10皿目 宿屋街の少年達
今日も今日とてお狐さんを睨んでいる。
こないだこんにゃくを残していたので今日はいなりとはんぺんを置いてある。
どうも暖かくなってきた。夏場は当然何割か売り上げが落ちるが、夏だけ別の商売をするような真似はしない。
春子はおでん屋だからだ。
走りの小ぶりのスイカが氷水の中で気持ちよさそうに揺れている。
乾物屋がいただきもので重ねていくつももらったそうだ。爺と婆しかいないところでこれ以上取っておいても悪くなるだけだからといつもの仕入れのおまけにくれようとするのを、断る春子ではなかった。
まあ、喉を潤すのと話のタネにはなるだろう。
今日も礼をせずパン、パンと柏手を打つ。
夜
森だ。
湯気のような霧のようなもやが満ち、空はどんよりと曇り月や星明りの一つもない。
ほう、ほうとフクロウの声がする。
ちっと舌を打った。なんとなく湿っぽいのが気に入らない。
がさ、と茂みが動いたので春子はそちらを見た。
「誰だ!」
「「「「ワーーーーー!」」」」
子供の声が重なった。
もぐ、もぐ、もぐとちんまりした顔が4つ並んで、おとなしくおでんを食っている。
5年生か6年生くらいだろう。どこもかしこも土やら砂にまみれて、揃いも揃って泣きべそをかいたあとのような何とも情けない顔をしている。
なんとなく虫の多そうな場所だったので、春子は蚊取り線香を下げている。
もともと漂っていたもやのような煙と相まって、実に辛気臭い。
中身が燃えたか消えたかしたらしい、光のないブリキのようなランプが4つ板の上に並んでいる。
「……お化け、出なかったね」
ぽつんと出来の悪いニンジンのような痩せた子供がちくわを半分食って言った。顔にそばかすが散っていて、赤い髪が長い。
「いいやジミー。テッドが見た」
きかん気の強そうな、この中では親分らしい短い金髪の子供ががんもどきを飲み込み、ふとっちょのカブみたいな白いのにからかうように言う。慌てた様子でカブがこんにゃくを食ってた顔を上げる。着ている服がこいつだけ上等だ。
「大声を出してごめんよ……本当に見たと思ったんだ。走り出してからよく考えたらただの木だっただけで」
「……テッドのせいじゃない。道に迷ったのは俺のせいだから、テッドを責めないでくれギルバート。……いざというときの目印のあてにしてた光茸が、昼のうちに全部採られてるなんて思わなかったけど、よく考えたら当たり前だった。旬だもんな」
いかにも優等生ですという顔をしたきちんとした茶色の髪がたまごを食いながら言う。
「天気が悪いのも運がなかった。……荷物が全部水につかったのも」
そこまで言って金髪が春子に向き直った。
「あのまんま奥に進んでたらどうなってたかわかりませんでした。本当にありがとうございました」
「「「ありがとうございました」」」
「はいよ」
4人揃って頭を下げた。しつけはちゃんとされているらしい。
「……お化け、本当に、ジミーのお父さんなのかな」
「……」
カブの言葉にしょんぼりとした顔をしたニンジンの背を、優等生が撫でている。
「……会いたかったな」
「いいや。絶対にタヌキだ。驚いて落とした人の食い物がみんな消えるんだろ」
こっちの世界でもタヌキは化けるらしい。
「でもさ……」
「ジミーの父ちゃんなら、わざわざテルマスの評判落とすような出かたするわけないだろ。街道からの看板のところにぼーっと立ってるなんて、どう考えたっておかしい。出るなら直接ジミーに会いに行くに決まってる」
「……」
「……」
「……迷ってるのかもしれない」
「……どういう意味だよ」
「……新しい父ちゃんが来るから」
ずっ、とニンジンが泣き出した。
「……自分が家に行っていいのかなあって、迷ってるのかも……父ちゃん、気が小さかったから」
「……」
「……」
金髪以外みんな涙目だ。いい友達なんだろう。
ニンジンが白い花を後生大事に膝に抱えている。春子は前にこれを見た。
「まだ天の国に行けてないなら、行かせてやりたい。……どこで死んだんだろう。シャルディスがきっと近くにないんだ。……やっと家の近くまで帰って来たのに、……こんなのひどいや」
「……母ちゃんを責めんなよジミー。ひとりで、4年も宿回して、お前と妹食わせて、あんなに痩せちゃってさ」
「……わかってるよ」
「父ちゃんだってきっと……」
「――嘘つきが僕に説教するなギルバート!」
いきなり立ち上がったニンジンが金髪の肩を押して殴りかかった。おい今ちくわが飛んだだろうと春子は眉間のしわを深める。ニンジンは金髪を地面に倒して馬乗りになって右手を上げているものの、どうやら殴る勇気はないらしい。
ひいっく、ひいっくと上がっているのは、金髪じゃなくニンジンの泣き声だ。
やっぱり地面にちくわが半分落ちている。
「お前の母ちゃんは美人で若いから、4年も苦労なんかしないで、すぐに今度は金持ちと結婚するんだろ! 宿屋なんか売り払って、お前は中央の町で金持ちの子になって暮らすんだろ!? こんなぼろ宿屋しかない田舎の宿屋街なんか捨てて、忘れて、いいとこのぼっちゃんになるんだ! 俺たちのことなんか忘れて! いっしょに自分ちの宿を大きくしようって、頑張ろうって、みんなで約束したのに!」
カブと優等生が色を失っている。
「……それ、本当かギルバート」
「……知らなかった」
「黙って行こうとしてたんだ! ギルバートは俺たちのことなんか大事じゃないんだ! 小さいころからずっと、ずっといっしょだったのに!」
うええんとニンジンは泣いた。
金髪が起き上がり、ニンジンに肩を貸して立ち上がり、膝を叩いて椅子に座り直す。それから足元に落ちていた白い花を拾って、ニンジンの膝の上に置いた。
「……もったいないことしてすいません」
「わざとじゃないならまあいいよ。いなり食うかい」
「いただきます」
ちょんちょんちょんと乗っけて、全員の前に出した。
まだ固まっている優等生以外がそれを食っている。おいしいとカブが嬉しそうに言った。
「……ギルバート」
「……」
「なんで……」
「……行きたくないよ」
「……」
ぽつんと金髪が言った。
「俺だって行きたくない。ここにいたい。父ちゃんの残した宿を継いで、みんなと一緒にテルマスをいつか国一番の宿屋街にしたい。……でもさ、そしたら母ちゃんが寂しいだろ。うちの母ちゃん、ジミーの母ちゃんみたいにかっこよくない。泣き虫で、ちょっと馬鹿なんだ。中央で、もしいじめられたりしたら可哀想だろ。……だから、俺、行く」
「……」
「言えなくてごめん。言わなきゃ、言わなきゃってずっと思ってたんだ。でも、何にも考えないで一緒に馬鹿できるの、あとちょっとだから。……何にも考えずに馬鹿やりたかったんだよ。お前たちと、あとちょっとでいいから、ここで。今まで通りに笑ってたかったんだ。……行きたくないよ。行きたくない。俺、ここにいたい……お前たちとずっと一緒にいたいよ……」
大人ぶった顔を投げ捨てて、金髪が泣いた。優等生もだ。ニンジンも便乗。カブはいなりのなくなった皿を残念そうに見ている。
しばらく子供たちは泣いた。
だが人間、そうそう長く泣けるものでもない。
どんだけ迷子になっていたかは知らないが、相当歩いたんだろう。皆すんすん言いながらとろんと眠たげにしている。
とんとんとんと包丁でスイカを割って置いてやる。
「……瓜?」
「赤い」
「しましまだ」
不思議そうに見るので仕方なく春子は残った一切れをしゃくっとかじり、屋台の脇にずんずん出てぷっと種を飛ばして見せた。
年季の入った種飛ばしだ。そりゃあもう当然飛ぶ。
子供たちの目がぱっと輝く。
揃ってしゃくっとかじりつく。
「!」
「なんだこれ! 甘い!」
「氷菓子みたいだ!」
「最高!」
わあわあと喜んでから、張り切って種をぷっぷしているが、春子の飛距離には到底及ばない。
むきになって再度かじりつき、飛ばす。
「飲んじゃった……」
カブだけが残念そうに眉を下げている。それから何かに気づいたように春子をハッと見た。
「……これ、大丈夫ですか」
「何が」
「生えてきたり」
「……」
答えずにニイッと笑ってやった。カブが慌てて頭を押さえている。
「大丈夫だ。そのうち出るさ」
「よかった」
種を飛ばしていた三人が戻って来た。
「まだ食うかい」
「もうおなかいっぱいです」
「ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
「お勘定お願いします」
「他でもらうから、いらないよ」
そう言ったときに、ふと光が差した。
雲が流れたのだろう。見上げれば満天の星空が広がっている。
「……」
息を飲んで見上げる子供たちの頬が、星の光に浮かんでいる。
もくもく漂うのは、温泉のにおいだと春子は気づいた。旅行なんてさっぱりしていないのですっかり忘れていた。
近くが温泉街で、その町の子供らなんだろう。服はぼろでも、揃ってしつけがいいのも納得だ。
「……今日信じられない大冒険をして、オデンを食べて、一緒にこの星を見た」
「うん」
「……この空をどこにいても、みんな見てるって」
優等生が泣いている。
「信じて、それぞれの場所で頑張ろう。テルマスは俺たちに任せてくれギルバート。……困ったら、いやもう大丈夫だと思ったら、戻ってきて。手なんていつだって足りてないんだから。一緒にここを盛り立てよう。テルマスの温泉はアステール1だ。きっと宣伝の方法がまずいんだ。……俺も言ってなかった。俺、町の外の、中級学校を受ける。3年外で勉強して、またここに戻ってくる。……まだ試験、これからだけど。受かったら言おうと思ってた」
「……デイヴ」
「頭いいもんなあデイヴ」
「……僕は家が金持ちだけど馬鹿だから」
カブが言う。
「大人になったらきっとみんなに助けてもらうことになると思う。……僕に、何か助けられることがあったら言ってね」
「お前はそんなだから、絶対いつか騙されるぞ」
「がんばるよ」
「大丈夫かなあ」
「心配だなあ」
「運はいいんだ」
「それは認める」
「なんだかんだ、いつもおいしいとこ持ってくのテッドだもんなあ」
「羨ましいよ」
「えっへん」
金髪が立ち上がった。
「これだけ明るけりゃ帰れるな。ほらここ、道のすぐ脇の森だ」
「本当だ。お化け楠だ」
「グルグル回ってたのか」
「びっくりだね」
各々荷物を持ち立ち上がる。からんからんと光のないランプが音を立てる。
「「「「ごちそうさまでした」」」
「はいよ」
星の光に浮かぶ子供たちの背中が小さくなっていく。
きっともうすぐ大人になるんだろう子供の足で、最後の子供のときを踏みしめて星空の下を歩んでいく。
おでんに蓋をする。
が、まだ森の中だ。
「あ?」
がさっと音がしたので見れば、タヌキだ。
痩せたハゲのあるタヌキの後ろを、小さいタヌキが2匹必死で追いかけている。
どうやらこっちもこっちで、色々と事情があるらしい。
「……あんまり脅かすと、そのうち鍋にされるよ。もっと頭使って、人に感謝されることをやんな」
タヌキは落ちていたちくわをくわえ、一瞬止まり、ぺこっと春子にお辞儀した。
目を開ければいつものお狐さんの前だった。
今日は皿の上はぺろりと片付いている。
「……今日は敵に塩を送りやがったか」
ちょっとからかってやったがやはり何も言わないので、春子は屋台を引っ張って仕事に向かっていった。




