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おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中【書籍化/コミカライズ企画進行中】  作者: 紺染 幸
二章 王トマス治世下

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11皿目 初級学校校長エッポ=キースリング2



「……はあ」


 染みている。

 熱い酒が喉を通りすぎ、腹の中から染みている。


 ダイコン、がうますぎる。なんだろうこれはもう半分飲み物なのではないだろうか。

 この汁に煮られるためにあるとしか思えない野菜だ。じゅわり、とろりとして口の中でとろける。皿の端にある黄色いのをちょんと付けたら味が変わりうまさが増した。

 コンニャクも好きだ。切れ目を入れられた表面の食感が楽しくて、噛めば少しざらりとしながら、なんとも奥深い味わいがある。黄色いのがこいつもまた合う。中に吸い込まれないせいか辛みが舌にガツンと来るのでつけすぎは禁物だとわかった。

 そしてたまご。まったくくさみがない。こんな上質なたまごを生む鶏がいたら何羽でも飼いたい。皆大喜びで持って帰ることだろう。とろけた黄身を最後の汁とともに飲み込めば、ふわりと優しく腹の中に落ちる。


 そこに酒。先ほどより少しぬるんで、だが十分にとんでもなく薫り高く膨らみ、飲み込めば腹を熱くする。


「あ゛~~~~っ……」


 まだ明るい空をエッポは仰いだ。体中がぽかぽかして、あたたかい。

 さわ、さわと麦の穂が揺れる。


 今すぐここに学校全職員を呼びたい。まだ皆学校で、テストの採点をしたり、明日子供たちに教えるための準備をしていることだろう。

 少しでもわかりやすく。少しでも楽しくと。学校が彼らにとって、快い場所であるように。


 皆と食べたい。アンネも、他の子たちも。なんならその両親、家族全員を呼んで。これまで学校を去っていった、たくさんの子たちを呼んで。


 ぽろりと涙が落ちた。情けないが、止まらない。


「おかわりいるかい」

「はい。お任せでお願いします」


 泣きながらエッポは食べた。コンブ。味の奥行きが大変に深い。うまい。チクワ。この穴はなんで開いてるんだろううまい。ゴボーテンの中が思ったより固い。でもうまい。汁を飲むとやはり様々なものの味わいが口の中を渦巻く。


 こうであるべきだ。

 世界もこうであるべきだ。様々なものが一緒に、同じところで溶け合うように煮られるからこそこれはこんなに奥深い味がする。

 海のものも、山のものも、高級なものも土臭いものも、すべてが一緒にあるからこそこんなにもうまい。

 こんなにうまいものを食べながらむらむらとあたたかい腹に沸いたのは、意外なことに、怒りであった。


 がさりと懐から古びた紙を取り出した。

 エッポが先生になってから、卒業を迎えることなく学校から去っていった生徒たちの名前が、そこにはずらりと書いてある。決して彼らを忘れないために。

 アンネ=クライの名を、学校に戻ってからここに書き足すつもりであった。

 紙を持つ手が、ブルブルと震える。


「おかみさん」

「はいよ」

「私は学校の校長です」

「へえ」

「普段は怒りません。子供に声を荒げて叱って、いいことなどなにもない」

「ふうん」

「だが少しよろしいでしょうか。長年腹にたまって仕方のないものを吐き出させていただいても」

「好きにしな」


 エッポは立ち上がった。

 黄金色に揺れる、夕焼けに染まり始めた穂に叫ぶ。


「子供は学ばなくてはいけない」


 風が吹き、エッポの声を乗せざあああと黄金の波が揺れる。


「親は子供に学ばせなくてはならない。……子供に文字を! 数字を! 新しい、広く美しい世界を! 子供にそれを与える環境を、我々大人は全力で作らなくてはならない!」


 これまで怒りを飲み込んで飲み込んで飲み込んできた。目の前に、たくさんのつぶらな瞳が輝いていたから。


「子供は働かなくていい! 学べばいい! もっと怒ってくれ! どうして学ばせてくれないんだと怒ってくれ! もっと怒れ! もっと怒れ! こんなにも世界には美しいものが満ちているというのに、どうして大人たちはそれを子供に与えようとしないのだと!」


 黄金色の穂が揺れる。

 エッポの叫びに、返る声はない。


 エッポは戻り、椅子に腰掛けた。

 残っていた酒を、くいと空ける。


「……だからと言って、それを知らないまま大人になった、知らないまま必死に働き、死なねばならぬものたちに、どうしてそれを言えましょう」


 小さな椀を持つ手が震えるので、エッポは板の上にそれを置いた。


「……子供たちにどうして言えましょう。お前の親は貧しいと。知識を持たぬ無知の者だと。子供は親が大好きだ。きらきらと親との交わりを嬉しそうに語る子供たちにどうしてそれが言える。かつて彼らであった今の大人たちにどうしてそれが言える」


 懺悔するように、エッポはフーリィに頭を下げた。


「貧しいのです。ここはただ貧しいのです。皆生きるのに必死で、学ばせる余裕が、誰にもないだけなのです。学びに対する知識が、ただないだけなのです。誰も、親になった彼らに今まで、学ぶということの大切さを教えなかった。学ぶ機会が、親たちにもただ、なかっただけなのです」


 皆、必死だった。生きることだけで精一杯だった。


「ここでただ小麦を育て、死んだ中にも、きっと芽を出さないまま死んだたくさんの天才がおりました。先につながる道がなく、その先にある世界を、知らなかったのです。小麦を作り、死んでいった彼らを、どうかお責めにならないでください。知らなかったのです。道がなくその先に進むすべがなかったのです。親たちをお責めにならないでください。彼らだってかつては私の子供たちだった」

「……」


 フーリィは許すとも許さないとも言わず、静かに汁を混ぜている。

 彼女は人の愚かさなど慣れっこなのだろう。喜びも、悲しみも、当たりまえに彼女の前をいつも過ぎ去るのだろう。


 だがエッポは人間だ。悲しみにも限度があり、その命には限りがある。

 もうそろそろ飲み込むのはやめ、怒らなくてはならない。声を上げなくてはならない。子供たちにはそれが出来ぬのだから。

 エッポが怒ろう。中央に向かって怒鳴ろう。改革は終わっていない。まだここに取り残された者たちがいるぞと。

 拳を上げ声を上げて怒ろう。100年も取り残され続けた貧しき者に、今こそ文字をと。100年遅れの改革を今こそと。今切らねばこの連鎖は、きっと何代先までへも続いてしまう。


 エッポの教師人生などあと数年。何か罰があったって、職がなくなったって、残りの人生を過ごせるくらいの金は貯めてある。

 もういいだろう。もうこれ以上この紙に、エッポは新しい名前を書きたくない。


 冷たい酒をもらい、オデンをおかわりしじゃがいもを割って食みながら、新王はまだ若者だったなあとエッポは考える。

 これまでのエッポの、積み重ねてきた現場の小さな改革すべてと、それでも打破できない現状をまとめ、国に上申しよう。

 上申書の写しを国中の初級学校に送ろう。きっと国中で、同じように取り残されているゼクノダのような指の間の土地土地から、同じ声が上がることを期待しよう。


 弱き者たちのその声は王の耳に届くだろうか。

 小さき声を聞いてくれる王であることを祈ろう。学校というもの、学びというもの、そこで培う人間同士の交わりの尊さ、青春という、人生で二度と取り返せないかけがえのないものの素晴らしさを知る人間が王であることを祈ろう。


 そういえば近々このあたりに、大きなため池が作られるらしい。

 雨の少ない年に備え、そのときに畑が干上がらないようにだそうだ。上の人というのはいろいろと考えなくてはならぬことが多くて大変だなあと思う。

 だからこそ、小さなものは大きく叫ばなければいけないのだ。

 ここにいるぞ。我々はここにいる。己が終わる前に、今こそ声の限りに叫ぼうではないか。


 じゃがいもの粉っぽさを冷たい酒で快く流し込みながら、そうだ学校の横に小さな子を預かれる場所を設けたらどうだろうとエッポは思った。足が悪くて畑で働けないけれど、まだ頭は元気な婆さんたちは却って喜ぶのではないだろうか。久々に妙に頭が冴え、いろいろなアイディアが走り回る。

 まだあれもできる、これもできる。

 かつての生徒たちの名前が書かれた紙をしまい込み新しい紙を取り出し、一心不乱にエッポはペンを動かした。


 夕日が世界を赤く染める。さわさわと小麦の穂が鳴り、ことこととオデンが仲良く楽しそうに煮えている。




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