7皿目 さすらいの占術師ヨナカーン=シャロム
今日も今日とてお狐さんを睨んでいる。
前回ちくわを半分残していたので今日はいなりとこんにゃくを置いてある。
別に残した罰などではない。こんにゃくはうまい。こんにゃくは、うまい。
パン、パン
目を開けるとなんだか岩だらけの、変な黒い木のまばらに生えたごつごつとした、多分山の中だった。
目の前のでかい岩に背を預けて、精魂尽き果てたという顔をした男が、春子を見ている。
20代の後半だろう。ところどころ薄汚れた、白くて長い、帽子のついた服を着ている。耳と首に宝石を付けていて、布を巻いた頭から出ている銀色の髪が砂まみれだ。
「……ここに、貴方様がいらっしゃるとは」
男の首で太い黄色と白のちくわみたいな柄の蛇が、鎌首をもたげる。
シャアッと威嚇されたので腹が立って睨み返したらちろちろ舌を出しながら徐々に引っ込んで、最後は男の襟巻みたいになった。
「……罰を当てにおいでですか。もう当たっておりますのでこれ以上は遠慮いたします」
「わざわざそんなめんどくさい真似しねえや」
「ではなんでしょう。人心を惑わす愚かなペテン師の最期をお笑いに?」
ふんと春子は菜箸をとった。
「おでん屋だ。食うなら座んな」
男が熱い酒を飲んでいる。
割ったがんもどきの断面をおもむろに見て、ぱくりと一口。
そして酒。ぶるりと体を震わせた。
「は~……」
蛇が物欲しそうにしている気がしたので仕方なくうずらの卵を置いてやった。今日はとろろがあるから、すりおろしたのにワサビといっしょに乗せようと思っていたのだ。
人も食えるものをこいつに出すのはなんとも腹立たしいが、なんだか腹が減ってる様子なので仕方ない。表情はわからないので、なんとなくだ。置かれたそれを蛇はなんとなく不思議そうな顔で食っている。もっとうまそうに食えと思う。
「……生き返った」
「そうかい」
艶が戻り緩んだ男の顔は、最初に思ったよりも若かった。
旺盛な食欲で、順調に皿を空にしている。
「握り飯も食うかい」
「未知のものですがいただきます」
「はいよ」
とんと置いた握り飯を、男は不思議そうに見た。
「三角……神秘的ですね」
「どこがだよ」
「この頂点から地に向けて放たれる偉大なるエネルギー……シンプルながら落ち着いた、どっしりとした安定感。地から地道に積み上げ天を目指す、向上のシンボルのようでもある」
「握り飯だ」
「いただきます。これはどうやって」
「手で持って食いな」
男は握り飯を白い歯でかじり取った。
「甘い。実に美味です」
「そうかい」
口の中の感触を楽しむように男は目を輝かせて噛み、あっという間に食べ終わってしまった。
ハッとしたように残ったたくわんを食い、なんだか失敗を悔いるような顔をしている。
「おかわりするかい」
「いただきます。オデンもお願いします」
「はいよ」
ちろちろと蛇が舌を出す。
こいつにはおかわりなしだ。これ以上食われたら人様の分がなくなる。
そんなふうに物欲し気に踊ったってやらない。じっと睨みつけたまま動かない春子に、蛇は心なしかふんにゃりと垂れた。
男は皿を受け取り、握り飯を今度はたくわんと一緒に今度は満足そうに食う。じゃがいも、ソーセージ、こんにゃくを食う。
やがてにっこりと子供のように無邪気に笑った。
「皿についた黄色いこれがいいですね。優しさのなかにも辛みがピリリ。辛みがあるからこそ優しさが際立つというものです」
腹が満ち酒が回れば人は語る。
もともとこいつは口の回るタイプの人間と見た。
男は手のひらを合わせない指だけの合掌をした。ごちそうさまということかと思い見るが、何やら眉を寄せて目を閉じている。
なんの光の加減か知らないが、耳飾りの宝石が一瞬きらんと輝いた。
「……気難しい一面もあるが慈悲深く、弱きものには懐深い寛容さを見せることがある。理不尽には積極的に立ち向かいますか実は意外と消極的なところもおありだ。ある程度であれば変化も好み、他人から制約されたり邪魔をされるのがお嫌いですね」
「三文占いの常套句じゃねえか」
どれも『誰にでも当てはまるやつ』だ。
「ああ、貴方様にはやはりおわかりですか」
男は笑い手のひらを解いた。
また無邪気に笑う。
「申し遅れました。占術師、ヨナカーン=シャロムです」
「へえ」
「はるか昔に滅びた悲劇の王国の神官の血を引く流れ者です。見目が異国風で珍しいとどこに行っても騒がれ、占えば当たる当たると人の心を乱してしまう占術師。お代とお心は過分にいただきすぎない主義です。いずれももらいすぎるとあとが怖いものと学びました」
「へえ」
「ですが今回は失敗でした。どうやら私の発言が誰かの名誉を傷つけたか、あるいは暴いてはならない秘密を暴いてしまったか。私を恨むどなたかは神官の子孫を直接殺すと罰が当たるかもとお考えになって、自分の手ではなく自然に任せて命を奪うことにしたらしい。突然何者かに袋詰めにされ運ばれてここに打ち捨てられました。山を下りようと歩くと何故かいつもこの大岩に戻ってしまう。ここはどうやら入った者の感覚を惑わす迷い山のようだ」
「ふうん」
男は蛇を撫でた。
「……まさか殺そうというほどまで憎まれるとは。私はこれまで、人の心の何ひとつもわかっていなかったのかもしれない。私なりに人の役に立とう、迷える人を善き方へ導こうとしているつもりだったのですが、果たしてそれが人のためになっていたのか。歩きながらそればかり考えていました。……すいません、同じ酒とオデンのおかわりください」
「はいよ」
一升瓶を傾ける。とっとっとっとと音を立てて酒が銚子を満たす。
とぷんと湯に沈めた。男は蛇を撫でている。おでんのおかわりの皿を反対側の手に渡す。
「そいつは?」
「蛇のオスピスティスです。子供のころからの唯一の友です」
「でかいね」
「昔はちょろちょろした紐のようだったのにこんなに大きくなって。最近は肩こりがひどい」
「自分で歩かせろ」
「甘えん坊でして」
「へえ」
「きっとまだ自分を紐のようだと思ってるんでしょう。彼は鏡を見ませんからね」
「どうだか」
「現実とはいつも、本人にだけにはなかなか見えないのでしょう」
「ふうん。おまちどうさん」
銚子を置く。男が猪口に傾ける。しみじみと味わうように目を閉じて、ふううと男は息を吐く。
「……人智を超える不思議な力を、何故人は求めるのだろう」
「……」
独り言だったので、春子は相槌を打たなかった。
「未来などわずかな事柄であっという間に変わり常に揺れ動くのに、どうして皆知りたがるのだろうと、これまで不思議でなりませんでした。でも今日ほんの少しだけわかった気がします。先が見えず、道が見えないというのはどうしようもなく不安なのだと。見えない、わからないというだけで足を踏み出す気力さえなくなることがあるのだと」
「……」
まるで世界の真理がその先にあるとでもいうような真面目な顔で、男はちくわの穴を見ている。
「……私だって見えることと見えないことがある。人を騙したいわけでも、思うままに動かしたいわけでもない。ただ、自分の見えるものをありのままに語っているだけなのに、いつも私の発した言葉で何かが動き始めてしまう。見えれば大袈裟に崇められ、見えなかったときにはインチキだ、いかさま野郎めペテン師めと手のひらを返して罵倒される。口を封じていればそんなことにならないのにとわかっているのに、つい言葉を出してしまう。……一番愚かなのは私ですね。私自身も、完全でないのならこんな力など、そもそもなければよかったのにと思うことだってあります」
蛇が慰めるように男の頬に顔を当てた。
「ありがとうオスピスティス。大丈夫だ。それでもどうしても私は見、語ることを止められないから、やはりこうして流れ続けるしかないのです。ひとつところに留まればきっと、おかしな渦のようなものが勝手に私の周りにできてしまう。私はこのまま天の国に迎えられるその日まで、ただの占術師として大地を流れ、流れ続けるほかはない。私はその渦が起きるのを望まないのだから」
ぐっと汁を飲み干し、男は皿を置きふうっと満足げに息を吐いた。
「ごちそうさまでした。死を感じ自分と向き合ったうえでこちらをいただいて、やはりこれでよいのだと思えました。人というのはどれほど自分で確信していても迷い、誰かにそれを認められることで安心するものなのですね。私の発した言葉が誰かにとって、そのようなものであることを祈りながらこれからも私は流れ続けます」
男は蛇からよけるために奥に置いてあるうずらの卵をじっと見た。またふっと笑う。
「仲良しだね。それじゃあ狭いだろうに」
言ってから男は頭を下げた。しゃらんと宝石が、ふるんと蛇の黄色いしっぽが揺れる。帽子をすっぽりとかぶり歩き出そうとする。
「迷うんじゃないのかい」
「いえ、道が見えました。どうやら大丈夫です」
「そうかい」
おでんに蓋をする。
いつもの稲荷。
現れた目の前の狐を睨みつける。
こんにゃくが皿に残っている。
屋台を引いて仕事に行った先で、とろろ好きの常連客が声を上げた。
「おお! 見てくれ春子さん」
「なんだようるせえな」
「ホラ。うずらでもあるんだなあ。初めて見たよ」
なんだなんだと左右の客も手元の器をのぞき込む。
小さな黄色い黄身が、ぽこんぽこんと二つ、とろろの白の上に乗っている。割れた殻はひとつぶんだけ。
「双子だ」
「おお」
「いい出会いがあるって言うぞ」
「いやいや勝負運だろ」
「そうかツイてるな。よし明日は競馬に行こう」
「これで使い切ったんじゃないか」
「少ねえなあ俺の運!」
客同士で軽口を叩き合い、笑いが上がる。
ほかほかほかと湯気が上がる。
春子は汁を混ぜた。
「冷酒と、もちきんちょうだい」
「はいよ」
一升瓶を傾け、客にコップを渡してから菜箸でつまんだ餅巾着を出汁に落とす。順序が逆のほうが効率がいいがこれが逆になると文句を言い出すのが、一秒も酒を待てない酔っ払いなのだ。
喧噪と香るおでんのにおいに包まれながら、今日も春子は客におでんを食わせている。




