オーガとある国のお話
レッドオーガは12年前に起こったモンスターピートで、下層から溢れ出たモンスターの大半を始末した後の記憶が無い。
全力を込めた一撃を放って気を失い、それから目を覚ますと樹洞の中にいた。
どうして樹洞の中にいるのかは分からないが、いつの間にか体の傷は癒えており、失った部位も元に戻っていた。
体の調子を確かめる為に暴れ回った。
目に付くモンスターを片っ端から殺して周り、空腹を満たすために口に運んでいく。
途中で捕まえた一角大猪が目を離した隙に川を泳いで逃げてしまったが、あの川に浸かったモンスターを食べる気になれず、そのまま見逃した。
腹もある程度膨れると、以前レッドオーガを追い出した群れに向かった。しかし、その群れはいつの間にか居なくなっていた。
モンスターピートがあったのだ、死んでしまっても仕方ないだろう。
ただ、可能なら己の手で八裂きにしたかった。
残念だ。
その程度の感情しか湧いてこない程度に、昔の仲間に対する興味は失っていた。
再び獲物を狩り食らっていると、同族のオーガを発見する。
初めて見る個体だ。
この一帯には、以前いた群れ以外は存在していなかったはずだ。
興味本位で後を付け、オーガの住まう群れを特定する。
そこには、自分の知らない多数のオーガが生存しており、コミュニティが形成されていた。
そして、その中の長と思われるオーガにレッドオーガは見覚えがあった。
顔に付いた無数の傷跡、さらに腹に大きな傷痕がある。
アレは己が付けたものだと、見た瞬間に確信する。
そのはずだが、知っている個体よりも大きく成長しており、歴戦の戦士が纏うような空気を醸し出していた。
不思議に思ったレッドオーガは、新たに作られたオーガの群れの前に姿を現す。
オーガ達は突然の来訪者に警戒して唸り声を上げるが、同族と分かると、この場から去るように警告する。
他所から来た同族は、敵となるモンスターよりも厄介だ。コミュニティの輪を乱し混乱を招くため、基本的にはどこの同族でも受け入れていない。
だというのに、警告を無視して近付くレッドオーガに、群れのオーガ達は殺気立つ。
周囲を囲まれてもなお余裕を崩さないレッドオーガに、豪を煮やしたオーガが襲い掛かる。
レッドオーガは手頃なオーガの頭部に拳を叩き込み粉砕する。襲って来るオーガの首を手刀で刎ね、切り離された頭部を持って喉を潤す。
その異様な行動に、他のオーガ達は後退る。
強い。
それは良く分かった。
だが、ある程度知能のあるモンスターは同族を殺す事を嫌う。この過酷な弱肉強食の世界で、種を存続させるにはその数が必要だからだ。
どこかのオーガのように、群れに不利益をもたらし、仲間に危害を加えるような者は粛清の対象となるが、基本的に同族殺しは望まれていない。
それを悠々としてやってのけたレッドオーガは、モンスターの中でも異質だった。
オーガ達はレッドオーガを取り囲んだまでは良かったが、瞬く間に仲間二体がやられて攻めあぐねていた。
もう、レッドオーガを同族とは思わない。
それでも、実力差を本能で感じてしまい手を出さないでいるのだ。
互いに睨み合いを続けていると、群れの長である傷ありのオーガが姿を現した。
長であるオーガはレッドオーガを見て酷く驚き、そして静かに構えた。
明確に敵だと認識しての行動だ。
長の動きに呼応するように、群れのオーガ達も再び殺気立ち、また数も増やしていく。計27体のオーガに囲まれたレッドオーガは、それでも余裕を崩すことはなく、血の気を失った肉に齧り付いていた。
負ける気はしない。
ただ、かつての憂さを晴らすだけだ。
そして、その通り戦いは一方的なものだった。
オーガは決して弱くはない。
強靭な肉体を持ち、脅威的な身体能力、回復力を保有しており、個体によっては特殊能力や魔法を使える個体がいる。
人間の大人が何人いようと、オーガの敵ではなく、中層に生息するモンスターの中でも、上位に位置付けされるモンスターだ。
そんなオーガも同族であるレッドオーガの動きに着いていけず、一撃でその命を奪われていく。
長であるオーガは少しばかり善戦したが、それでもレッドオーガの相手ではなかった。
「…グウ」
尸となったオーガを見下ろし考えを巡らす。
敵と呼ぶには弱かった。
それは最初から分かっていた。
だがと思い、顔見知りのオーガに視線を向ける。
以前より強くなっていた。
単に力が強くなったのではなく、戦いが巧みになっていた。それは一朝一夕で身につくようなものではなく、長年の経験による積み重ねで手に入るものだ。
モンスターピート発生からせいぜい数日しか経過してないと思っていたが、もしかすると凄く時が経っているのかもしれない。あのオーガの成長を体感すると、この考えは間違いないだろう。
レッドオーガ自身も、体の欠損が治っていたりと不思議な体験をしている。幾ら回復力に定評のあるオーガであっても、欠損部分を再生する事は出来ない。
こんな事があったのだ。
時間の経過くらい大したことではないな。
そう結論を出すと、また腹が減って来る。
今し方、肉へと成り果てたモノを口に運ぶ。
そうしていると、後方で何かの動物の気配を感じるが、構わずに食事を続ける。
襲って来ないなら見逃しても良い。
去って行く気配を感じる。
次の機会に狩ればいい、それだけだった。
そう思ったのだが、去って行く方向が森の外側に向いているのに気が付き、追って来てしまった。
魔の森に生息するモンスターは、森の外側よりも内側に向かおうとする。それは、そのモンスターが強ければ強いほどその傾向は強まる。
そして、レッドオーガを観察していた者はオーガと同等か更に強い個体だ。その個体がなぜ外を目指すのか気になってしまった。
一体一体の姿形は若干違うが、同種なのはなんとなく分かる。
言葉を交えて意思疎通を行い、後方を何度も確認しながら進んで行く。
途中で弱い蛇型のモンスターとの戦いを見た。
腰にあるいは背中に携えた武器を使用してモンスターを屠って行く。素早く、連携して、互いに補い合いモンスターを討伐する。
その様子は、個人の強さが物をいうオーガにとっては珍しいものだった。
可能ならもっと近くで見てみたかったが、これ以上近付けば、こちらの存在に気付かれる。気付かれれば否応なく戦闘になるだろう。それはそれで楽しそうだが、今は奴らが何処を目指しているのか知りたかった。
どうして知りたいのか、その理由はレッドオーガにも分からなかった。
何故か知る必要があると思ったのだ。
それから何度も気付かれそうになりながらも、尾行を続け、目的地に着いたのは三日後のことだった。
レッドオーガはその光景に驚き、暫し呆然とした。
人の営み、初めて見る文明。
壁の先にある光景は、森しか知らないレッドオーガに衝撃を与えた。
一番高い木の上から遠目に眺めているだけだが、それがモンスターでは作り出せない物であると理解してしまう。
幸か不幸かそれだけの知能をレッドオーガは持ち合わせていた。もしも他のモンスターと同じように、ただ襲うだけならば、それはそれで幸せだったかもしれない。
追跡していた4人が、砦に取り付けられた門を開いて中に入って行く。
門の前には小さいが水路が引かれており、憎い川から流れる水がモンスターの接近を妨げていた。
川の水は確かにモンスターを遠ざける効果を持っている。だが、ある程度知性を持ったモンスターには効果は薄い。
レッドオーガも本能が川から遠ざかろうと訴えかけて来るが、大したことはないと理性で無視出来るレベルだった。
だが、それでも村に近付こうとはしない。
村に強者の気配があり、これ以上の接近を躊躇させていた。
負ける気はないが、以前それで痛い目を見ている。
慎重に行動するべきだ。
それからレッドオーガによる村の観察が始まった。
最初はどれだけの戦力があるのか、どういう行動をしているのか見ていた。
観察を始めて2日目には、多くの人が壁の補強工事に取り掛かり、森側を強く警戒しているようだった。
数日が経過した頃、レッドオーガの心境に変化があった。
最初はあの村をどうやって襲って殺し尽くしてやろうと考えていたが、観察しているうちにあの村が欲しくなったのだ。
村の中で作られる作物、雨風凌げる母家、生活を便利にする道具を作り出す技術力、その全てが魅力的に写っていた。
欲しい、あの村が欲しいという願望が、破壊欲求を上回って心に満たしていく。
モンスターとしては厄介な感情だが、レッドオーガとしては悪くはないと思っていた。
それからの思考は、どうやったら損害を出さずに手に入れるかに費やされる。
数日考えたが、明確な方法は思い浮かばず諦めようかと思っていたところ、変化は唐突に訪れる。
浅層に生息しているオークを狩り、食事にありついていると、何かが上空を通過して森の中に降りるのが見えた。
飛んで来た方角は村の方からだった。
だとすれば、飛んで来たのは村の者の可能性がある。
これは格好のチャンスだ。
村に住む者達の戦力を把握する事が出来るかもしれない。
上手くいけば、戦力を削ぐことも可能だろう。
そして、急ぎ向かった先にいたのは全身黒い奴と小さい者だった。
脅威を感じない、取るに足らない者達だ。
そして、その油断で危機に瀕する。
簡単に倒せるはずだった。
力任せの一撃で終わるはずが、リッチの時と同じように牽制され、飛ばされ、氷漬けにされた。
嘗ての事を思い出し、憤怒の炎で危機を脱したが、目覚めた先にいたのは、あの村で最も警戒すべき強者の存在がいた。
それでも負ける気はせず、慣れない力を使い、有象無象を蹴散らす。
強者である男の魔法を退け、殺そうとすると再び邪魔が入った。
氷漬けにした者と同じ格好をした者が、上空から大剣を手にレッドオーガの前に降り立った。
一度ボコボコにした相手だが、大剣を持つと先程までとは雰囲気が違っており、警戒させるだけのモノを感じた。
それを証明するように、斬られた体から血が流れる。
鋭い一閃を背後に飛んで避け、距離を取る。
そこから続く剣戟を避け、避け、学習し、体捌きを最小限にして避けていく。
そして紙一重となったとき、殴打し下がらせる事に成功した。
手応えを感じる。
ここに来て、自身が強くなっているのを実感した。
ここで終わらせるのか?
レッドオーガは迷う。
ここで殺しきることは難しくない。
多少の傷は負うだろうが、憤怒の炎を使えば確実に奪える命だ。
だが、それは勿体ないな。
あの村も欲しいが、自身が強くなる事にも貪欲なのだ。
この2人、いや3人が相手ならば更に強くなれる。
そう確信して、今回は見逃すことに決めた。
次は村に行く、必ず殺すと告げてその場を後にする。
去るレッドオーガの背中には、炎ような紋様が浮かび上がっていた。
○
聖国イルビランテ
ここは、女神リンティアを崇めるリーン教会の総本山がある国だ。教会の本拠地がある国ということもあり、国民の半数がリーン教に入信している。
だが、この国が宗教国家かと言われるとそうではない。
リーン教会は国政に関わる事を良しとしない教義を持っており、忠告やアドバイスは行うが、率先して関わる事は少ない。
だが、国民の半数がリーン教ということもあり、国と教会の距離は近く、国側が優遇した措置を取ることが多い。
そのリーン教会で一人の女性が、扉の前に立つ見張りを無視して部屋に侵入した。
「東北東より、小規模ですが魔王候補の反応がありました。勇者部隊を編成し調査に出して下さい」
「……は?」
教会の一室で、茶飲み友達の国王と教皇が茶を片手に談笑していると、ふらっと入室して来た聖女が一言告げて、そのまま退出しようと踵を返した。
「待て待て待て!詳しく、何が起こっているか詳しく話せ!」
教皇である老齢の女性が、聖女の首根っこを捕まえて引き止めると、国王のいるテーブルまで引き摺って行く。
聖女は顰めた顔で、あーやっぱり面倒なことになったと思い、どうやったら逃げられるかなと思案する。
「それで、どのような神託を受けたのだ?」
「あっちから魔王が出て来るかもしれないから用心しろって」
「相変わらずアバウトな神託だ。魔王候補なんて何十年ぶりだろうね、正確な場所は分かるかい?」
教皇の問いに首を小さく振る聖女。
「そこまでは教えてくれないか、方角だけでも良しとするしかないな。陛下、早急に腕に覚えのある者を派遣してもらいたい」
「待て、俺を置いてけぼりにするな。状況が全く飲み込めん。魔王候補とは何だ? 何十年ぶり? 私がこの地位に着いて15年になるが、そのような話は聞いた事がないぞ。説明してくれ」
教皇よりも若干歳若い聖国の王は、目頭を押さえて説明を求める。
あーそうかと教皇は説明を始める。
魔王候補とは、文字通りいずれ魔王になるかもしれないモンスターの呼称である。
魔王候補となる種族は様々で、主にモンスターから排出される事が多いが、過去には人がモンスターに変異し魔王候補となった事例もあった。
体のどこかに力を象徴するような紋様が浮かび上がり、それが魔王候補の証明とされている。
そして魔王候補と成ったモノは例外なく強い、強さに差はあれど、単体で人の軍を蹴散らす程度の力を持っていた。
そして何より厄介なのが、魔王候補は人並みの知恵を獲得し、総じてモンスターを従わせて軍を成す点だ。
軍を成すと、近くの人里から襲われて行き多くの人命が奪われるだろうと教皇は続ける。
しかし、候補の間は自分より弱いモンスターしか配下に出来ない為、討伐するならば今のうちだと言う。
これが正式に魔王となると、強さに関係無くモンスターを意のままに操れるようになり暴れ回るので、軽く人類の危機だったりする。
そこまで聞いた国王は、溜めていた息を盛大に漏らした。
「なんじゃその化け物は、女神様は助けてくれんのか?」
「助けてるさ、こうして聖女に神託を下さっている。多くを求めるのは筋違いってもんだよ」
「いえ、もっと助けてくれても良いのではないかと思います。祭ってるんですから、お願い聞いてくれてもバチは当たらないかと」
「お前は女神様を何だと思っているんだい、スキルを与えてくれるだけでもありがたい事だろうに。 最近、祈りに身が入ってないよ、真面目に祈りなさいな」
「祈りでお腹は膨れません」
「……聖女がそれを言うか」
聖女の態度に国王と教皇は頭を抱えた。
「まあよい、今は魔王候補の対策だ。何十年ぶりと言っていたが、前回はどのように対処したのだ?」
「前回は大体30年前くらいだったね。ミノタウロスの魔王候補で、大地を自在に操るモンスターだった。調査に向かった勇者部隊が現戦力で討伐可能と判断して、そのまま倒してしまった」
「…倒せるのか? 話を聞く限り、軍をぶつけなければ倒せないと思ったが……いや…その時の部隊員はどのような者達だったのだ?」
教皇の話を聞いて、少し拍子抜けしたような反応をした国王だったが、30年前と聞いて当時何が起こったのかを思い出した。
「ふう、陛下の想像している者達で間違いないよ。当時の剣聖セインセイズを筆頭に、万魔のアルメ、怪力無双のカイセグ、精霊使いのカエデ、神眼のマテウ、そして私の6名が参加した」
「やはりか。当時、留学先から帰国したとき驚愕したのを覚えている。殺しても死なないような者達が行方不明となり、後に死んだと聞かされた。カイセグ爺、カエデ嬢、マテウ殿、どなたも素晴らしいお方だった。 何故だ。何故、あの時、本当のことを教えてくれなかった?私はそんなに頼りなかったか?」
「違いますよ陛下。当時は混乱を避ける為に魔王候補の件は、秘匿しなければならなかった。 教えなかったのは、前国王陛下の判断です。 それに、当時はいつ戦争が起こってもおかしくなかった。友好国含めて、聖国の戦力低下を知られる訳にはいかなかったのですよ」
情報の漏洩は命取りになる。
それは今も昔も変わらない。
そして、それを理解出来ない国王ではなかった。
国王は息を大きく吐き、教皇を一度睨み付けると、茶を一気に飲み干して考えを切り替えた。頭を仕事モードにして、回転させて行く。
昔よりも今を生き、未来を見据える聖国の国王ランテ11世は優秀な王であった。
賢王とまでは行かずとも、民を思い国を第一に考える優れた王である。
「調査を行うのだったな、人材は用意しておく。教会からも人員を出せ、道案内が必要だろう」
「はっ」
雰囲気の変わった国王に教皇も茶飲み友達としてではなく、自国の王に対して礼節を持って応じる。
教皇の後ろでは、聖女が膝をついて頭を垂れている。
「期日は追って伝える。 あー、休憩終わりか、ちくしょうめ」
最後に愚痴をこぼして部屋から出て行く国王は、部屋の前で待機していた兵士に護衛されて王城に戻って行く。
教皇と聖女は国王の姿が見えなくなると、顔を上げ、教皇はスッと立ち上がり、聖女はそそくさと退散しようとした。
「待ちなヒーリス」
「…ちょっと急ぎの用事があるんで失礼します」
「逃がさんよ!」
「くっ!?」
教皇の静止を振り切って出て行こうとした聖女だが、魔法で扉がロックされてしまい逃げられなくなってしまった。
「なに、直ぐに済むよ」
「直ぐに終わるなら私じゃなくても…」
「だまらっしゃい。 おほん、聖女ヒーリスよ、汝に魔王候補調査部隊の同行を命じる」
「く〜っ!! だから嫌だったのに!?」
こうして聖女ヒーリスの派遣が決まった。