11皿目 初級学校校長エッポ=キースリング1
「はあ……」
アステール有数の小麦の産地ゼクノダ領のあぜ道を、一面の黄金色に揺れるさわさわとした麦の穂の奏でる音を聞きながら、初級学校校長エッポ=キースリングは歩む。
ぽか、ぽかとのんきに歩む馬もエッポと同じ爺さんだ。買ったときから爺さん馬だったが、偉いことにまだ現役だ。
眼鏡が最近すぐにずり落ちる。これもそろそろ新しいのを買わなくてはと思いながら、ずっと伸ばし伸ばしにしている。
3年生の成績優秀者アンネ=クライがここひと月ほど登校してこないので、様子を見に行った帰りだ。
小さな木造りの、今にも倒れそうな家の前で彼女は背中に妹か弟らしき赤子をひっくくり、いたずらしようとする3歳くらいの別の弟を叱りながら洗濯物を取り込んでいた。現れたエッポの顔を見て彼女は一瞬固まり、大きな涙の粒を流しながら首を振った。
『お母さんが、体の具合が悪くって』
『……』
『学校、行けません。ごめんなさい、校長先生』
背の後ろの赤子をかばいながら深々と頭を下げる彼女は、勉強が大好きな女の子だった。キラキラとした目をして、必死に授業を聞いていた。
ゼクノダは小麦の一大生産地だ。この広い小麦畑は、地主に雇われた小作人たちが育てている。
畑を耕す代わりに家と土地を割り当てられ、取れた小麦を決められた分地主に納め、余った分を収入にできるものの、それはあまりにも少ない。
生きるために小麦を作り、小麦を作り、小麦を作り、死んでいく。
ほとんどがそれ以外の生き方を知らない。ここに生まれ、似たような境遇の者たちに囲まれ、生きるというのはそういうものだと思って生きて死ぬ。こことはまるで違う生き方をしている人間がいることを知らず、こことはまるで違う生き方ができるということを、知らないままに死んでいく。
そういう人間たちがいるから、小麦は出来ている。パンになり、栄養になり、人々の腹を満たしている。
『平民に文字を』。約100年前に学者アルジャノン=アディントンにより行われた教育改革により、アステールの識字率は上昇の一途をたどっている。それまで地域ごとにぽつぽつと独自に行われていた小さな子供への初級教育は徐々に質を上げ、今や全国一律の教科書が作られ、お上の負担で教師の給料が支払われている。子供たちは無償で教育を受け、その期間は労働を留保される。
文字はこの国でもはや上流階級だけのものではなくなった。中級学校を受験する平民の子供たちの数も年々増え続けている。
だがそういうものに取り残されるのが、地方の、末端の末端というものだ。
都市から手のひら型に広がる改革に、いつもゼクノダはその指の間に入って取り残されてきた。文字が正しく書けるより、計算が早くできるより、目の前の小麦を育て、子を産み、働くのが正しいと信じる親の前から子を攫うことなどできない。初級学校はあくまでも国が国民に向けて開放する教育の場であり、それを親が子に受けさせないことは罰せられることではない。目先のことを置いてでも教育は受けさせておいたほうが結果的に得であると、ここの親たちは知らないのだ。なぜなら自分たちもそうだったから。
古い時代の農具を使いながら、人の手を多く必要とする手法を用いて、このさらさらと揺れる小麦は育っている。
もっと声を上げる力があれば、様子は変わるだろう。だが下々のものに知識をつけられては困る上の懐の温かな人々がそれを邪魔し、排除し、ゼクノダを指の間に取り残し続ける。
計算が出来れば、本が読めれば。彼らが外の世界を知ることができたなら。
そう思いこうやって、ひとり、またひとりと手のひらから零れていく生徒たちを拾おうと足を運んでも、そこにはどうしようもない現実が横たわっていて、いつもいつもこうやって、揺れる小麦の穂の音を聞きながらとぼとぼと引き返すこととなる。
エッポが校長になってから初級学校の横に大きな畑を作っている。小麦以外の様々な作物を植え、子供たち自身に手入れをさせ、収穫の時期がきたら持ち帰らせる。鶏も、豚も、ヤギも飼っている。順番に卵を乳を、肉を、その加工さえも授業の一環にして、順番に持ち帰らせる。学校に行くだけでそんな珍しいものが手に入ると親に思わせるために。そんなことでしか親たちを納得させられない自分を恥じながら、エッポは必死で、生徒たちが学校に来られるように、他にも何かできる工夫はないかと職員たちと日々考えている。
幸い子供たちは勉強が好きだ。中には嫌いな子もいるだろうが、たいていは学校は好きだ。だって学校には友達がいるから。働かなくていいから。笑って、ふざけて、喧嘩したりはしゃいだりしていいから。その間は子供でいていいからだ。
どんな地方でも不思議なことに、賢い子というのはいる。どうしてだろうと長年思っているけれどわからない。もう、そういうものなのだと割り切っている。
そういう子を上に押し上げたいと願っても、やはりそこには家の問題が立ちふさがる。6年もうちの子を勉強とかいう金にならないものに貸し出してやったのだ。うちの労働力を返せと言われてしまえば、エッポには何もできない。助けて先生という、すがるような目に、何度見つめられただろう。
アンネ=クライは賢い子だった。実に賢い子だった。向上心と好奇心に満ち溢れた、学びに突き進むべき才を持って生まれた女の子だった。
じゃあアンネの母に体に鞭打って働けと言うべきだったのであろうか。幼き弟たちに、類いまれなる資質を持って生まれた姉に君たちの世話を今すぐ辞退させよと言うべきだったのであろうか。
決めきれぬ己のふがいなさに思わずエッポは涙を零した。小作人の子は小作人のままでしか生きられないのだろうか。そうなのであれば教育とは、一体何なのであろうか。
人はたった一行の数式で、たった一文の詩によって、いつだってどんなところにだっていけると教えることは、もしかしたら罪なのかもしれない。だってエッポは彼らをここ以外のどこへにも、連れて行ってやることができないのだから。
エッポは無力だ。何が校長だ。子供の一人も救えない、力なき老人に、それを名乗る資格などあるのだろうか。
いっそのこと諦めてしまえば楽なのかもしれない。こんな小さな改革なんてなんの意味もないのかもしれない。
割り切り、流される。それもまた大切な、大人らしい行動なのかもしれない。
「ん?」
前方に煙が上がりエッポは目を見張り、慌てて馬を止めた。
黄金色の中に、赤い布が翻る。エッポはずり落ちた眼鏡を上げてそれを見る。
「……」
「……」
老人二人はあたたかな風の中見つめ合っている。




