【5】白歌の民オリヴィエ=アルロー1
白歌の民の住まう町に、今日も夜の霧が満ち始めている。
暗くなる前に家路を急いでいた少年合唱団の元ソリスト、オリヴィエ=アルローは足を止めた。
「ロラン先輩、フレデリク先輩」
「ああ、オリヴィエ」
久しぶりにもかかわらずロラン先輩がすぐにオリヴィエを認め、柔らかく微笑んだ。
オリヴィエはまじまじと二人の全身を、上から下に眺める。
二人の先輩は白歌の民が着る白のローブではなく、艶のある黒色の上下揃いの服を身にまとっている。首のまわりの白い襟はそこに巻きつけた細い布のせいでぴったりとしていて、なんだかちょっと歌いにくそうだ。フレデリク先輩はかつて申し訳程度に伸ばしていた髪をばっさりと切り、撫で上げるように固めて額を出している。男らしい精悍な顔立ちが際立ち、とてもかっこいい。一方のロラン先輩は長い髪をくるくると巻いて一部を結んだうえ片側に流して下ろしている。白歌の民らしいやわらかな容姿が、そうすることでよりふんわりと優しく見えた。
「これ? 外の、何か髪をいじる人にやられた。魔法みたいだったよ」
オリヴィエの視線に気づいたらしいロランが自分の髪をつまみ、苦笑しながら言う。
「ロランは外だとやたらもてるな」
「君もきゃあきゃあ言われてるよ。陰で」
「そうか。なんで俺の目の前で言ってくれない」
「君が一見怖そうだから」
「……公演の帰りですか」
オリヴィエは尊敬とともに二人を見つめた。
白歌の民に対する外からの評価は、先日の戦争を境に一変した。
忌み嫌われ続けた呪い歌の民は今や、奇跡の守り歌を地上に残す救世主として祭り上げられ、各地からその歌を聴きたいという公演の依頼が殺到している。それはもう町長がビブラートのきいた悲鳴を上げるほどにそれは殺到したらしいものの、白歌の民たちはそんなにすぐには気持ちを切り替えることができていない。
外はこわい、とずっと思って生きてきたのだ。突然に手のひらを返されたようで、疑うような、恐れるような気持ちを捨てきれないでいる。
一部の勇気のある歌手たちがそれに応え町を出て公演に回っている。オリヴィエもそれに大いに興味があるが母が大変に怖がりな人で、お前を外に出すなんてと泣くのを説得しきれず町の外には先の戦争のとき以外出ていない。
あれはすごかったな、とオリヴィエは思い出す。
白銀色の鎧を纏う男たちからは、燃え上がる炎のようなものが見えた。
戦うために鍛えた人間たち。その逞しい体と形相は確かに恐ろしかった。
だがその渦巻くような力強い生命力、みなぎる魂の圧倒的な力。白歌の民にはない異質な、だが今すぐ歌にして歌い出したくなるような躍動する美しさが、確かにそこにあった。
「うん。これから銀盤亭で夕食をとるつもりなんだけど、オリヴィエも行く?」
「え、ご一緒していいんですか?」
「ここで会ったのもきっと導きだ。先輩がおごってあげるよ」
「ありがとうございます」
外の話を聞きたい。オリヴィエは喜んで礼をし、二人の後に続いた。
赤の葡萄酒の入った硝子杯を皆が手に持つ。
「「「ア・ラ・スラッテ!」」」
乾杯をし口に運ぶ。
大皿は鳥を串に刺して香ばしく焼いたので、塩とハーブで味付けがされている。
淡水に住む身の柔らかい淡白な魚は大きなローリンの葉で包んでから焼くので、独特の香りがついている。
煮込み料理はピニョン茸と豆と芋。少しピリリとした辛みがあり、平たく焼いた生地に乗せて巻いて食べる。
細く長く切られた数種類の野菜はフォークで巻く。食感が混ざっているから楽しいし、食べると口の中がさっぱりする。
オリヴィエは実家住まいなので夜はあまり外食しない。人々の声のざわめきのなか、大きな卓に色とりどりの皿が並ぶのを見ているだけでもなんだかとても楽しい。
「外にはこんな、はさみのついた赤い海の生き物がいて、ゆでたり焼いたりして食べるんだよ」
ロラン先輩は両手の指を2本ずつ立てて動かし、普段よりも上機嫌に微笑んでいる。多分あまり酒に強くはないのだろう。
「こないだそれにフレデリクが何も考えずにかぶりついて、殻ごとバリバリ食べた」
「ホントは殻は食べないんですか?」
「うん。硬いから」
「いけなくもなかった」
「ならいいんだけど」
しばしオリヴィエの知らない、外の世界の見たこともないようなものの面白い話が続いた。白い霧の立ち込める町が、どこか別のところにつながっているようだった。
「……オリヴィエ」
ふと手を止めてロラン先輩が呼んだ。オリヴィエも手を止めて、先輩の目を見返す。
「はい」
「合唱団のころ、引継式に出られなくてすまなかった。僕のふがいなさのせいで、君のソリストとしての門出にけちをつけたことを、どうか謝らせてほしい」
「……」
ロランが頭を下げるのをオリヴィエはかつてのことを思い出しながら見つめている。
「……ロラン先輩、お聞きじゃないですか?」
「何を?」
「僕がソリストのパンダンティフを手放すときに起きたこと」
「聞いてないな」
ふっとオリヴィエは苦く笑った。
「元ソリストオリヴィエ=アルローはそれを手放すことに納得が行かず、走って逃げて教室に内から鍵をかけて籠城。マスターキーで開けられて3人がかりで押さえつけられて、それでも大泣きしながら大声で泣いて叫んで暴れて2人に軽い怪我を負わせ、1月の停学処分を受けました」
「……」
「……」
「その一通りの様子を見た人が作曲したのが『若き流星の慟哭』です」
「ああ」
「あれか。何とも言えない悲しみと、跳ねるような激しさのあるいい曲だった」
「あれ、君か」
「はい。あれ僕です」
オリヴィエは葡萄酒を飲んだ。苦い味だ。
なんて未熟だったんだろうと、思い出すたびに顔が赤くなり、胸がきしきしときしむような思いがする。
調子に乗っていた。自分こそが一番なのだとふんぞり返っていた。
憧れのロラン先輩がパンダンティフを直接渡してくれなかったことに腹を立てていた。ほんの少し音を外した別パートの人間を侮蔑して睨みつけた。誰に何を言われようと何とも思わなかった。自分こそが最も優れた歌い手なのだと、陰口を叩くしかない者たちを見下し、可哀想だとすら思っていた。
わずか半年。
名誉のパンダンティフはオリヴィエのもとを去った。
人一倍高いプライドが見事にへし折れた孫を、祖母は厳しく、優しく慰めた。
『間違った、とわかるかい、オリヴィエ』
『……』
『自分が間違った、恥ずかしいことをした、とわかるなら大丈夫。たんと恥ずかしがりなさい。しっかりと落ち込み、何度でも自らの行いを後悔しなさい。迷惑をかけた人たちに、心から謝罪をしなさい。もう二度としないと、自分に誓いなさい。後始末をすべて自分でつけなさい。そうすれば、もう二度同じ過ちは犯さない。若いときに若い者がやる失敗をして反省していれば、大人になって二度とそれをしない。同じことをしている若者に寛容な、大人らしい大人にきっとなれる』
よしよしと小さな子供のように慰められ、何度も自分の行いを振り返り、恥を噛みしめて、謹慎明けオリヴィエは周囲の人々に謝罪をして回った。あの日引っかき傷だらけにしてしまった、高慢な自分からもずっと離れないでいてくれた昔からの友人2人には特に、もういいよと言われながら、何度も何度も謝った。
白歌の民は優しい。オリヴィエの反省と謝罪を、皆が許し、テノーラに転向したオリヴィエを受け入れまたともに歌ってくれた。
声を重ねる、ということの意味を、そのときオリヴィエは初めて知った気がした。




