわいいのだが、正直、紅林もかわいい。紅林はもともとかっこいい顔立ちをしているので、「かわいい」と表現するのはどうかと思うのだが、毎日送られてくる無邪気に猫に愛情を注いでいる紅林の笑顔を見ているうちに、そんな妙な感情を抱いてしまうようになった。
そして、あの日以来、紅林は赤いパーカーしか着てこなくなった。以前は白やグレーのパーカーを着用していることが多かったように思うのに、不思議だ。まさかとは思うが、俺の発した「赤ずきんちゃんみたい」というベタな軽口を気に入ってしまったのだろうか。
「あの赤いパーカー、最近着てないじゃん」
ある日の朝の教室で、江本にそう言うと、
「赤がすっかり紅林のトレードマークになっちゃったから、なんか着にくくなっちゃって」
そんな返事があった。江本は今日はグレーのパーカーを着ている。
「気にせず着たらいいのに。あのパーカーよかったよ」
「でも、なんか言われないかな」
「なにも言われないよ。紅林はそんな変な言いがかりつけてくるようなやつじゃないって」
「すっかり仲良くなっちゃってさ」
江本はからかうように笑った。不思議なことに、江本のその言葉に俺の顔は熱くなる。
「おはよう、オオカミくんたち」
紅林が登校してきて、なんとなくその雰囲気はうやむやになった。
紅林自身は変な言いがかりをつけるようなやつではないが、変な言いがかりをつけられやすいタイプだった。チャラチャラした外見で顔もいい。明るく気さくなので女子にも人気が高い。つまり、逆恨みされやすいのだ。そのことに気づいたのは、昼休憩の終わりに、午後からの授業のため、江本といっしょに別棟の化学室へ向かっていたときだ。
渡り廊下を移動中、中庭のツツジの垣根に赤いパーカーが見え隠れしていた。ああ、紅林だ、と思い、そちらをうかがうとどうも様子がおかしい。上級生らしき男子生徒が数人いて、険しい表情で紅林の肩を小突いていた。
「あれって紅林?」
俺の様子で、中庭に気づいた江本が言う。頷く前に、俺は上履きのまま中庭に飛び出していた。とはいえ、ここからどうすればいいのかわからない。俺は紅林に駆け寄り、腕を掴む。
「紅林、行こう。授業始まるよ」
「あっち行ってて。危ないから」
紅林は驚いたように俺を見て、それから困ったように俺の手を腕から離してそう言った。
「でも……」
きっと俺が邪魔だったのだろう、そのとき、上級生のひとりが俺を無言で突き飛ばした。当然、俺は後ろに倒れ、コンクリートのベンチに後頭部をかするようにぶつけてしまった。
「オオカミくん!」
叫んだ紅林が俺の横にしゃがみ、頭を手で支えるようにして抱き起こしてくれる。
「オオカミくん、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
かすったところは痛いけれど、めまいもないし、意識もしっかりしている。俺は、紅林の手を借りて立ち上がる。
「よかった」
紅林は言い、そして、自分の掌を見てぎょっとしたような表情を浮かべた。
「血」
紅林は、ぽつりとそう言った。俺の血だ。たぶん、さっき頭をかすったときに怪我をしたのだろう。その瞬間、紅林が拳を握って上級生に向かって行こうとした。
「うわ、だめだめだめだめ、だめ!」
俺は後ろから紅林の胴に抱きついて必死に止める。けれど、やっぱり力では敵わなくて、容易に振りほどかれてしまった。紅林が、俺を突き飛ばした上級生を殴り、その後、あっさり殴り返されてその場に倒れた。駆け寄ろうとしたそのとき、誰かが呼んでくれたのだろう、体育の先生が上級生を身体ごと止めてくれた。
「いちばん強そうな先生を呼んできたんだけど」
俺のそばに静かに寄ってきて、江本が言った。
「ありがとう。助かった」
俺は言い、結局、自分が出しゃばったせいで事が大きくなってしまったことに胸が痛む。自惚れかもしれないが、俺が突き飛ばされたせいで紅林がキレた。俺がいなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
俺と紅林は、職員室に呼ばれ、上級生とは別々に話を聞かれた。
結局、どういうことだったのかというと、あの上級生たちのなかのひとりの彼女が紅林のことを好きになってしまい、それを逆恨みして紅林に生意気だとかなんとか言って絡んできていたらしい。上級生が正直にそう言ったわけではなく、紅林が上級生に言われたことと上級生の周囲の証言を併せてわかったことだ。
結局、紅林は自宅謹慎三日間の指導を受け、上級生たちは停学ということになった。上級生の処分が重いのは、彼らの素行が普段から悪く、あのときも隠れて煙草を吸っていたことが重ねて発覚したためらしい。
紅林の謹慎初日の放課後、紅林の家に授業のノートのコピーなどを持って行くことにする。当事者だからとかクラス委員長だからというわけではなく、単純にそうしたかったので、先生にお願いしたのだ。紅林の様子を確認したかった。もしかしたら落ち込んでいるかもしれない。紅林に、放課後、家に行くことをメッセージで伝えると、「わーい」と猫がハートを飛ばしているスタンプが返ってきた。思ったより元気そうだ。
「紅林くんの家なら、わたしも行く」
偶然、職員室に居合わせた女子のクラス委員長の吉田さんも行きたがったので、「じゃあ、いっしょに行こうか」と、ふたりで先生から聞いた住所とスマートフォンの地図を頼りに紅林家を目指す。ちょっとゲームみたいでわくわくする。
「大上くん、紅林くんを庇って頭に怪我したって本当?」
吉田さんがそんなことを尋ねてきた。俺の後頭部の傷は本当にたいしたことはなく、昨日シャンプーがしみたくらいで、すぐにカサブタができて塞がるだろう。
「ちがうよ。ただ単に突き飛ばされただけ。傷だってほんのかすり傷だし、話が大きくなってる」
「でも、それって紅林くんを助けに行ったからでしょ? 江本くんが言ってたよ」
「江本がそんなことを」
俺は複雑な気持ちで吉田さんの話を聞く。
「なんかそういうの、いいなあ」
吉田さんはそう言って、にこにこしていた。
「お見舞い? おみやげ? お菓子かなにか買って行ったほうがいいんじゃない?」
吉田さんが言い、それもそうだと思い、ふたりでコンビニに寄る。
「これいいじゃん」
クリスマス用のちょっとおしゃれなお菓子セットを示して吉田さんが言う。なにを買ったらいいのかわからなかった俺は素直にそれに従う。吉田さんが半分出すと強く主張したので、ふたりで半分ずつ代金を支払った。
紅林の家に到着し、インターフォンを押すと、スピーカーから「はーい」という声と共に、バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、扉が開いたのと同時に紅林が俺に抱きついてきた。重力を感じながら、俺は紅林の身体を受け止める。
「待ってたよ、オオカミくん。退屈だった。会いたかった」
そう言った紅林は、やはり赤いパーカーを着ていた。
「あー……委員長たち、ふたりできてくれてたんだ?」
いま初めて吉田さんの存在に気づいたらしい紅林の声のトーンが気まずそうに落ちた。
「うん」
吉田さんは元気に頷いている。
「えっと、俺、オオカミくんひとりでくるもんだと思ってて、あの、うっかり……」
そう言いながら、紅林は俺からゆっくりと離れた。
「ごめん、大上くんはそのつもりだったんだけど、わたしが勝手についてきたの。紅林くん、思ったより元気そうなの確認できたし、もう帰るよ。心配してるクラスの子たちに、元気だったって報告したかったの」
吉田さんはそう言って、
「大上くんは、ゆっくりして行きなよ」
俺の肩にぽんと軽く手を置いて、まるで家主のようなことを言い、
「じゃあねー」
吉田さんは笑顔で手を振って帰って行った。それを見送って、
「あがって、あがって。いま俺ひとりだから、気を遣わなくていいよ」
紅林が俺を急かす。
「これ、お見舞い? おみやげ? 吉田さんが選んでくれて、ふたりで買った」
お菓子を渡すと、
「ありがとう。いっしょに食べよ」
紅林はそう言って、俺を二階の自分の部屋に通した。
「猫はどこにいるの?」
俺は無意識に紅林が送ってくる写真にいつも写っている猫を探していた。
「人見知りだから、リビングかキッチンに隠れてるんだと思う。お客さんがきたら、いつも隠れるんだ。知らない人が怖いみたい」
「そっか」
猫に会えなかったことを残念に思いながら、俺は頷く。無理矢理に会おうとしてもよくないだろう。
「吉田さんにも、お礼言っておいてね。俺、あと二日は学校行けないから。なんか追い返すみたいになっちゃって悪かったし」
一度部屋を出て、グレープジュースのペットボトルにトレイとコップを持って戻ってきた紅林が言う。
「うん、ちゃんと言っとくよ」
紅林の部屋には勉強用の机はあるが、テーブルのようなものはなかった。トレイを床に直に置き、その上にコップを並べた紅林がそこにグレープジュースを注ぐ様子を眺めながら、俺は口を開いた。
「ごめん。結局、俺のせいでこんなことになって」
「オオカミくんのせいじゃないし、俺は、あのときオオカミくんがきてくれてうれしかったよ」
お菓子とグレープジュースを、俺にすすめる仕草をしながら紅林が穏やかに言う。
「怖かったでしょ。俺も急に絡まれて、怖かったもん」
「うん。でも、あまりなにも考えずに飛び出しちゃったから……」
「頭の怪我は大丈夫?」
「うん、平気。全然たいしたことない」
「オオカミくんが怪我したと思ったら、頭に血がのぼっちゃってさ。なにも考えずに、手が出てた。自分があんなふうになるなんて思ってなくて、自分でもびっくりしたな。でも、あれは、やっぱりよくなかったんだよね。腹は立ったし、いまもムカつくけど。殴ったりとか向いてなかったな。殴られたら痛いし、殴るのも痛かった」
俺の頭のかすり傷とは反対に、紅林の唇は切れたり腫れたり、痛々しい。本当は、紅林が俺のために怒ってくれたことがうれしかった。だけど、紅林に暴力を振るってほしかったわけではなかったので、俺は言葉が見つからない。なので、黙って紅林の利き手を見ていた。
「今日も赤いパーカーだね」
「だって、俺は赤ずきんちゃんだから」
俺の空気を無視した発言に、紅林は少しうれしそうな表情をする。
「オオカミくんにそう言われたときから、俺は赤ずきんちゃんだから」
「それ、うれしいの?」
「俺が赤ずきんちゃんっていう前提で、オオカミくんがオオカミくんだったことがうれしかったんだよね」
紅林の言うことは、正直よくわからなかった。それを感じたのか、
「なんか、運命っぽいでしょ?」
紅林はそんな言葉をつけ加えた。
「俺の名前、覚えてなかったくせに」
「あのタイミングで、名前が判明したのが運命なんだってば」
そう力説する紅林の様子がかわいくて、俺はなんとも言えない気持ちになり、冷静になろうとジュースを一口飲んだ。この気持ちはなんだ。
「オオカミくんが怪我して、赤ずきんちゃんはオオカミくんのことが好きだって気づいたんだけど」
紅林は言う。
「オオカミくんも、赤ずきんちゃんのこと好きでしょ?」
「……うん、好きだ」
俺は少し間を置いて、だけど素直に頷いた。紅林をかわいいと思うこの気持ちは、きっとそういうことなのだ。紅林は、満足そうな笑みを浮かべ、
「おいで、オオカミくん。抱っこさせて」
まるで猫にでも言うように、紅林がこちらに手を差し出してきた。俺は素直に紅林ににじり寄り、身体をあずける。
「オオカミくん、赤ずきんちゃんのこと食べて。唇、切れたとこ舐めてほしい」
唐突に、突拍子もないことを言われた気がする。
「いいけど、しみない?」
驚きすぎて変な質問をしてしまった。
「うーん、してもらわないとわかんないな」
甘えるような紅林の言葉に、俺は紅林に顔を近づけ、その唇をおそるおそる舐める。
「やっぱ、ちょっと痛いな」
紅林はそう言って照れたように笑った。そして、今度は紅林が俺の唇を舐めるようにキスをしてきた。
「ねえ、謹慎中、毎日きてくれる? 明日も明後日も、こんなふうにイチャイチャしよ」
唇を離して、紅林が言う。
「それは、うん。紅林がいいならそうする」
もしかしたら、紅林の猫に顔を覚えてもらえるかもしれない。そうしたら、抱っこさせてもらえるかも。そんな思惑もよぎる。
「でも、謹慎中なのに、こんなことしていいのかな」
「それはそれ、これはこれ」
紅林は言い、
「だって、我慢できないもん」
今度は、もっと深く口づけられる。紅林の舌が俺の舌をやわやわと撫でるように動く。紅林の手が俺の腰に回り、妙にいやらしく動いた。ぞくぞくして、自然と身体がぶるっと震えてしまう。赤ずきんちゃんは、かわいいふりをして、オオカミを食べてしまうつもりだ。
「オオカミくんのこと、食べてもいい?」
甘ったるい声で紅林が言った。
「いいよ」
そんな恥ずかしい睦言を繰り返し、俺たちはもう一度、甘ったるいキスをする。
了
ありがとうございました。