8皿目 下級役人ホルガー=ベルツ1
ホルガー=ベルツは地方下級役人である。
妻と、娘が三人。そうなれば当然家の中では立場が低い。
最近ちょっと髪の毛が薄くなってきたのが気になっている。いつも制服の帽子を被りっぱなしだから蒸れるのだと思う。腹も出てきたのでベルトの穴がひとつ変わった。最近長女が嫁に行くと言い出して、嫁入り道具にあれも欲しいこれも欲しいと言い出し、もともと豊かではないベルツ家の財源はこのところ危機的状況を迎えつつある。中でも外でも上にも下にもちくちく言われるから、いつも胃が痛い。
今も痛い。ホルガーはため息を飲み込みながら古い家の前に座り込む老人グレゴール=バーナーを見据えた。
「バーナーさん」
「どかん」
「なあバーナーさん。どかんじゃわからんからどかないわけを教えてくれないか。できる限り善処する」
「どかん」
「なあ」
「どかん!」
彼は自分の体に縄を結び、家の前の柵にぐるぐる巻きにしている。
はああ、と飲み込み切れないため息が出た。いったいどうしてこうなった。
各町と転移紋、転移紋と転移紋を結ぶ、石畳で舗装された道を作る。
エリーザベド女王の時代から計画が進められているこの政策は、トマス新王がそのまま引き継いだ。
とてもほっとした。今までホルガーたち下級役人たちはそのために、予定地に住まう民に立ち退きを通達したり、彼らの引越用の家を別の用意したりと色々細々調整してきたのだ。上が変わることでがらりと方針が変わりそれまでの努力が水の泡になることなど下っ端役人には慣れっこだが、やっぱりそのたびにがっかりし、無力感に襲われる。
ホルガーは王の顔を知らない。先々代の王に瓜二つだというから、ああ、ああいう王族らしい顔かとぼんやり思い描けるくらいだ。
今のところ悪い噂は聞かない。女王がご存命中の異例の戴冠にも関わらず、それは滞りなく行われたらしい。冠を脱いだ女王は今は上皇陛下として半分は王宮に、半分はオルゾ半島にお住まいらしい。
煌びやかな王宮に住まう人々は、きっとホルガーには想像もつかないような優雅な暮らしをしているのだろうと思う。少なくともチーズを一つ多く食べすぎたせいで朝から妻に魔物の顔で怒鳴られるようなことはないに違いない。
乾いた空気の中を土煙が舞っている。とんとんからりとこれから国中に、大きな街道を建設する石と鉄の音が響く。国中を、もっとスムーズにつなげるために。強敵を退け、厄災を追い払い、病に打ち勝った明るい雰囲気のなかに響くそれは、新しい国造りの始まりのように感じられる。
それなのに
「バーナーさん!」
「どかん!」
「まだやってんのか、お役人さん」
「どかーん!」
野太い声に振り向けば、現場監督のジェイソンだ。真っ黒に日焼けした筋肉もりもりの大きな体。金色の短髪によく似合っているいかつい髭。
「つまみ出すか?」
もきりとむき出しの二の腕が動いた。バーナー老人の痩せた体がびくりと震える。
「ジェイソンさーん! 材料新しいの届きました。何番置き場に置いときましょうか」
背は高いがまだ体の薄い長髪の男がジェイソンに声をかけながら走り寄って来た。そしてホルガーとバーナーを交互に見る。そしてわかりやすく眉を寄せた。
「か弱い爺さん縛り付けるなんて……役人ってやっぱりやることがひどいっすね」
「いや、あの人が自分で縛り付けてるんだ」
「なんで」
「知らん」
「どかん!」
「どかんだとよ」
「ずっとこうなんだ……他の住人たちはもう引越し済なのに、彼だけどいてくれない」
住民たちはおおむね快く立ち退きに応じてくれた。
中央で専門家たちが、様々なことを考慮のうえ考えに考え抜いて設計した、いずれは国の大血管になる道だ。肝入りの計画だけあって資金は潤沢だった。建設予定地に住む住民たちには前と同程度よりちょっぴり何か上乗せされた新しい家が用意された。『なんでうちのところに通さないんだ!』と抗議する、年季の入ったぼろ家の住人もいた。
しかし何度説得してもバーナー老人だけはホルガーの説明に耳を貸さず、態度は日を追うごとにかたくなになり今じゃこのとおり彼は柵になってしまった。
「なあ爺ちゃん。諦めなよ。俺たちみたいなのが国に逆らって生きていかれるもんか。はいはい言ってヘコヘコしながら従うのが一番楽だって」
「若いくせに達観してるな。だがちょっと卑屈すぎるぞ」
「下々のものは下々なりの生き方があるんですよ」
「それはわかってる。身に染みて」
「つまみ出す。爺さんにゃ悪いが俺らだって作業の日程遅らせるわけにはいかねえ。これからあっちこっちで作らなきゃいけねえんだからな」
「どかんするぞ!」
一歩を進めたジェイソンにひときわ大きな声でバーナー老人は叫んだ。
「もう、どかんしてるだろ?」
「どかん! だ! こりゃ、爆弾だぁ!」
「「「……」」」
ばっとシャツの前を開け骨と皮だけのそこをさらしたバーナー老人の腹回りに、何かグルグルと袋が巻き付けてある。
そこから伸びた紐のようなものに、震える骨のような手がかざされる。
唾を飛ばしてバーナー老人は叫ぶ。
「わしゃあほんのちょっぴり火属性の魔術師じゃ! すごくほんのちょっぴりの! 気張れば指先くらいの火が出せてちょっとしたときに便利なことこの上ない!」
「便利そうだなあ」
「煙草にいいな。うらやましい」
「何を落ち着いてるんだ離れろ! 彼に近寄るな!」
「どかーん!」
「わー!」
「どうせ小麦粉かなんかだろ」
「洗ってない汚れものだろ」
「どかーん!」
「わー!」
男が4人。不毛な喜劇を演じているところに
ぼん
煙が上がった。
すわ爆発か、仕事中に死ねばいくらか金が出たはずだからきっと妻にはと怒られまいと思いながら顔を覆った。
爆風は吹かない。
おそるおそる腕をどければ、そこには不思議な荷車と、老婆。
「……は?」
老婆がじっと爺さんの痩せた腹を見ている。
「……おでん屋だよ」
何か恥ずかしそうに、バーナー老人がシャツの前を合わせている。




