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8皿目 麦半島の学者たち1

「駄目か……」


 土に膝をついて項垂れる同僚を、植物研究家シードル=フロムシンは見つめた。

 彼の担当する区域の畑で、せっかく出穂した麦の花が、雨に濡れ腐り落ちている。

 シードルもその横に膝を付きたかった。だがそういうわけにはいかなかった。

 シードルはこのプロジェクト、麦復活(リクリーテ)計画のリーダーなのだから。


 ぽん、と同僚の肩を叩き、力ない体を支えて立ち上がった。


「濡れるぞハロルド。中に入ろう」

「……3年だぞシードル。3年だ」


 ここについた当初は溌溂と輝いていた34歳の男の顔が、10年も年を取ったかのように憔悴し、雨と涙に濡れている。


「……中に入ろうハロルド。風邪をひいてしまう」

「……陛下に、なんと申し上げれば」

「……」


 かける言葉もないまま、同僚を支えて小屋に戻った。


 薄い外套を脱ぎ壁に掛けて、ため息をつきながらシードルは椅子に腰かけた。

 ハロルドも座るのが精いっぱい、といった様子で座っている。


 部屋に入ってきた3人目の男ホーカンが、項垂れる2人を見て状況を理解し、同じく暗い面持ちで残った椅子に腰かけた。

 泥のように体が重い。

 これで3回目の挑戦も失敗。全滅だ。何も得るもののないままに。

 この地にしては妙に肌寒い湿った空気が、どんよりと部屋に満ちている。


 大国アステールの東側、南に長く伸びたオルゾ半島がある。

 別名『女王の麦半島』

 質と香りの高い白の麦がとれる、国自慢の半島だった。

 4年前までは。


 4年前、半島の東側にあった海底火山が噴火した。

 海流が変わったか、地形が変わったか、風向きが変わったか

 普段なら乾燥した晴天が続くはずの牡牛月、双子月に、ここだけ雨が降るようになった。

 しとしとと長引くいやらしいこの雨は、半島自慢の麦を全て腐らせ枯らしてしまった。


 女王陛下はお困りになった。国の食糧庫と言っても過言でなかった場所が、突然不毛の大地に変わってしまったのだから。麦は国の主食であり広く生産されているので、たちまちに国民が飢える、というほどではない。ただ長期の備蓄計画を変更する必要があるほどの影響力は持っていた。

 輸入に頼ることもできる。しかし頼りすぎればそれもまた、他国との力関係を変えさせる。出来るのであれば半島で再び、アステールの国民の口に入る主食の生育をしてほしい。

 その命を受け半島に降り立った30代の研究者たちは、それまでの研究の結果を活かそうと、当初は夢と希望に満ちていた。


 だが


 3回目の挫折を前にして、もはや立ち上がる力も残っていない。

 少しでも進むならば立てただろう。

 わずかでも明るい兆しが見えるならば。


 しかしシードルたちはほぼ確信している。

 この地にもう、麦は育たない。


 自分たちの手となり足となり畑を耕してくれている地元の人々に

 日に日に見切りをつけ他の麦畑へ去っていく人々の背中を見送りながら、それでも再びこの地で麦を作りたいと期待を込めて不毛の地に残ってくれたわずかな農民たちに


 研究者という看板を背負った無力な我々は、何を、どう説明したらいいのだろう。


「……ぐぅ」

「泣くなハロルド」

「うう……」

「泣くな。泣かないでくれハロルド……頼むよ……」

「……」


 頬の赤い頃から王宮の植物研究所で同僚として働いていた3人だ。

 ハロルドの責任感の強さ、ホーカンの辛抱強さをシードルは知っている。

 期待を受け中央を離れ、ああでもないこうでもないと論じながら3年、考えられるすべての手を打ったはずだった。期待に応え、どうにかして成功したかった。


 土を変え種を変え作法を変え

 植える場所を、水の量を、植える時期を変えて

 だが今年もそれをあざ笑うかのように降り注ぐ長雨に、その全てが枯れた。

 あと何年我々は同じことを繰り返すのか。光の見えない絶望に涙しながら、何度大地に膝をつくのか。

 自分の目にも浮かんだ涙をぬぐおうとしたシードルの前に


 ボン


 煙を出して何かが現れた。


「……え?」

「……おでん屋だよ」


 老婆が湯気を出す何物かを混ぜている。





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― 新着の感想 ―
[良い点] なんたる。 三話区切りで読むとここで今日の分が終わってしまう。 も、もうひとさら。。
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