【7】軍部文官アデル=ツー=ヴィート
葡萄酒を担ぎ、軍部戦略室所属アデル=ツー=ヴィートは王宮文官の独身寮をちゃぽんと訪れた。
「おお」
「アデルだ」
「久しぶり」
「アデルだ」
「元気か」
「アデルだ」
目的の部屋に向かうまでに、何人かのセントノリス卒業生にパンパンと肩や背中を叩かれる。
たどり着き通された部屋の中にはアントン=セレンソン、ラント=ブリオート、ハリー=ジョイス。
少し会わない間にひょっとしたら様子が変わっているかもしれないと思った面々は、いつも通りの明るい顔をしていた。
「このメンバーの休みが重なるなんて奇跡だ」
アントンがアデルに椅子を勧めながら嬉しそうに言う。
「お前が休日に休んでるのがまず奇跡だよ」
一度消えたハリーが戻ってきてテーブルに皿を並べる。皿にはうまそうなシチューが満ちている。驚いてアデルはハリーを見上げた。
「ハリーが作ったのか?」
「そう。この男はなんと料理をさせても上手だった。ひょっとしたらハリー=ジョイスに、できないことなんてないのかもしれない」
真面目な顔で言いながら、アントンがカトラリーを置く。
「いつも忙しいセレンソン補佐官を労わってやろうと心を込めて煮込んだんだ実際は切って入れて放ったらかしだけどな。優しいだろう」
「ああハリーの放ったらかしの優しさが胸に染みる。泣いてもいいかい」
「冷めるから食った後にしてくれ」
「うん、大事なことだ」
言いながら今度はアントンはパンを運んだ。
テーブルに置きながらアデルの顔をのぞきこみ、笑う。
「アデル、ちゃんとおなかは減らしてきた?」
「子供か。腹は割といつでも減ってる」
「それはよかった」
ラントがとんとん杯と葡萄酒の入った酒器を置く。
ここはハリーの部屋らしい。物が少なくて実にシンプル。男が4人もいればなんとなく狭く感じるくらいの広さだ。
「フェリクスとサロは仕事か」
「うん。二人とも夜には来られると思うけど、僕とラントが明日早いんだ」
「皆、忙しそうだな」
「アデルも。こないだ研修があったんだろう?」
「ああ。俺のチームは講師が厳しかった」
「誰?」
「ミネルヴァ=ブランジェ」
「おお!」
皆が声を上げた。先の戦争で大いなる功績を上げた彼女は、もはや軍部戦略室の有名人だ。
少しでも甘い箇所があれば鋭くビシビシと突っ込んでくる手厳しい指導を思い出し、アデルは笑った。
「新人相手でもまったく容赦がなくて、とても楽しかった」
「そうか」
「良かったね」
軍部ではまだアデルが笑うと驚く人もいるが、ここにいるメンバーは慣れっこだ。アデルは笑い方というものを、彼らから学んだような気がする。
ラントが皆の杯に葡萄酒を注ぎ、アントンが皿を置き、ハリーが別の料理を運んでくる。
よく考えたら、アデルだけ座ったきり何もしていない。
「アデル、これ開けて」
「なんだ」
「ピクルス。蓋が100年前から糊付けされているんじゃないかってくらいびくともしない」
「わかった」
何も言っていないのにアントンに気付かれて仕事ができた。顔に出していないはずのことを彼に察されることに、アデルも慣れっこだ。
「開いた」
「ありがとう。100年の封印が一瞬で解かれた」
「ただのピクルスだ」
アントンが微笑んでアデルから壜を受け取る。
じっとアデルはアントンを見た。相変わらずの細さだ。
激務でますます痩せて骨と皮になっていたらと心配したが、どうやらその様子はない。
「ちゃんと食べているな」
「うん。何故かみんなして、僕にいっぱい食べさせようとするんだ」
「それはよかった」
「よしこれで全部だ座ってくれ。食べよう」
ハリーの声に皆座り、杯を持った。ちなみにアントンの杯だけ果実の汁である。
ずらりと色とりどりの料理と、互いの変わらない顔が並ぶ。
「なにに乾杯?」
「再会にってほど久しぶりでもないな」
「お疲れ様?」
「お疲れ様!」
「お疲れ様」
かしゃんと杯が重なり、それぞれが思い思いのものを取る。
皆セントノリスで徹底的に鍛えたから、下手な貴族よりも食事の手付きがきれいだ。
「このシチュー……美味しすぎる」
「うん。……少しゲルデさんの味に似てる」
「誰だ?」
「中級一年生のときの、寮の食堂の人だよ。雪合戦の日のシチューは今でもたまに夢に見る」
「ああ。……言われてみれば」
「あれは本当に美味しかったね。これも、とっても美味しい。優しさが指先まで染みるよハリー。ありがとう」
「どういたしまして。ラント、こないだ視察に行ったんだって?」
「うん、すごく楽しかった」
「幻の青き秘境ガラトン! どんなところだった?」
「遠くから見たときだけ山が青いんだ。霧が取り巻いていて、上に登るにつれて空気が冷たく澄んで、少し薄くなる。バアバア鳴くリャンパカって名前の見たこともない毛の長い動物がたくさんいた。彼らはその毛からきれいな色の、見事な織物を作るんだ」
「へえ」
「こういう形の糸車を女の人たちが歌いながら回して、子供たちは横で歌と手付きを真似をしながらそれを見る。歌って、真似して、彼らは技を受け継いでいく」
穏やかに微笑みながらラントが幻の地の説明をしている。アントンが目を輝かせて質問を重ね、ハリーがときどき突っ込んで、アデルがときどき頷く。あまりにもいつも通りだからなんだか自分が、まだ深緑の制服を着ているような気分になる。
煮込まれた大き目の野菜の入ったシチュー、ピカピカのトマトの入ったサラダ、ごろりと塊のまま焼かれた肉。これはつけてあるソースまでうまい。全体的に男らしくて、ハリーっぽい料理だ。シンプルなくせに、味がいい。
「材料費はいいのか?」
「『カディマタッタラ』の売上金から引いといた」
「……あれはまだあったのか」
「ああ、まだあるんだ」
「この美味しいお肉は残ったらパンに挟もう。しょっぱいものとしゃきしゃきした野菜のはさまったパンって、なんであんなに素敵なんだろうね」
アントンがわくわくした顔で言う。じっと皆が残念そうに彼を見る。
「残らないぞ、多分」
「うん、残らない」
「こんなに挟みたいのに……?」
「残らないだろうな。この面子じゃ」
食べながら、飲みながら、それぞれが好きなことを考え好きなことを言う。にぎやかで、あたたかく、息をするのがとても楽だ。
これからいくつになったとしても、それぞれがどんな立場になっても、きっとここに流れるこの空気は変わらないのだろうと思えることが、アデルはひそかに、今とても嬉しい。
ノックの音がして皆が顔を上げる。
「はい」
「フェリクス=フォン=デ=アッケルマンだ」
「早い! いらっしゃいフェリクス。狭苦しいところですがどうぞ」
「広さはみんな一緒だ」
「やあアントン、休日に君が休みなんて奇跡だね」
「みんながそう言うんだ。着替えてきたんだね、入って入って。今君の分のお皿を持ってくる」
「ありがとう。ああ、帰りに燻製肉といい卵を買ってきた」
「君は天才だ今すぐ焼こう! そして即座にパンに挟もう!」
「……なんでこんなに喜ばれている?」
「アントンは今、パンにしょっぱいものを挟みたくて仕方のない気分だったんだ」
「そんな幅の狭い範囲の気分のときがあるか……?」
不思議そうな顔で入ってきたフェリクスがアデルを見て微笑んだ。
「やあアデル」
「ああ」
それだけだ。友人というのは簡単でいい。
後ろで一つに結んでいるフェリクスの髪が、前よりも伸びている。
「髪、伸ばすのか?」
「ああ一応。でも長すぎても面倒だからこれぐらいにするつもりだ。君は?」
「面倒だから伸ばさない」
「そうか」
フェリクスの杯に葡萄酒を注いでやり、乾杯をする。
やがてハリーとアントンが焼いた卵と燻製肉を焼いたパンで挟んだものを大皿に乗せて運んでくる。
ざくざくと、皆ここはお上品さを捨ててかぶりつく。
「うまい」
「うまいな」
「さすがフェリクス」
「こんなにすぐ焼かれて食べられるなんて光栄だ」
「男ばっかだ肉が残るわけがない。アデル、軍部の話聞かせてくれ」
「ああ」
「……」
「……」
「……」
「アデル?」
「今噛んでるとこなんだって」
「もうこっちの葡萄酒がなくなった」
「アデルが持ってきたの飲んでみるか」
「安いやつだ」
「どれもそうだ。出世したらいいの飲もう」
わいわいがやがや、食べて、飲んで、話す。
楽しい時間はのんびりまったりと、きっとこれからも、変わることなく続いていく。




