01_選定の日
私の名前はベルク。ただのベルクです。白い髪に白い肌。これといった特徴のないただの人族。それが私。
「本当に大丈夫だろうか……」
そして私なんかとお茶をしていて、こんな風に不安を口にしているのは私の主、フロスティア様――フロスティア・アブスロード様です。
魔族の証たる褐色の肌に、その王族にのみ受け継がれる穢れなき白い髪――不遜にも私も同じ色の髪ですが、私のものがただの白だとすれば、フロスティア様のものは透き通るような白です。私なんかとは違って可愛くて美しい、お姫様のようなお方です。というかお姫様です。
先代の魔王様が唯一残された息女、それがフロスティア様なのです。
「大丈夫ですよフロスティア様!」
そのフロスティア様が何を不安に思っているのか。それは今日行われる魔王の選定についてです。本来魔王という存在は、当代の魔王様が辞退しない限りそのまま魔王として君臨し続けることになります。
しかし、前回の選定で選ばれた魔王様――――フロスティア様のお父様はその時の勇者と刺し違え、崩御されてしまいました。そうなると次代の魔王は五十年毎に行われる選定の日に、王家の血筋から選ばれることになります。その候補は魔王の御子だけに留まらず、魔王のきょうだい、またその御子にまで広がっています。
では誰が魔王を選ぶのか、という話になります。それは魔族の皆さんが崇拝している魔神様が選定するそうです。ちなみに敵である勇者も人族が崇拝している女神によって選ばれるとかなんとか。
「しかし、私は今年で成人したばかりの小娘だ。魔神様の御目に適わないかもしれないだろう?」
フロスティア様は少々自己評価が低いきらいがあるようで、度々このように不安を口にするのです。下手したらこの話は二十回以上は聞いているかもしれません。そんな不安症なところが不遜にも可愛らしいと思ってしまうのは確かですが、選定の日は今日なのです。そんな日ぐらいは自信を持って臨んでもらいたい。なので私が一肌脱ぎましょう。
「自信を持ってください、フロスティア様! 侍女の方、護衛の騎士の方などから伝え聞くフロスティア様はとても立派です! それに魔王に選ばれるために何年も努力してきたじゃないですか! 魔神様もきっとその姿を見ていてくれているはずです! 例え誰が否定しようとも私の中ではフロスティア様こそが魔王に一番相応しいと信じています!」
興奮しすぎて言ってはいけないことや、言っても意味ないことばかりの言葉だらけだったような気もしますが、しょうがないのです。私、学がないので。近くにいる騎士様や侍女の方々の視線は正直怖いですが、努めて無視します。
「ありがとう、ベルク。――――そうだね、私は魔王にならなければいけない。そんな私がこの様なことで不安を抱いていては、魔王に相応しくないと言われても仕方ないだろう。今日ぐらいは自信を持って臨むとするよ。もう一度礼を言う。ありがとう、ベルク」
そう言いながら向かいの席に座る私の左手を取りながら、私に微笑んでくれました。叶うならこの時間がずっと続いて欲しいな、と切に願うばかりです。
「殿下、そろそろお時間です」
私の邪な願いを察知したのか、侍女の方が声をかけてきました。残念ですが、こうやって話せるだけでも十分すぎるぐらいありがたいことなので文句は言えません。
「もう行かないといけないみたいだ。帰って来られるのは明日になるから無理せず、早く寝てね」
フロスティア様が退室し、私にとっては短すぎるお茶会も終了です。侍女や騎士の方々も私に冷たい視線を向けながらも黙って部屋を後にしていきます。
しかし、一人だけ。護衛の騎士様が私に向かって話しかけてきました。
「愚鈍なお前も分かってはいると思うが、フロスティア殿下は魔王になる御方だ」
赤毛の護衛騎士――マテウス様は、私が勘違いしないように度々説教のようなものをしてくれる親切な方です。私の体よりも遥かに大きく、武術の心得がない私でも本能的に強い人なんだろうな、と思わせるような人です。
「魔王に選定された暁には、お前の存在もこのまま、というわけにもいくまい。今後の身の振り方でも考えておくんだな」
そう口にすると、足早に部屋を出て行ってしまいました。
確かにフロスティア様が魔王になられたら、周りの偉い人が認めるはずもないでしょう。
魔王領に存在する唯一の人族の奴隷という異分子が傍に居るということを。
*
私は自分の親の顔が分かりません。薄情な奴だ、と思う方もいるかもしれませんが、こればかりは勘弁して欲しいです。なにせ私が物心がつく以前から魔王領の首都、つまり今いるところにいたんですから。
本来、人族が魔王領の中心部でもある首都に入ることはありません。人族領の境から首都までは結構な距離があり、人族が魔族に見つかれば問答なく殺されるそうですから。それに、魔王領と人族領を隔てている霧の森は、入ったら出ることが叶わないと言われる場所らしいので、人族が首都にまで入り込むのは土台無理な話という訳です。
ではなぜ人族である私が生きたまま首都にいるのか、疑問に思うでしょう。
まず首都に入った方法は、現在でもよく分かっていません。気づいたら王城にあるフロスティア様の私室に赤子の私がいたそうです。厳重に張り巡らされた監視の目をかいくぐって城に入ることなんて不可能ですので、魔法によるものだと言われていますが、どんな魔法かまでは特定できていません。
次に私が生きたまま奴隷でいられるのかは、フロスティア様の慈悲によるものです。当時齢三十四であるフロスティア様は――魔族は人族と比べ、長寿ではありますが成長が遅いため、この時のフロスティア様は人族でいうところの十二歳ぐらいに相当する年齢だそうです――肌の色や年齢の違う私を大層気に入ってくださり、どうにかして昔に存在していた奴隷という形で傍に置いてくださりました。
しかし、奴隷といっても綺麗な寝所や美味しい食事を施してくださり、健康的な生活が送れるようにしてくださっていて、奴隷とは思えない待遇です。本来奴隷であれば無茶な命令もされるそうですが、フロスティア様は特に命令することなく、私はお話を聞いたり、食事をしたり、一緒に遊んだりするぐらいです。
常々申し訳なくなって「何かお手伝いをさせてください」と言っても、「ベルクはそんなことしなくても大丈夫だよ」と返され、半ば強制的にお手伝いを止められてしまいます。
この様にフロスティア様は私の身に余る優しさを恵んでくさいますが、周りの方々はそうではありません。
人族の存在が許せないうえに、その人族が王族の傍にいるということがもっと許せないのでしょう。時々私に暴力を振るってきたり、説教を受けることがあります。全てフロスティア様を思ってのことではあるのでしょうがないことではあるのですが、泣きたくなることもありました。
それはさておき、以上のことから私が生きたまま首都の中で生活ができているという訳です。
現在の状況はフロスティア様が王族の特権を使って色々な無茶をしたうえで成り立っています。
しかし、魔王となると話が変わってきます。魔王とは人族に鉄槌を下す、象徴的な存在でもあります。その魔王が奴隷とはいえ人族を傍に置いているのは不都合なことが多いのでしょう。
おそらく良くて他の方に売られるか、最悪処刑されるはずです。
怖くはありますが、仕方のないことです。むしろこの十六年間、こうして幸せな生活を送れたのが奇跡のような、夢のようなことなのです。
私はフロスティア様が大好きです。フロスティア様のために命を捨てられるぐらい大好きです。
私が魔王の障害となるならば、喜んでこの命を差し出しましょう。
*
「よし、書けた」
日課である日記を書き上げ、一息つきます。フロスティア様が文字を教えてくださってから毎日のように書いているので十年以上は書き続けているこの習慣。これもそろそろ終わりかと思うと感慨深いものがあります。
体を清潔にして着替えてあるので後は寝るだけではありますが、フロスティア様がこの別邸に帰ってくるまでは起きているつもりです。フロスティア様が魔王に選ばれたという喜びを出来るだけ早く分かち合いたいというのと、フロスティア様と過ごせる少ない時間を寝るということに費やすのが勿体ない気がするのです。
とはいえこのまま待っていると寝てしまいそうなので、意識を手放さないようにこれまで書いてきた日記を振り返るとしましょう。
「いったぁ…………い」
しかし、突如として頭痛が走り、それどころではなくなってしまいました。
これまで頭痛に襲われたことがないので驚きましたが、徐々に痛みが引いてきました。
そして完全に痛みが引き、冷静になると、日記を書いていた机の上に猫さんが座っていました。
黒猫です。
「なんでここに猫さんが……?」
私はこの別邸からあまり出ていないので、猫という動物をみたことがありません。本の中の絵で見たぐらいで、もちろんこの別邸にも猫がいるという話は聞いたことがありません。
つまり、ここにこの猫さんがいるということは中々の異常事態というわけです。
そして私はこちらを見つめてくる猫さんに対して、今まで感じたこともない異様な不安が膨れ上がってきました。
そしてその不安を肯定するように、猫さんは最悪の言葉を告げました。
『おめでとう。君は今代の勇者に選ばれた』
――――魔王選定のその日、私は勇者に選ばれました。